読んだり、書いたり、編んだり 

新解さんの読み方


新解さんの読み方
鈴木マキコ
\1,575
リトル・モア
1998年

いまは「夏石鈴子」の人は、むかし「鈴木マキコ」だった。イニシャルをとって、「SM嬢の部屋」という新解さんを愉しむページ(新版と旧版を比べたり、例文をおもしろがったり)もインターネット上にあったそうである。

いまこの本は、夏石鈴子名で、角川文庫から出ているのが手に入ります。

夕暮れのマグノリア


夕暮れのマグノリア
安東みきえ
\1,365
講談社
2007年

図書館では児童書の棚に分類されていた。大人の本の棚にあるほうがいいのか、どっちがいいのかはよくわからない。前に読んだ『頭の打ちどころが悪かった熊の話』も児童書の棚だった。
図書館では、熊のほうにはだいぶリクエストがついているのに、マグノリアはまったくリクエストがついてない。

読んだ感想としては、熊より、マグノリアのほうがよかった気がするけど、そんなにリクエストがついているのは、書評かなにかで出たのだろうか。

「ろう文化」案内


「ろう文化」案内
キャロル・パッデン著
トム・ハンフリーズ著
森壮也訳
森亜美訳
\1,890
晶文社
2003年

▽コミュニケーションに手話を用いる「ろう文化」は、ひとつの豊かな世界だ。ろう演劇や映画、手話によるジョークや歌、詩、子どもがつくりだす言葉など思いがけない資料を使用し、カルチュラル・スタディーズの成果も取り込んだ、ろう者自身による「ろう文化」入門。米国では教科書としても使用。手話学習者、ろう文化研究者には必読の書。(晶文社のサイトより)

▽聴者にとっては、音がない[サイレント]というメタファーは、ろう者の暗黒面であると信じられているものを表している。つまり、彼らは人間のコミュニケーションに音を使えないのみならず、世界を直接に知ることができないのだ。聴者にとっては、世界は音を通じて知ることができるものである。音はここちよく、自分自身を世界にむけさせるなじみの手段である。それが失われると、世界を知りうる方法が崩壊する。こうしたイメージは、世界は第一に音によって、とくに話された言葉によって伝えられるものだから、ろう者は世界にアクセスできないという考え方とつながっている。かわりにろう者は「別の世界」に閉じ込められており、「音のバリアー」の向こうにいて、音が聴者に可能にする意味の深さが欠落した人生を宣告されているのだ。(第六章 音のもつ意味、169-170pp.)

▽ろう者は、動き、形式、そして音を中心にして自分たちの世界を築き上げる。音がしない[サイレント]というメタファーは、聴者がろう者とはこんなものだろうと信じているものを強調するので、聴者に対しては説明する力をもつ。しかし、これは、ろう者が知っていること、していることを説明する方法としては気がきかず、不適切である。ろう者の生活は、音がしないどころでなく、クリック音、ブンブンいう音、ヒューッという音、ポンッという音、わめき声、そしてブーンという音などでとても騒がしいのである。(第六章 音のもつ意味、199p.)

▽マグレガーは「ハンディキャップ」を乗り越えてうまいこと聴者の世界に統合されたろう者という、口話主義者たちの「社会復帰したろう者」という理想像をちゃかしているのである。「聡明で、洗練されている」人というのは、こうした聴者が重要だと考える知的な話題を議論できる人のことである。「聴者のように話す」人は、聴者の言語を用い手たやすく会話ができるから賞賛されるはずだ。理想的なろう者とは、たどたどしかったり、うまく話せなかったりといったコミュニケーションの面で当惑するようなことをしない、「人々とあまり努力することなく交われる」人のことである。このぶしつけなジョークは、口話主義のプログラム、つまりろう者をまったくろう者に見えない人間にしようとする聴者の願いへの怒りの返答なのだ。(第七章 歴史的創造物としてのろうの生活文化、203p.)

津山三十人殺し 村の秀才青年はなぜ凶行に及んだか


津山三十人殺し 村の秀才青年はなぜ凶行に及んだか
筑波昭
\1,995
草思社
1981年

※単行本の表紙画像なし。2005年に新潮文庫から『津山三十人殺し 日本犯罪史上空前の惨劇』が出ており、そちらの表紙画像。

横溝正史『八つ墓村』のモデルにもなった、大量殺人事件について書かれた本。山岸凉子が、やはりこの事件を題材に「負の暗示」というマンガを描いており(『神かくし』所収)、そこで描かれた「村の秀才少年」がなぜ凶行に及んだか、に興味をもち、こんな本があったので図書館で借りて読んでみた。
家督相続者(あととり)であったこと、祖母に溺愛されたことも一因なのだろうか…。

薄闇シルエット


薄闇シルエット
角田光代
\1,470
角川書店
2006年

手作り教の教祖のような母親は、着るものも食べるものも何もかも手作りにして、手作りでないものは手抜きで、手抜きは手作り教にとって重罪。
心筋梗塞で倒れた母が、年の暮れに死んでしまったあと、押入の箱にぎっちり詰め込まれた、見覚えのある服を引っ張り出す。
その古い子ども服をじょきじょき切って、ハナがつくった「記憶の絵本」。妹の娘のモモコがそれを見ながらべらべらと話をつくっていく。
▽モモコの切れ目ない声を聴いていたら、なんだかわくわくしてきた。私たちがかつて袖を通していた服で、幼いモモコが物語を作っている。(168p.)

日本共産党


日本共産党
筆坂秀世
\714
新潮新書
2006年

宮本顕治が死んだので、キョウサントーを離党した(除名された?)人のこんな本もあったなーと図書館で借りて読んでみた。

キョウサントー、自分たちだけが正しい、という姿勢がもうちょっとどないかなれば、もうちょっとどないかなるような気もするが、それは無理か?

共通点を見つけてそこで共闘しようという意志はほんとうにあるのだろうか?

新聞報道によると、今のコウメイトーの代表は、おそらく宮本顕治をまったく知らないか、全然分かっていないのだろう。まるで電報の例文のようなお悔やみを出していた。一方で池田大作が弔電を打ったというのがニュースになるというのも、なんというか、おもしろいような。

台所のマリアさま


台所のマリアさま
ルーマー・ゴッデン作
猪熊葉子訳
\1,575
評論社
1976年

エエ話だった。グレゴリーが、マルタのための「台所のマリアさま」をつくろうとし、つくりながら、変わっていく姿が、ほんとによかった。ゴッデンは、『人形の家』や『ねずみ女房』の人でもあった。

ツォツィ


ツォツィ
アソル・フガード著
金原瑞人、中田香訳
\1,575
青山出版社
2007年

▽ツォツィはそのとき気づいた。もうかつての日々にはもどれない。しかも、すべてはまだ始まったばかりで、これからもっとたくさんのことが起きる予感があった。ただ、次に何が起こるかはわからない、少なくともツォツィはそう思った。だが、この一日のあいだに、自分の人生に、突然、不思議な転機がおとずれたことだけはわかる。この先、もっといろんなことが起こるんだろう。いまだって赤ん坊がいる。明日になれば、かまってもらおうと泣きわめくだろう。(タウンシップにもどって赤ん坊にミルクをやろう。そのころには明るくなっているだろう)雌犬のこともある。これまでになく、そうした記憶のかけらをほかにも見つけたい気分だった。それから、物乞いに対する同情と、「なんでおれを殺そうとする?」と問われたときに気づいたこと。男の生死を決めるのは自分だという発見。これまでアタリマエだと思っていたすべてのことが、自分や自分の選択で決まっている。何よりもこの発見をしたことで、この二十四時間の隠された意味に手が届いたような気がした。
 ツォツィはつねに人生は一直線だと考えてきた。夕方、ターミナルプレイスから物乞いのあとを追ったときのようにわきへそれることもなく、横を走る鉄道の線路のように決まった場所へひた走る以外に選択肢はないのだと。それに、記憶が欠落していて、何ひとつきちんと思いだせないために、現在のできごとを過去の経験になぞらえることさえしなかった。つまり、ツォツィには、いまという時間しかなかった。一瞬の連続によって前へ運ばれるだけの人間には、なんの疑問も後悔も生じない。だが、どうやらそんな自分はまちがっていたらしい。たった一日で、人生に根幹が揺らいでしまった。
 人生には選択肢がある。そのことについては、今日の午後、すでにうすうす気づいていた。ブッチャーやアープといっしょに部屋にいても、今晩の「仕事」を選べなかった。そのうちに、選択肢というものが、自分の想像よりはるかに幅広いものだとわかった。「仕事」の種類だけでなく、どうやって、誰を襲うか決めなくてはならない。それに、殺しをするかどうかも選択肢のひとつだ。
 ある疑問が弾丸のようにツォツィの頭をぶち抜いた。おれはいつそんな選択をしたんだ?怒りと興奮がごちゃまぜになり、ツォツィは身震いした。立ち上がって、あたりをきょろきょろ見回す。おれはそもそも、いつ、どうやって、そんな選択をしたんだ?(155-157pp.)

ぴんはらり


ぴんはらり
栗林佐知
\1,470
筑摩書房
2007年

夏石鈴子がwebちくまで書評を書いていたので、図書館で借りてきてみた。表題作と、もうひとつ書き下ろしの短篇「菖蒲湯の日」が入っている。
先にするすると「菖蒲湯の日」を読む。それから「ぴんはらり」を読んだ。
「菖蒲湯の日」は、版下職人のタカモトさんが出てくる話。いや~な感じのすず子ちゃんもよく書けてる。タカモトさんが、「残業なんかやめときな」と先輩に言われて、それもそうだと思いつつも、目の前にある仕事を終わらせないわけにはいかないとやはり残業を続けるところなど、読ませる。

「ぴんはらり」は、方言で書かれたお話。読んでいくうち、びょんびょんと方言に入りこめる感じ。無理がない。語尾のあたりが加賀方言にもちょっと似ていて、富山のあたりの方言かなと思う。
もっと読んでみたいが、出版されてるのはまだこれ一冊。

夏石の書評
http://www.chikumashobo.co.jp/pr_chikuma/0702/070205.jsp

科学の社会化シンドローム


科学の社会化シンドローム
石黒武彦
\1,260
岩波書店
2007年

科学を蝕むミスコンダクト(不正行為)について書かれた本。科学と社会がたがいに影響をおよぼしあっていることを示しながら、どういう状況があって、論文捏造やデータ改竄などの不正が起こるようになっているのかを書いている。

▽科学の営みは、個人的なものと見ることができても、つねに人とのつながりをもっている。先人たちによって築かれた知識体系を礎とするとともに、ほかの研究者と知識を交換し、相互に意見を述べ合うことが欠かせないからである。研究は自らの知的空間で、新たな知識を創出する営為であるが、ほかから提供される知識がなくては前進できないものである。また、獲得したものを、知識体系に組みこむことが、科学の基本的なプロセスになっている。このことから、科学は社会的に構成される側面をもつ。科学知識の構築に携わる科学者は、社会的な存在とならざるを得ないのである。
 それとともに、生計をたてる手段を必要とすることがあげられる。資産家でもない一般人が、科学研究に没頭するには、近代以前であればパトロンの支持を得ることが必要であった。現代では、国家や企業をはじめとする社会的な組織から支援を得なければならない。(13-14pp.)

不細工な友情


不細工な友情
光浦靖子
大久保佳代子
\1,365
幻冬舎
2006年

夏石鈴子が、おもしろかったと話しているのを読んで、図書館で借りてきてみた。
http://www.webdokusho.com/rensai/sakka/michi62.html

ぷぷぷ。
夏石は「私は、女の人が書くものは、結構意地悪で、知的であって、乱暴なものが好きなんです。」と話している。

たしかに、おかしかった。ぷぷぷ。


こないだ、夏石鈴子が『いらっしゃいませ』のことを朝日のPR誌「一冊の本」(2003年5月号)に書いているというのを見つけて、図書館のコピーサービスに申し込んだ。

ああ、こういう経緯があって、夏石は『いらっしゃいませ』を書いたのか、と思った。

絵本たんけん隊 小さなまぶしいタカラモノをさがしに…


絵本たんけん隊 小さなまぶしいタカラモノをさがしに…
椎名誠
\2,625
クレヨンハウス
2002年
 
 
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乱読ぴょん

Author:乱読ぴょん
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本ネタのミニコミ誌『ブックマーク』を編集発行しています(1990年9月創刊~ 昔は隔月発行でしたが、今は年2回発行で、現在87号)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2014年4月(313号)より「本の道草」を連載中(現在、第39回)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2004年3月(192号)より2014年3月(312号)まで、本ネタ「頭のフタを開けたりしめたり」を連載(全119回、連載終了)。

『くらしと教育をつなぐWe』誌で、1999年4月(71号)より2014年2月(188号)まで、本ネタ「乱読大魔王日記」を連載(全118回、連載終了)。

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