読んだり、書いたり、編んだり 

最澄と天台の国宝展@京都国立博物館

最澄と天台の国宝展@京都国立博物館を見物。

 地獄絵図がようけ出ていた。こういう「地獄」のイメージはどこからくるのであろうか。ポスターにもなっていた聖観音立像は、じつに癒し系であった。
 その他、鎌倉時代のかっちょいい仏像やら、いろいろな仏像が楽しめた。しまいのほうにあった烏天狗が出てくる絵巻が、かなり笑えるものであった。烏天狗も国産と、ヨソの産のがおるらしい。
Genre : 日記 日記

ぜんざい

 朝から土鍋ご飯を炊く。昨晩大豆をゆでたので、豆入り味噌汁(昨日の残りに、ゆで大豆を投入)、それと卵とゆで大豆炒め。切り干し大根の甘酢漬け

 それからコーヒーを飲んで、京博へ行こうとておにぎりをつくる。天気もいいし、鴨川べりで食べようかと。
 デジカメ小僧と化した同居人がおにぎを激写、さらにはプリントして色やら何やらを思案しているもよう。「おにぎりより、鴨川べりで激写しようや」とようやく昼前になって出かける。いい天気じゃ。
 
 空港バスで京都まで。京都駅から七条へむかって歩く。同居人は首からカメラをさげて「まるでステレオタイプの日本人観光客」になっている。眼鏡かけてるし。
 鴨川べりへ下りて、おにぎりを食べる。うまい。同居人は食べながら、川のなかの鳥や、川縁の鳩を激写。

 博物館は「最澄と天台の国宝」展。同居人のおふだで、2人ともタダで入る。雪舟展のようなことはないが、それでもけっこうな込みよう。仏像あり、曼陀羅あり、お経あり、いろいろバラエティに富んだ展示でおもしろい。
 博物館を出たところで鶴屋吉信が臨時店舗を出していた。そこでぜんざいを食べる。うまい。もちろん同居人は「ぜんざい」を撮影。

 それからまた駅まで歩く。近鉄プラッツの中をちょっとだけのぞいて、満員満席の空港バスで帰る。しばらく本を読んでいたが、とちゅうからぐうぐう寝ていた。空港近くになって「VIP通過のため通行規制で渋滞」と告げられる。ヒコーキに乗る人はいらいらしていたようだが、ゆるゆると寝ていた私は「もうちょっともうちょっと」と気持ちよく睡眠。

 晩ご飯は、延期になったキンピラ。これは「究極のキンピラ」レシピにしたがって同居人が制作したが、赤唐辛子をきらしていたので七味を振ったところが、調子に乗って振りすぎて、かなり辛くなった。歯ごたえと香りは“究極”ぽかったけど。
 あと、レタスの酢の物、広島から持って帰ったカボチャを煮付けて、大根と人参と大豆とワカメ入り味噌汁、それと炙ったテンプラにご飯。
 
 今日は中国茶なしというので、熱い麦茶をいれて、ぐびぐび飲みながら、干しマンゴーをちょっとかじる。

 『吉原御免状』を読む。舞台では、セリフによる説明が多すぎる気がしたが、小説として読むと、舞台をみていることもあって、わかりやすい。耳できいて、どういう字をあてるのか分かっていなかったところなど、「ああこういう字を書くのか」と分かったところもある。

 同居人はあいかわらず写真プリントに夢中。

映像というメディア

 天気よし。洗濯する。ああきもちいい。
 散歩にでも行こうかと思いながら、だらだらとウチですごす。結局夕方までうちでだらだら。
 
 日が暮れるころ、梅田へ向かう。その前に、図書館で返して借りて、と思って5時前に一生懸命歩いていったら、閉まっていた。がーーん。最終木曜は休館日やった。

 しかたないので、返すつもりだった本をまた読みながら梅田へ行く。
 本屋で妹1号と待ち合わせ。広島土産の柿やら竹輪やらを渡す。加工した「蕪と金時人参の甘酢漬け」も入れた。

 妹は用があるというてすぐ帰り、私は講座が始まるまで、本屋をうろつく。久々に料理本のコーナーをうろついてみた。ああうまそう。

 講座。今日はビデオ工房やってる人の話。
 映像というメディア、とくに映画は、昔は「高いもの、ちょっと手の出ないもの」だった。そういう話を、たしか小説家が書いていた(誰やったか忘れた)。小説は紙と鉛筆があれば書けるが、映画はとにかくお金がいるのだ」というようなことをその人は書いていた。…赤川次郎やったっけ。
 こないだの衆院選が終わったとき、(嘘も百遍言うたらホンマになる)という感じがした。かなり安価に入手できるようになった機材を使って、市井の人たちがフィルムをつくっていく、表現していく。それは大きな声に対しては、ほんの「一」くらいの存在かもしれんけど、自分のメディア(映像に限らず)をもち、表現するのが楽しい、つくるのが楽しいというのがいいところやと思う。

 帰ったら、同居人がビールを2リットルほど飲んでいた。ちょっと放置するとどうしてこんなにビールを飲むのであろうか。

麻婆高野

 いい天気。ああいい天気。きもちいい。洗濯して干す。ええ天気やなア。

 広島から持って帰った西条柿が熟れ熟れ。急いで調べると、西条柿は熟すのがはやいらしい。そうだったか・・・。まだ比較的堅めのものを冷蔵庫につっこみ、やわやわになっているものをいくつか剥いて加熱&寒天投入。柿をかためました、というかんじのオヤツになった。

 いい天気なので、空港へ散歩にいく。てくてく空港を一周。天望デッキで絵はがきを何枚か書いて、それを投函がてら、本屋やら土産物屋をぶらぶらしてもう一周。コーヒーを買ってきて、天望デッキでぼーっとする。それからちょっと本を読む。日が暮れてきたので、いったん帰って、買い物に行く。

 サンマの予定が、塩サンマしかおらなんだので、メニュー変更。
 奥薗壽子の本でみてつくってみたかった「麻婆高野」をつくることにする。豆腐ではなくて、高野豆腐でつくってしまうというわけだ。わくわく。

 ごま油でニンニクと生姜と豆板醤を炒めていると「麻婆の素」がなくても、そういうニオイがしてくる。レシピには長ネギと書いてあるが、忘れたので玉葱を入れる。まあええやろ。レシピにはオイスターソースと書いてあるが、切らしているので、ナンプラーと醤油とテンメンジャンを入れる。おお、それらしい。
 レシピ通りだとちょっと水が多いようで、しばらくぐつぐつ煮立てる。水溶き片栗粉でとろっとさせて、ニラをまぜて、おおそれらしい。
 サイドメニューは切り干し大根とキュウリとレタスのサラダ。
 
 熟れ熟れ柿で、柿ジャムをつくってみる。まあ、いけそうか。同居人が新しく買った中国茶をいれる。「大禹嶺」という高級烏龍茶。高いだけあるということか、何煎いれてもうまい。

クーブイリチー

 雨である。昼に妹たちと外食予定なので、朝ご飯はかるく。柿ジャムを食べてみる。かすかな渋みがあるような気もするが、ジャムとしてはいけるじゃろ。

 食後、同居人が中国茶をいれてくれる。今日は「東方美人」。紅茶のような色と香り。ほおおおおおおっとする。

 図書館経由で難波へ出る。こないだ芝居をみた「吉原御免状」の原作を借り出し、それを読みながら。隆慶一郎の小説を読むのは初めて。

 11時半から予約していた店で、妹1号、妹2号とその夫と一緒に5人で。前菜から美しい。スープもおいしい。自家製パンがどれもうまい。私は2度目、ほかはみんな初めての店だが、うまいうまいとよろこんでくれたので、よかった。2時間弱、ケーキとコーヒーまで、たくさん食べたように思うが、お腹にもたれるわけでもなく、ひじょうにまんぞく。食後、解散。

 雨があがったので、同居人と心斎橋筋をぶらぶら北上。途中で、新しく開いたそごうへ入ってみる。空いている。フロアは見渡せるくらいで、こぢんまりした印象。14階(+地下2階)まであるのは(ようけ階があるなあ)と思う。それからまたぶらぶらと本町まで歩く。そこから電車に乗って帰宅。

 ちょっと歩き疲れて、帰って昼寝。ぐうぐう2時間ほど寝る。その間に、同居人のもとにはプリンタ(デジカメ用)が届き、昼寝もせずに、早速プリントしまくり。これがきいきいとけっこううるさい。一世代前の機種なのでうるさいが、新しいものだともっと静かになっているらしい。

 同居人がデジカメプリントに夢中で、予告していたキンピラづくりを延期するというので、晩ご飯をつくる。
 クーブイリチー(昆布と豚と干し椎茸の炒め煮)、キュウリの酢の物、広島みやげの竹輪、大根・人参・里芋・玉葱の味噌汁、ニンニクの奈良漬けに土鍋ご飯。

 食後にまた同居人が中国茶をいれる。夜は「古典凍頂烏龍」。オイシイ。

大阪→福山

 父ちゃんのお供で、福山へ。

 カマスの開きがうまい。

福山→大阪

 おばちゃんちの近所を父ちゃんとぶらぶら歩く。
 そのあと、父ちゃんは留守番すると言い、私はおばちゃんとおっちゃんに連れられてスーパー2軒をまわる。お土産は食い物。「ほしいものを買いなさいよ」と言われ、これはオイシイと聞いたかぼちゃや金時人参や小蕪などを籠へ入れる。結局、妹たちの分も含めて西条柿を1箱(10キロ)、それとホンマの竹輪。加工されてないままかりがあった。焼いて酢漬けなりなんなり、自分でやってみたいと思うが、さすがに4時間ほどの道程になるのでやめる。

 昼はシマアジの刺身、豆腐をたいたやつなど。ガスで炊いたご飯もうまかった~。ご飯の後に、ピオーネ、それと土産用の西条柿を味見。よく熟れてる。

 はやくはやく、暗くなる前にと父ちゃんが騒いで、せわしない出立。
 しかし高速の乗り口を間違えて、一般道を次のインターまで走る。
 
 すっかり暗くなって到着。
 
 小蕪の甘酢漬け。蕪の葉のゴマ和え。もらってきた練り物をあぶったやつ。ゴボウ、人参、里芋、油揚げなどをいれた味噌汁に、土鍋炊きのご飯。

 巻き戻しテープを見ているような日本シリーズ。阪神はまたもや10-1で負け。

肉まん帽

 失業認定日ということで、自転車で職安へ行く。天気はまあまあ。職安の近くまでくると、歩いている人のなかで(あ、この人はたぶん職安へ行くんや)というのがなんとなく分かる。自転車で、歩く背中を見ながら追い越した人が、やはり職安へ入ってくる。ということは、私の背中もこういう“失業者”の風情をかもしだしているのであろうか。

 書類を出して、ちょっと呼ばれて、「この日は原稿書きました、この日は校正の手伝いをしました」というのを申告する。1日あたり3時間程度なら“手伝い”で、4時間を超えると“就労”になるらしい。役所の線引きは実感にはそぐわないと思うが、言われるとおりマルやバツをつける。

 そのあと求人検索をしてみる。30分もみていたら、目が痛くなってきた。何枚かプリントしてみるが、「8時~17時」とか「9時~18時」といった勤務時間を見ていると、(こんなに働けるんかいなあ)という気分になる。2ヶ月前まではこりこりと勤務していたのに、1日に7時間も8時間も会社勤めをするのは長いのではないかと思うようになっている。とにかく「会社へ行くのが楽しい」と思えるようなところとご縁があるといいんやけど、あるかなあ…
 
 職安の帰りにTKちゃんちへ行く。TKちゃんは調子があまりよくないらしく、だるそうで、とりあえず柿をむいて食べて、しばらくしてケーキを食べて、そしたら昼ごはんをつくる感じではなくなってしまった。

 私はコタツでまた編み物。編みかけだった帽子を、減らし目をしていって、しぼったら、肉まんのような帽子ができた。糸がヒジキ混じりのようなやつなので、「ヒジキ饅帽」とよぼうか。おなじ糸で編んでるマフラーもだいぶ長くなった。

 日が暮れてきて、いったん帰って、晩ご飯にドライカレーをつくる。茄子入りのやつ。なかなかうまくできた。それと、レタスとキュウリと人参のサラダ。それだけつくって、手話に行く。今日は「手話語り」のビデオを途中までみて、そのあとはまた古い「みんなの手話」ビデオをみた。

 日本シリーズは阪神の4連敗でロッテの勝ち。1勝もできんところが、さすが阪神というか…

 同居人は夜介護へ行き、私はまた今日も汗がたらたら流れるまで腰湯。ぬくもるなア。田辺聖子の『歳月切符』に入っている「わが街の歳月」がいい。越路吹雪が最後に入院したときの言葉が印象に残る。

さむい

 同居人は昨晩結局飲んだくれたらしく、今朝帰宅。酔っぱらいの勢いか、梅田からウチまで雨がしとしと降るなかを歩いて帰ってきたという。それでちゃんと歩けないくらいよれよれになっている。あほか。

 私も日曜美術館を忘れて、昼ごろまで寝ていた。さすがにお腹が減ったので起きて、朝ご飯にするつもりだったサツマイモ入りご飯を炊く。もちろん土鍋で。ご飯を炊いてる横で、ゴボウと豚をじゃんじゃん炒めたのと、切り干し大根のサラダと、ゴボウ、大根、人参、里芋、油揚げに昆布を入れた味噌汁をつくる。ほとんど昼ご飯の時間に食べる。サツマイモのほこっとした甘味があって、ご飯がうまい。お焦げもちょっとできて、うしし。あーおいしかった。

 昼から同居人はまた布団に入ってしまい、私は本を読んでいた。内田樹の『「おじさん」的思考』を読むのは初めてではないが、また読みたくなったので借りてきた。最終章に入っている漱石にまつわる「大人」がらみの文章がおもしろい。しっくりすべてを「わかった」とは思えないけど、書いてあることは掴める気がする。漱石の「虞美人草」は読んでないので、そのうち読んでみて、それからまたこのテキストを読んでみたい。

 閉館間際に図書館へ行って、返して借りる。雨はもうあがっているが、今日もたいして陽は差さず、さむかった。晩のおかずを何にしようかしらと思案しながら買い物して帰宅。サツマイモご飯と野菜の味噌汁は昼の残りがある。エノキダケを電子レンジで加熱して、すだちをじゅじゅじゅと絞り、かつぶしを散らしてポン酢をたらーっとかけたので一品。それと、茹でた大豆もやしと、千切りの人参の上に、焼き肉のたれでじゃっと炒めた薄切り牛を並べ、上に貝割れ大根を散らしたので一品。肉と野菜は混ぜながら食べると、焼き肉とナムルを和えたような味で、テキトーにつくったわりに、かなりうまかった。ご飯をもりもり食べると、さすがにお腹いっぱいでちょっと苦しい。

 日曜美術館で京博でやってる天台宗の特集をみて、それから梨をたべる。おつとめ品の梨もじゅうぶんウマい。

内田樹『「おじさん」的思考』晶文社

第四章 「大人」になること--漱石の場合

▽今の学校教育における「教育崩壊」は、要するに、知識が技術を「学ぶ」ためには「学ぶためのマナーを学ぶところから始めなければいけない」という単純な事実をみんなが忘れていることに起因する。学校というのはほんらい何よりも「学ぶマナーを学ぶ」ために存在する場所なのである。
 子どもというのは(教育学者が夢見がちに語るような)「無垢な存在」ではない。
 子どもの頭はみすぼらしい偏見と予断とトリヴィアルな知識であふれかえっており、子どもはそのゴミのような情報とスキルを命がけで守り抜こうとする。
 ゴミ知識とゴミ・スキルを量的に拡大することを「学ぶこと」だと思っている限り、子どもは永遠に子どものままである。
(224-225ページ)

内田樹『「おじさん」的思考』晶文社

第四章 「大人」になること--漱石の場合

▽…この対話のうちには、漱石が『虞美人草』で言おうとしていた大事なことのかなりの部分がすでに書き込まれている。
 行動を起こす前に、「予定」を立てることを甲野くんは主張する。
 予定を立てる暇があったら、何度でも、さまざまな行動が可能であると宗近くんは反論する。
 ここには言葉以上の決定的な違いがある。
 「予定を立てる」ということは、現在の「私」の価値判断や推理能力を固定的なフレームワークとして、それを未来に適用することである。
 「予定」というのは、未知のもの、予測不能のもの、フレームワークを逸脱するものを、「想定しない」ことによって成立している。
 「明日の三時に、三宮駅前でね」と約束する恋人たちは、今夜半にゴジラが神戸に上陸したり、火山活動で六甲山が山崩れする可能性を排除している。排除しなければ、予定なんか立てられない。
 宗近くんは「分かるものか」「知るものかね」と繰り返す。自分の前にどのような未来が開けているのか、どのような不測の事態が待ち受けているのか、「知るものか」と宗近くんは言う。
 それは単に「未来は予測不能である」ちう事実認知を語っているのではない。「未来は予測不能である」ことを腹に入れておいたほうが、「予測不能」の事態に遭遇したときに生き延びるチャンスが高いという遂行的真理をも語っているのである。
(204-205ページ)

土鍋でご飯(II)

 オヤツのあとは、編み物。急に冷えてきたし、はやいとこマフラーと帽子を仕上げたい。すっかり日が暮れるまで編んでいて、マフラーの1玉目が終わった。今日は一緒に晩ご飯を食べることにして、TKちゃんちの冷蔵庫にあるもので考える。茄子とジャガイモとキャベツ、トマト、ニンニク、卵。冷凍庫に豚肉。
 これらの材料で、蒸し茄子の胡麻味噌和え、豚とジャガイモとキャベツの炒め煮(ニンニク入り、醤油味)、トマトと卵の炒め物の3品をつくる。ご飯はまた土鍋で炊く。昼の残りも並べて、ご飯だご飯だ。

 土鍋で炊いたご飯はやはりうまい。おかずもテキトーにつくったわりにはうまい。もりもりご飯を食べる。ああもう電気釜には戻れないかもしれない。でもこれから鍋の季節になるから、ご飯用にもう一つ土鍋か、それか羽釜でも買おうかしらと思うくらい。

 日本シリーズは、かなりの得点差のまま濃霧コールドで阪神が負け。初戦を落として、このあといけるんやろか。冷えた日だったせいか、肩こりがひどいというTKちゃんの肩をしばらくもんでから、帰宅。日も暮れて、帰りも寒かった。

 
 
 
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乱読ぴょん

Author:乱読ぴょん
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本ネタのミニコミ誌『ブックマーク』を編集発行しています(1990年9月創刊~ 昔は隔月発行でしたが、今は年2回発行で、現在87号)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2014年4月(313号)より「本の道草」を連載中(現在、第37回)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2004年3月(192号)より2014年3月(312号)まで、本ネタ「頭のフタを開けたりしめたり」を連載(全119回、連載終了)。

『くらしと教育をつなぐWe』誌で、1999年4月(71号)より2014年2月(188号)まで、本ネタ「乱読大魔王日記」を連載(全118回、連載終了)。

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