読んだり、書いたり、編んだり 

茶色の朝


茶色の朝
フランク パヴロフ:物語
ヴィンセント ギャロ:絵
藤本一勇:訳
高橋哲哉:メッセージ
\1,050
大月書店
2003年

さいきん、なにかの本で読んで、図書館で借りて読んでみた。
「フランスのベストセラーにオリジナルの絵と解説を加えた日本版」なのらしい。
そうか、あの絵は日本版だけか。
電話してるときなんかに、ぐるぐるとボールペンで円を書いていたりする、あのぐるぐるなぞったような線の絵だった。

けっこう、こわい話。

人のセックスを笑うな


人のセックスを笑うな
山崎ナオコーラ
\1,050
河出書房新社
2004年

タイトルと名前だけは知っていたけど、これがエッセイなのか小説なのか何なのかも知らずに、ひょいと人からまわってきたのを借りた。

小説でした。

1作で1冊にするための苦肉の(?)作なのか、字が大きくて行間がひろーいつくり。
これは『野ブタ。をプロデュース』とともに、第41回文藝賞をとったのだそうで(選考委員は、角田光代、斎藤美奈子、高橋源一郎、田中康夫だって)。

巻末の広告をみると、第40回の文藝賞は生田紗代の『オアシス』(これは読んだ)と伏見憲明の『魔女の息子』(これは読んでない)がとったそうだ。で、第38回文藝賞が綿矢りさの『インストール』だとか(これも読んでない)。


▽ぶらぶらと垂らした足が下から見えるほど低い空を、小鳥の群れが飛んだ。(p.3)

この、冒頭の一文を読んで、(この足は誰の足?)と思って、じつは今もわからない。オレの足? 小鳥の足?

ねむりねずみ


ねむりねずみ
近藤史恵
\1,631
東京創元社
1994年

「おすすめミステリー」リストにあった一冊。
これは歌舞伎の世界のミステリー。
歌舞伎のことをもっと知っていれば、もう少し楽しめたかも。
一幕、二幕、三幕と展開していく話に、ついていくのがちょっとむずかしかった。

探偵役は、誰からの依頼かを最後まで明かさない。

小川洋子対話集


小川洋子対話集
小川洋子
\1,470
幻冬舎
2007年

小川洋子の『アンネ・フランクの記憶』を久しぶりに読みたくなり、図書館で検索したときに見つけた小川洋子の新しい本。対談をおさめた対話集である。

対話の相手となったのは、田辺聖子、岸本佐知子、李昂+藤井省三、ジャクリーヌ・ファン・マールセン、レベッカ・ブラウン+柴田元幸、佐野元春、江夏豊、清水哲男、五木寛之。

どれもおもしろかったし、この対話を読んで、あ、この本を読みたいと思ったのもいろいろあった。

李昂との対話のなかで、李がこんなことを語っている。李昂は女性で、本名は施淑端。批評家、作家の二人の姉とともに台湾では「施三姉妹」として知られる人らしい。

▽日本であれ、台湾であれ、どんな国であっても、私たち女性というのは、社会的な規範による束縛を受けています。ところが、このおばあさんや『海峡を渡る幽霊』に出てくる女幽霊のような、少し変わった存在というのは、通常の人間とは異なる独特な自由を持っている。それは、現代社会における私たち女性の一種の自己主張とみなすことができるのではないでしょうか。このように変わった人間や考え方を登場させるというのは、作家の性格や心理が反映されているのでしょう。小川さんも私もどちらもやや変わった傾向があるのかもしれません。(pp.89-90)

ディール・メイカー


ディール・メイカー
服部真澄
\1,890
祥伝社
1998年

人に貸してもらって、初めて服部真澄という書き手を知る。
貸してもらって数年前に読んだのは『龍の契り』と『鷲の驕り』。経済方面の話だった気がするが、タイトル以外は今ではほとんど思い出せない。この二冊の貸し借りのあとで、『ディール・メイカー』を借りた。そして借りっぱなしで数年たってしまった。

ようやく返す機会を得る。
他の作ももうちょっと読んでみようかな、と思う。

朝霧


朝霧
北村薫
\1,470
東京創元社
1998年

みさき書房に就職した〈私〉。
シリーズの最初のものに比べると、格段に時間の流れがはやくなっている。

あさきりのほのにあいみしひとゆゑにいのちしぬへくこひわたるかな

▽朝霧のほのに相見し人ゆゑに命死ぬべく恋ひわたるかな

万葉集の五九九番ではこうなっているそうだ。

▽朝霧のおほに相見し人故に、命死ぬべく恋ひ渡るかも

図書館の話

図書館の話
森耕一
至誠堂選書
\1785
1981年

たしか、こないだ読んだ『ず・ぼん』で、ライプニッツの図書館観について栗原均(大阪府立図書館で長く勤めていた人)が語っていたのを読んだときに、この森耕一の名前も出ていて、それでこの本を予約したのだったと思う。

もう四半世紀も前の本だが、なかなかおもしろい。
図書館学の教科書としても使われてきたらしいが、へぇーと思うこともいろいろある。
この古い本に「協働」ということばがすでに使われていたりして、ふーんと思う。

▽図書館システムとは、なんでしょうか。ひとことでいえば、複数の図書館が協働して目的を達成する、有機的な組織ということになりましょうか。(p.284)

▽印刷術といえば、その発明者としてグーテンベルクの名を思い出す人が多いかも知れません。しかし、中国では、すでに九世紀に多くの印刷された書物が現われています。印刷術は、実は中国で発明されて、その後全世界に広まったものです。(p.38)

たしかに、印刷の発明というたら「グーテンベルク」と思っていた。

▽…このヨーロッパ最初の活版技術が、中国の印刷術から影響を受けたものか、それともグーテンベルクが独自に着想を得たものか、この点は、なお新しい資料の出現をまたなければ確定できません。しかし、中国の印刷術からなんらかの示唆を得ていたとしても、グーテンベルクが使用した、鉛活字・油性の印刷インキ・印刷機(プレス)の三者は、中国には見られなかったもので、そこにはグーテンベルクの独自性を認めなければなりません。(p.41)

さらに、印刷術が発明されて以降、図書館はもっぱらコミュニケーションの受け手側にたつように分化していったが、それ以前は、図書館内部で写本や訳本づくりなど、造本がおこなわれていた。

▽本をつくる、造本という仕事は、現代でこそ図書館とはほとんど無関係に進められています。…このような分化現象は、印刷術発明以後の近々五〇〇年間のことで、それ以前には、造本そのものがしばしば図書館の内部で行なわれ、図書館外であっても、図書館と非常に近い関係のところで行なわれていました。この点は、近世以前の図書館の一つの特色といえましょう。(p.52)

そして、ライプニッツ。

▽ライプニッツ(一六四六-一七一六年) 哲学者・数学者として有名ですが、かれの職業、くらしを立てるための表むきの職業は、ほとんど全生涯を通じて図書館員でした。単に職業としてそうであるというだけでなく、すぐれた図書館観をもち、図書館経営の面でも幾多の功績を残しています。(p.102)

▽…ライプニッツの理想は、管理の行届いた完全な図書のコレクションにありました。かれは、図書館を単なる読書施設とみる観念をこえて、人間のための「百科事典」、「全科学の販売店」、「すべての科学の宝庫」とよび、また「全知の教師」であることを強調し、「人類の魂の宝庫」とまで賛美しました。あるいは、図書館は「あらゆる時代・あらゆる民俗の、もっとも偉大な人物たちが、われわれにそのすぐれた思想を語り伝える場」であるとも表現しています。(pp.103-104)

時代は下り、18世紀になって新しいタイプの図書館が誕生する。その一つが、“新大陸”でベンジャミン・フランクリンが設立したフィラデルフィア図書館会社。

▽…内容は、会員が一定の金を出しあって、図書を共同購入し、共同利用しようとする組織です。(p.112)

▽…フィラデルフィア図書館は、財産もなく、収入も決してよいとはいえない、いわば中流の下層に属する人びとが、乏しい金を出しあって、共同で経営した図書館なのです。したがって、図書館の所有者は個人ではなく、会員みんなの図書館でした。そして、フィラデルフィアの場合、非会員にも利用の道を開いていたことから、会員の図書館から市の図書館、市民の図書館へと、徐々に発展していきます。(p.119)

「第三章 図書館のはたらき」の「第一節 図書館とはなにか」には、ピアス・バトラー(一八八六-一九五三年)の『図書館学序説』(一九三三年)という著書からの引用がある。バトラーはこの本の冒頭でこう述べているそうである。

▽分化は、本質的には経験の社会的蓄積であるから、それは個人を超越する。このことによって、各世代の人びとは、先人が学んだことを、少なくとも潜在的に保有するようになる。図書は、人類の記憶を保持する一つの社会的メカニズムであり、図書館とは、これ〔人類の記憶〕を現に生活している人びとの意識に移す社会的装置である。(p.171)

バトラーはこうも語っているそうである。

▽バトラーは、『図書の生涯』と題する講演の中で、「図書は、三重の意味で生きている。話をするし、旅行をするし、長生きをする」と語っていますが、まったくその通りです。(p.174)

「第四章 市民と図書館」では、日本でのいろいろな実践が紹介されている。なかでも、浪江虔[なみえけん]の農村図書館構想がいい。

▽都府県立図書館長など、図書館界の有力者たちによって図書館法案が検討されているころ、自らの経験をふまえながら、農村図書館の構想を切々と語りかける人がありました。その人は、一九三九年一月、東京都南多摩郡鶴川村に居を定め、同年九月から南多摩農村図書館(現・私立鶴川図書館)を経営していた浪江虔[なみえけん]氏です。…

 浪江氏の図書館論は、「その必要を誰よりも強く感じている人自身によってつくられるべき」であるという点において、それまでの多くの図書館人の考え方とは根本的に相違していました。一つの部落で、数人の人が心をあわせて、本を持ち寄り、多少は金も出しあって新刊を購入し、文庫をつくる。そういう部落文庫こそが、ほんものの農村図書館であると主張します。文庫を利用して、本のありがたさを知れば、文庫に対する熱意を増す。「文庫は利用者の共有財産だとの感じが生れ、……さらに文庫は自分たちの一生を通じての学校なのだ」と、みんなが考えるようになれば、それこそ本格的な農村図書館の完成であるといいます。

 図書館といえば、多くの人は、すぐ建物と本を考えます。しかし、浪江氏は「図書館と本の倉庫とは全然別のものである。読む人がいなければ本の倉庫はあっても図書館はないのだ」といいきります。(p.242)

長野県のPTA母親文庫という運動も興味をひかれる。

▽これは、一九五〇年に、信州大学教育学部付属長野小学校PTAの求めに応じて、県立図書館が一種の団体貸出を行なったのが、ことの始まりです。…母親たちは、四人で一グループをつくります。PTAの代表者は、毎月(農繁期は隔月)一回きめられた日に県立図書館または配本所に出かけて、前回に借りた本を返却し、新たにグループ数だけの本を借りて持ち帰ります。本は一グループに一冊ずつ配られ、グループ内では、あらかじめ定めたじゅんばんに、一人一週間ずつ本を回覧します。回覧のための本の移動は、こどもを通じて行ないます。

 当時、県立長野図書館長であった叶沢清介[かのうざわせいすけ]氏は、PTA母親文庫の構想について、「読書という領域での底辺は、普遍的には男性よりも女性、しかも農村の、そのうちでも母親という線がまず浮かび出たこと。しかも母親の教養の向上なくしては、児童生徒子弟の教育、ひいては文化国家の建設などは思いも及ばない。したがって母親をいつまでも不読者層であらしめてはならないと考えられた」と述べています(『図書館雑誌』四八巻一二号)。(pp.248-249)


片耳うさぎ


片耳うさぎ
大崎梢
\1,575
光文社
2007年

『配達あかずきん』から3冊でている成風堂書店シリーズとは別の作。
主人公の奈都[なつ]が小6。この子がだんだん謎を解いていくところは(ちょっとカシコすぎる小学生?)という気もした。
蔵波家の屋敷内見取り図と系図を何度も見ながらでないと、なかなか位置関係と人の関係が頭にはいらなかった。

大学生の謎解きのほうが、大崎梢にはあっているのかなーと思った。
成風堂書店シリーズのほうが、やはり佳作。

六の宮の姫君


六の宮の姫君
北村薫
\504
創元推理文庫
1999年

シリーズ4冊目は、一冊ぜんぶの長編。

4回生になった主人公の〈私〉は、卒論のテーマを芥川とし、ついでに教授から紹介されたアルバイトを「みさき書房」で始める。古い資料のコピー取りや、国会図書館でのコピーである。

今回〈私〉が取り組む謎は、芥川が自身の作『六の宮の姫君』について、「玉突き」いや「キャッチボール」だと評したことば。どこがどう「玉突き」で、どこがどう「キャッチボール」なのか。円紫先輩のヒントも得て、芥川とその周辺の作家の作やら書簡やらを読んでいく〈私〉。

メイキング・オブ・卒論風のそのわけは、北村薫自身のマボロシの(?)卒論がベースになっているということらしい。

『全国アホ・バカ分布考』も、研究という謎解きの入り口として、ひじょうにおもしろい本だったが、これも、なかなか。

途中まで読んだところで、そういえば荻原魚雷が『古本暮らし』のなかで、小島政二郎が芥川と菊池のことを書いているという『眼中の人』のことを書いていたよなーー、と図書館で再度借りようと思ったら貸出中で、今日は『眼中の人』そのものを借りてきた。


〈私〉と正[しょう]ちゃんが磐梯山方面へドライブに行ったときの会話で、正ちゃんがこんなことを言う。
▽「絵を見たり音楽を聴いたりしたってさ、それで動かされるって結局、そこに自分を見つけるからじゃないのかなあ。小さい頃の自分を見つけて懐かしかったりする。今の自分を見ることだってある。それから、未来の自分。十年、二十年先の未来もあるだろうし、何万年先の未来もある。到底、手なんか届かない自分をさ、微かに」(p.87)

二つの国の物語 第3部 青い眼と青い海と


二つの国の物語 第3部 青い眼と青い海と
赤木由子作
鈴木たくま絵
\1,260
理論社
1981年

第3部の物語は日本が降伏するすこし前から始まり、日本の降伏後にヨリ子たちが満州でかろうじて生きのび、日本への引き揚げ船から日本の地を眼にしている場面で終わる。


表紙画像は、のちに1巻本となったという『二つの国の物語』のもの。この絵は、理論社の3巻本の第3巻の表紙に使われていたものと同じようだが、レイアウトと色が違うので、印象が違う。

冠・婚・葬・祭


冠・婚・葬・祭
中島京子
\1,680
筑摩書房
2007年

職場で新刊案内を見ていたときに、ちょっと気になっていた小説が図書館の新着コーナーにあったので借りて読んでみた。「冠」「婚」「葬」「祭」のそれぞれが、成人式、見合、葬式、お盆の話として短篇で書かれていて、かつ登場人物がちらりとつながった連作になっている。

おもしろかったなあ。

この著者は『FUTON』を書いた人だ。(検索してみたら著書は十数冊あるみたい)
ほかのも読んでみるかな。

秋の花


秋の花
北村薫
\1,365
東京創元社
1991年

『空飛ぶ馬』『夜の蝉』に続く、シリーズ3冊目。

▽人は生まれるところを選ぶことは出来ない。どのような人間として生まれるかも選べない。気が付いた時には否応無しに存在する《自分》というものを育てるのは、ある時からは自分自身であろう。それは大きな、不安な仕事である。だからこそ、この世に、仮に一時でも、自分を背景ぐるみ全肯定してくれる人がいるかもしれない、という想像は、泉を見るような安らぎを与えてくれる。それは円紫さんから若い私への贈り物だろう。(p.184)

岩波の辞典で「しゃれ」の用例に「へたなしゃれはやめなしゃれ」というのがある、と書いてあったので、ウチにあった古い岩波の国語辞典を引いてみたら、本当にその用例が載っていた。


表紙画像は、ほぼ同じ装幀の創元推理文庫版のもの。装画は高野文子。
 
 
プロフィール
 
 

乱読ぴょん

Author:乱読ぴょん
    乱読ブログバナー
本ネタのミニコミ誌『ブックマーク』を編集発行しています(1990年9月創刊~ 昔は隔月発行でしたが、今は年2回発行で、現在87号)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2014年4月(313号)より「本の道草」を連載中(現在、第37回)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2004年3月(192号)より2014年3月(312号)まで、本ネタ「頭のフタを開けたりしめたり」を連載(全119回、連載終了)。

『くらしと教育をつなぐWe』誌で、1999年4月(71号)より2014年2月(188号)まで、本ネタ「乱読大魔王日記」を連載(全118回、連載終了)。

amazonへリンク

 
 
最新記事
 
 
 
 
最新コメント
 
 
 
 
カテゴリ
 
 
 
 
Google検索
 
 


WWW検索
ブログ内検索
Google
 
 
本棚
 
 
 
 
リンク
 
 
 
 
カウンター
 
 
 
 
RSSリンク
 
 
 
 
月別アーカイブ