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読んだり、書いたり、編んだり 

内田樹『街場のアメリカ論』NTT出版、2005年

内田樹『街場のアメリカ論』NTT出版、2005年

▽「ジェンダー・コード」以外にも人間の行動や思考を解明するのに適用できるコードはいくつもあると私は思っているのですけれど、ジェンダー論者の多くは「性以外にも人間的経験の意味を考量するコードがある」という考え方をすること自体、その人が父権制イデオロギーに毒されていることの証拠であると言われてしまうので、話がそれ以上先に進まなくなってしまうのです。(193ページ)

内田樹『街場のアメリカ論』NTT出版、2005年

内田樹『街場のアメリカ論』NTT出版、2005年

▽性意識というのは「背が高い」とか「鼻が丸い」とかいうのと同じように、自分ではどうしようもない「所与の条件」であり、私たちにできることは、その自分がそこに産み落とされた条件をどうやって「あまり気にしないで」暮らしてゆくか、ということでなないかと思うのです。
 「背の高い」人が、みんなが何よりもまず自分の背の高さに注目しており、自分のあらゆる言動は「背の高さ」という条件づけとの関連において解釈されているのだ…と思い込む姿って、ちょっと悲しくありませんか?
 「ヤマダくん、あの本取って」「背が高いから、取りやすいだろうと思うの?」「ヤマダくん、スズキどこにいるか知ってる?」「背が高いから、遠くまで見えると思うの?」「ヤマダくんてバスケうまいね」「背が高いから、どんくさくてもシュートできると思うの?」…なんて言い出したらきりがありません。
 でも、性意識の強い人というのは、少しそんなヤマダくんに似ています。自分の言動についてのどのようなコメントも、どのような評価も、すべては自分の性に関連づけて解釈する人の不自由さを私は少しもよいことだと思いません。…(189-190ページ)

 …ジェンダー・スタディーズの教室ほど「男とはどういうものか」「女とはどういうものか」についての規範的言明が口にされる場所はありません。ジェンダー構造について批判的に言及する場合でも、語られることばのほとんどが「男らしい」とはどういうことか、「女らしい」とはどういうことかをめぐっている。その結果、ジェンダー・スタディーズを学習したことによって、社会問題のあれこれが性的含意を持つものとして見えてきて、周りの人の言動のひとつひとつが自分の性についての言及のように思えてくるようになる。そんなふうにして、四六時中、「性」のことばかり考える人間を作り出すことが、「性差からの自由」を実現したのか、「性差への固着」を実現したのか、私にはよくわかりません。(191-192ページ)

内田樹『街場のアメリカ論』NTT出版、2005年

内田樹『街場のアメリカ論』NTT出版、2005年

▽スタンダールは『赤と黒』の巻末に To the happy few 「幸福なる少数者へ」という献辞を記した。彼の作品の真価を理解してくれるであろう少数の読者に感謝と祝福を送ったのである。この happy few には彼の同時代の「趣味のいい読書人」はたぶん含まれていない。そういう「内輪のめくばせ」ではなく、これは「未来の読者」に宛てたメッセージのように私には思われる。同時代には理解されなくてもいい、けれども「こことは違う時代」「こことは違う場所」の人々の中にはこの小説をよむことのうちに深い愉悦を見いだす人がいるだろう。たぶんスタンダールはそう考えていたのである。
 こういう姿勢は大切だと私は思う。「こことは違う時代」「こことは違う場所」の人々にも届くことばを書き記すこと。それは排他的で誘惑的なエクリチュールとはめざすところがずいぶん違う。私はそういう書き方をしたいと思ったのである。(259-260ページ)

久田恵『欲望する女たち』文藝春秋

久田恵『欲望する女たち』文藝春秋、1998年



▽そう、その日は、慶応幼稚舎の合格発表の日でした。見れば受験日には、紺のスーツ一色だった「お受験ママ」たちのお洋服が、もうおかまいなしに派手になっていました。
 ピンクのショールや真っ赤なマニュキアなんていうのもあって、あらあ、雰囲気は一変したわ、と思うまもなくでありました。(102ページ)



→ マニキュア



※マニキュアと耳にするような気がしつつ、字でみると「マニキュア?マニュキア?どっちや?」と思う。辞書を引いてみると「manicure」と書くそうなので、どちらかといえば「マニキュア」かと思われる。

喫茶店

 朝からどよーんと曇り空。予報どおり、今日はぜったい降りそうな空。今日もぬくい。
 さーて領収書の整理やってしまうかあ!!と思っていたが、朝からやたら眠く、眠く、眠く、布団に戻って本を読む。久田恵の『母のいる場所』の続き。時々うとうとしながら、そのあと『大丈夫。』を読む。『大丈夫。』は、久田が母親を亡くした前後の話。『母のいる場所』は、みっちりと介護話だったが、こっちはもう少しつきはなしたような位置から書いていて、『母のいる場所』とあわせて読むと、話が立体的にみえるような気がした。

 結局昼頃まで布団でごろごろして、テレビを見たりしてから、昼ご飯。雨がちょっと降ってきた。Tkちゃんからメールがきて、今日は出られそうだと言うので、オヤツの時間に図書館で落ち合うことにする。駅近の喫茶店で、2時間ほどあれこれとしゃべる。マスター手製のケーキがおいしい。コーヒーもおいしい。Tkちゃんは胃痛もおさまったそうで、ちゃんと化粧もしていて、だいぶ気分がもちなおしてるようだった。いまの最大の関心事は4月に復職できるかどうか。復職への希望はあるが、いろいろと不安が渦巻いているようなので(しかもそれを医者に話しきれていない感じなので)ちょっと書いてみたら~?とすすめてみる。

 そのあと一緒にぶらぶらと買い物して、わかれた。雨がぱらぱらと降り出した。いったん帰って、しばらく本を読んで、それから手話に行く。今日はほぼ「例文」の練習。会話文などを読み上げてもらい、それを手話で表現するようなやつ。最近は、だいたいできるようになってきたつもりでいたが、今日はちょっとつまった。「(誕生日の)プレゼントは何がいいかな?」  「プレゼント」のあと、ん?と止まってしまう。 できる人の教えによると「プレゼント + 何? + 良い + ?」でいいのだというが、その場ではなんだか腑に落ちなかった。もちろん、ふだん人としゃべってるときに、腑に落ちたから言葉が出ているわけではないが(たぶん)。

 手話がすんだら、雨がちょっと強くなっていた。帰って、晩ご飯は豆カレー(ちょっと肉入り)。久田恵の『家族を卒業します。』を読んでしまい、続けて『欲望する女たち』を読む。
 
 
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乱読ぴょん

Author:乱読ぴょん
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本ネタのミニコミ誌『ブックマーク』を編集発行しています(1990年9月創刊~ 昔は隔月発行でしたが、今は年2回発行で、現在92号)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2014年4月(313号)より「本の道草」を連載中(現在、第67回)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2004年3月(192号)より2014年3月(312号)まで、本ネタ「頭のフタを開けたりしめたり」を連載(全119回、連載終了)。

『くらしと教育をつなぐWe』誌で、1999年4月(71号)より2014年2月(188号)まで、本ネタ「乱読大魔王日記」を連載(全118回、連載終了)。

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