読んだり、書いたり、編んだり 

晴れのち曇りのち雨(VI)

 昨日借りた2冊を読んでしまい、閉館ぎりぎりで図書館へ返して、また2冊借りる。そのあと本屋で立ち読みして、晩ご飯の買い物をして出たら、雨が降っていた。たいした雨ではなかったが、だんだんだんだん降ってきた。

 晩ご飯
 サンマの塩焼き+大根おろし+かぼす
 芽ひじきと人参と油揚げの煮物
 白菜ともやしの胡麻和え
 ご飯のあとに、鳥取土産の梨をむく。うーまーいー

 今日借りてきた『健全な肉体に狂気は宿る』を読んでしまう。内田樹と春日武彦の対談。

 横浜トリエンナーレへ行きたし。ちょうど10月初旬には、Tさんの切り絵展もある。どうやったら安く行けるかを同居人に調べてもらうと、やはり高速バスらしい。片道は8000円くらいで、9時間もかかるそうなので、(ちょっと足してヒコーキ…)と思うも、往復だと一気に10000円に下がると聞くと、(やはりバスか)と思う。

 名古屋もバスで行くと安い。こんどはぜひバスで行こう、次行けるとしたらいつかなと同居人がカレンダーを見るので「その前に岡山である」と、岡山県美の「岡山美術百科展」を思い出させ、岡山までのバスと岡山の宿を調べる。大阪~岡山路線もあるので、そんならば倉敷の大原美術館とセットで行こうかと。わくわくわく。

いっしょに昼寝

 昨日とうってかわってエエ天気。朝から洗濯して干す。昨日途中まで読んだ『勉強ができなくても恥ずかしくない』を読んでしまい(これは小説なのであった)、これも昨日途中まで読んだ『イメージを読む』の続きを読む。

▽絵を見るという行為は、いつでも、作者の見た目で、世界を見るという行為です。また、見る人間もそこに参加します。そうして、今度は自分の目でそのイメージから自分の意味を引き出すのです。そこにはいつでもさまざまな体験や感情や経験をもった人間のコミュニケーションが成立します。そして人間はいつでも、ことばによってのみコミュニケーションをするのではなく、ことばにならないものを、イメージによって伝えてもいるのです。(197-198ページ)

 昼ご飯はTKちゃんと一緒に食べることにして、昼前にひじきの煮付け、白菜ともやしの胡麻和えをタッパに詰めて、玉葱と冷凍庫にあった鶏モモと黒酢を持参してTKちゃんちへ行く。その場で、鶏モモをじゃじゃじゃっと炒めて、玉葱入れて、黒酢と醤油と黒胡椒でじゃおじゃお煮込む。鶏のアドボ風できあがり。2人でがつがつご飯を食べる。うまい。

 外は天気がよく、さわやかで暑くもなく、2人してごろんと寝入ってしまって、気がつくと4時ごろ。気持ちのいい昼寝であった。TKちゃんは病院へ行き、私は鶏のアドボ風をちょっと持ち帰り。

 晩ご飯(ビール飲みながら阪神戦を見られるのがイイという同居人の要望あり)
 ビール
 豚キムチ炒め(生姜、ニンニク、ニラ入り)
 蒸し茄子の胡麻和え
 キュウリの中華風即席漬け
 ひじきの煮付け(残り)
 鶏と玉葱のアドボ風炒め
 鳥取みやげのアゴ竹輪
 北海道みやげのチーズ(残り)
 締めはお茶漬け。

 阪神がセリーグ優勝。下柳の言動がオモロイ。井川が見当たらん。

職安へいく(II)

▽春日 たしかにそうでしょうね。で、われわれの場合だと、全然しゃべらないとか、意味のわからないことしか言わないような相手と、なんとか仲良くしなければいけませんからね。とりあえず手を握ったままじーっと座っているとか、そういうことしかできないわけですよ。
 そうすると、向こうとしても、ずーっと一緒にいてくれたということだけはすごく覚えていたりするわけで、少なくとも、誠意は通じているんだなあという気はするんですが…。
 内田 そういうふうに「通じる」ものって、言語的なメッセージとは違う次元のものですよね。仕事ってそういうものだと思うんです。仕事を自己実現とかキャリアアップとか、自分の力で世界を加工し切り開いてゆくという図式で捉えるのはもうやめた方がいい。そうではなくて、世界の方が自分に向けて呼びかけてくる、それにどう応えるか、という対話的なスキームで捉えた方がいいと思うんです。
 ただ、ドアの向こうから聞こえてくるはずの「どうぞ」という声は、実際の声じゃなくて、無言のメッセージですからね。それが聴き取れない人はどうしても自分でドアをこじ開けようとしちゃうんでしょうね。(55-56ページ)

 昼頃雨があがったようなので、昼ご飯を食べてから自転車こいで職安へいく。でも雲が多いなあと思っていたら、職安まであともうちょっとのところで、ばたばたと雨が降り出した。えええええ。しっとりとして職安到着。そこで求職の申し込みをする。どんな仕事に就きたいか、第2希望まで書くようになっている。どういう求人があるんやろうなー、私ができそうなのがあるかなーと思案していたら、けっこう時間がかかる。

 紙を出してしばらく待ったあと2階で審査を受けた。いろいろ苦労して(多少いやな思いもして)こないだの会社から離職票を取ったのに(ついでに、こういうことがありましたというのも紙に書き出していったのに)、私の場合は、3月末に辞めたほうの離職票で今回「失業給付」を受けることになるのだと言われる。そっちは“契約満了”で辞めているので、7日間待機のあと、すぐに給付される。それはそれでありがたいのだが、(4月から8月まで掛けたぶんの雇用保険はどうなるんや?)とまだよくわからない。

職安へいく(I)

 今日は職安へ行くぞと思っていたところが、朝から雨である。昨晩からしとしとと降り続いていて、(朝から行くぞ)と思っていたものの、自転車で行くつもりなので、天気予報など見ながらとりあえず雨があがるのを待つ。

 昨日読んだ『健全な肉体に狂気は宿る』のなかの、キャリアってのはこじ開けるものではなくて、呼ばれるものだという話が印象に残る。これててウェーバーが言うてた「天職=神さんに呼ばれた仕事」って感じ?

▽内田 ぼくは「自己」という概念もそろそろ改鋳した方がいいと思っているんです。だって、「自己」って単体で存在するわけではなくて、人間たちを結びつける社会的なネットワークの中でどういう役割を演じるかということで事後的に決まってくるものなんですから。(中略)
 …健全な人というのは自分の世界が広がってゆく人、ということになりますよね。ネットワークが増殖して、体から触毛みたいなものが出てきて、それがいろんな人とつながっていって。そういうゆるやかな共同性の中で、まわりの人が自分をどんなふうなものとして受容しているか、自分に何を期待しているか、自分をどんなふうに必要としているか…という仕方で自己をとらえてゆくというのが一番確かな自己把持だと思うんです。
 就職活動をしている学生によく言うんですが、(中略)キャリア形成ということを「しまっているドアを自分の力でこじ開ける」ことだと思っている。でも実際は、ドアはあちらから開くものであって、こっちからは開けられない。あっちから「どうぞ」って呼ばれない限りは開かれない。そういうものなんです。
 そのへんのことが彼女たちにはわかってない。「キャリアって自分で形成するものじゃないんですか?」ってきょとんとしている。「君の能力や資質のうち、他人が必要とするものを提供し続けてゆくことが『キャリアパス』なんで、どれがキャリアになるかを君は自己決定することはできないんだよ」って言っても、意味がよくわからないみたいですね。
 「自分はこれがしたい」ということは、一生懸命言うんだけれど、「自分は他人のために何ができるのか?」という問い方は思いつかない。でも、「誰が自分の支援を必要としているか?」という問いを自分に向ける習慣のない人間は社会的にはほんとうは何の役にも立たないんです。(51-52ページ)

晴れのち曇りのち雨(III)

 仕方がないので、入試用に転載された私の文章を読んでみる。大学入試における現国の選択問題を間違えないためには、いきなり先に「問」を読み、六割程度を外してから(この場合は(2)通信と(4)映像と(5)機械)、最後の二者択一時に出題の対象となっている文章の該当部分だけを読む、というのが正しい態度である(じゃなきゃ解けっこない。書いた本人がわからんのに)。

 《学者たちが「存在と時間」を巡って哲学するようになるのも、分単位の時計、電気、映画といった近代的aメディアが登場する前世紀末を待たねばならなかった。》

 しつこいが、書いた本人としては正確にいえば、ここでいう「メディア」は、やっぱり通信や映像などを含む媒体または空間、という意味に私は使っている。同書のなかで私は、むしろメディアを単に新聞やテレビという狭い使い方ではなく、媒体、ひいては空間として捉えることを提唱したのだ(問題文にその部分は出てこないが)。もちろん、肉声による会話も立派なメディアなのである。肉声は、空気の振動によって伝わる。したがって、メディア=媒体=空気という等号が成り立つのだ。

 ところで、こうして出題された私の文章を読むかぎり、ここでいう「メディア」の意味としては(2)通信と(4)映像は違うけれど、(5)機械でも悪くはない。いや、《時計、電気、映像》が例示されているのだから、(1)空間でも(3)媒体でも(5)機械でも私的には正解だ。

 おそらく出題者的には正解は(3)媒体だと思う。しかし、メディア=媒体っていうのが答えだったら、いくらなんでも問題として安直すぎないか。やはりこれでは「問」だけ先に読んで解答しちゃったほうが正答率はぐんと高まる。

 問三と問四は、さっぱりわからなかった。問五から問七は正解の察しはついたが、解き進むにつれて、私は出題者の悪意に吐き気を催した。いろいろな背景を複雑に交錯させながら書いたのに、《著者が念頭においていたと思われる背景を一つ》と著者の繊細(いつから繊細?)な感情を逆撫でし、私が一万二〇〇〇字もかけて書きつづった一章から二〇〇〇字分だけ抜き出してきて、しかもそれを《五〇字で要約しなさい》と恐ろしいことを平気でいう。五〇字で要約できるなら、私だって最初からそうしている。莫迦も休み休みいってもらいたい。(248-252ページ)

 昼頃から、Tkちゃんと「散歩にいくかあ?」とメールを交わしあうも、お互い昼寝に入ってしまって、起きたら降りそうな空。今日は散歩中止。

晴れのち曇りのち雨(II)

 それからコーヒーをいれて本を読む。長田弘の『読書からはじまる』にこんなところがあった。
▽書かれていないものを想像するちから、表されているものではないものを考えるちからを伝えることができるという本のちからに思いをこらすことなく、本を表現の道具やメディアの媒体にすぎないとしてしまうと、長い歴史をかけて、本がわたしたちのあいだに生みだし、もたらしてきているものが何か、見えなくなってしまいます。あるいは、そうした見えないものへの想像力に対して、およそ傲慢な人間になってしまいます。(19ページ)

 メディアの媒体?ちょっとよくわからん。
 このほかに、「子どもの本」について書いた章で、子どもの本の特徴として「年寄りが出てくる」ほか3点ほどあげてあったのが、おもしろかった。

 メディアの媒体ってのがよくわからんと思い、そういえば日垣隆もメディアについて、自分はこういう定義で使うというのを書いていたなと本を繰る。

▽普段なら、こんなふざけた報告書[入試問題に文章が使われた大学からの作品使用報告書]と入試問題など見ないのだが、今年は長女の大学入試の年でもあるので、とりあえず試しに一つだけ、私の『学問のヒント』(講談社現代新書)から一文を抜いた問題を解いてみることに。全部で一〇問もある。
 問一の漢字問題は楽々クリア。
 問二は、次のような問題だった。

 波線部aの意味としてもっとも適切なものを、それぞれ次の(1)~(5)の中から選びなさい。

 a メディア[波線あり]
   [選択肢](1)空間 (2)通信 (3)媒体 (4)映像 (5)機械

 ううむ。私が「メディア」という言葉を使う場合、通信(2)や映像(4)などを含む媒体(3)または空間(1)という意味に使っている。これはかなり厳格な定義である。同書にも、それは明記しておいた。が、その部分は出題の対象にはなっておらず、受験生は読むことはできない。仮に読んでいたら、この問題は解けないだろう。ということは、この出題者には国語能力が著しく欠けているか、それとも相当の悪意をもった男(たぶん男)だ。

 さて、常識的に考えて、メディアの意味として機械(5)でないことだけはわかる。(2)通信と(4)映像はこの場合「狭い」ので外してもいいのだろう。たぶんそうだ。とすれば、正解は(1)空間か(3)媒体である。

晴れのち曇りのち雨(I)

 朝は晴れていた。久々に絵はがきなど書く気になったので、次々と10枚ほど書く。コーヒーでも飲もかと湯を沸かしていたら電話がかかる。隣駅にある施設のライブラリから「利用者の声」を書いた件で回答だった。

 先週、そこのライブラリへ寄ったとき、貸し出しカードを忘れたら本を借りられないと言われ、まあ忘れたらしゃーないけど、でもここって市外からも利用者受け入れてるしなあ…と思い、「本人確認ができたら、貸してもらえない
ものだろうか、図書館などではそういうかたちで貸しているし、私は近いからまた来るけど、遠いとこから来た人がカードを忘れたらダメージ大きい」てなことを「利用者の声」カードに書いたのである。

 で、「図書館でそういう風に貸していることを知りませんでした、さっそくそのようにやり方を変えて、ご本人であることが確認できたら本を借りられるようにしました」と言われる。私がこれまで使ったことのある図書館では、すでにカードを作っていれば、カード忘れでも本人確認ができれば借り出しができた。わりとポピュラーな対処だと思っていたが、ここのライブラリの人には未知のことがらであったのか…と思う。

 そのあと別の部署の人が電話に出て、個人情報の扱いのことやその施設の利用率の低さなどについて話をした。「言っちゃわるいけど、そちらの施設、ウェルカムな感じが全然しないんですよね、トイレに行くときのついででもいいですから、職員さんはもっとロビーをうろうろしてお客の様子を見たり声をかけたほうがいいんちゃうかと思います」と伝える。いろいろ話したあと「じつに新鮮な意見をいただきまして…」などと言われるので、「いや、スタッフの方のなかで、アイデアもっとあると思いますから、もっといかせるアイデアもってる人がいると思いますよ」と伝えて終わりにする。

 毎日ロビーやら館内みてまわってたら、なんぼ数年おきに異動があったって、客の様子わかりそうなもんやけど、ぜんぜん見てなさそう…という印象が強く残る。

一気に秋(II)

 ご飯のあとにリンゴを食べながら、地球不思議大自然「田んぼの王者タガメが飛んだ」を見る。タガメは相当の大食漢で、食い物確保と繁殖のために、夜飛ぶ。胸を動かして筋肉をあたため、2枚の羽根をバチンとつないで大きな羽根にして、ばさばさと飛ぶ。へぇぇ、よくできてるもんや。

 タガメが激減しているのは、メダカやその他の田んぼの生き物と同じく、農薬散布が大きな原因。同居人は「人間も死ぬっちゅーねん」と言っている。人間も死ぬようなものを撒いてるんやから、そらタガメやメダカもやられるであろう。「きれいな田んぼやないと、あかんやろうな」と同居人はつぶやいている。

 番組は、きれいな田んぼだけでなく、タガメが秋冬を越すためには、ほどよい湿り気をもった落ち葉が積もるような雑木林・里山が必要だ、という話でしめくくられていた。こういう風にみていくことが生態系をみるということなんやろう。

 テレビのあと、同居人は夜介護に行き、私は借りてきた『何でも買って野郎日誌』を読む。こないだ読んだ角田光代の『しあわせのねだん』が印象に残っていて、こういう買い物記録関係のやつ(しかも男性のもの)に興味をもった。日垣隆は、銀行残高がたっぷりあるから買い物をしまくる、というわけではなくて、ばんばん買い物をしてから「うっしゃー稼ぐぞーー!!」と気合いを入れるタイプらしい。それにしてもこの人、ほんまに買うなあ。ネクタイやスーツやシャツ、カフリンクス(和製英語でいうとカフスボタン)をばんばん買う。本もばんばん買う。本の置き場はどうなっているのだろうかと、気になる。取材費をケチってはいかんのだけど。

一気に秋(I)

 涼しい朝。同居人は布団、私は薄掛けを出して、ちょうどいいくらいの朝。曇りか?と思ったら、どんどん晴れてきて、洗濯して干す。TKちゃんと鳥取土産の「ふろしきまんじゅう」を朝のおやつに食べることにして、図書館経由でTKちゃんちへ行く。図書館では6冊返して6冊借りる。肌寒い気がして長袖を着て出たが、外は青空でよく晴れている。長袖ではちょっと暑い。

 TKちゃんちでコーヒーをもらい、まんじゅうを食べて(私はTKちゃんちにあった栗まんじゅうと吉備団子をもらい)、しばらくうだうだ。TKちゃんは大阪出張の父上と昼ご飯を食べるそうなので、一緒に出て、昼前に帰宅。たいへん天気がよく、朝干したのがもう乾きかけているので、もう一度洗濯して干す。それから昼ご飯。

 パソコンをいじろうかと思うが、めんどくさーくなって(すげー不便なので復旧するにこしたことはないが、修理に出さないかんようで)、図書館で借りてきた本を読む。角田光代の『この本が、世界に存在することに』は、エッセイかと思って読んでいたら、どうも小説であった。もう10冊ほど読んできたせいもあるが、ネタがかぶってきている。いくつかエッセイも読んだせいか、(あ、この話はあの本でも書いてたなー)と思ってしまう。見聞や経験をもとに肉付けしたりいろいろいじって小説を書く、と確かこの人はどこかで書いていたかしゃべっていたかしていた。たしかにそうであろう、と思う。
 それと、この本の不思議は本文の行間が章によってバラバラなこと。行間が1cmくらいある章は読みにくくてしゃーない。本の話としてはけっこうおもしろいのだが、このレイアウトどうなん。
 
 眠くなったら昼寝しようと思っていたが、あまり眠くならんので、コーヒーを飲んでから、続けて『人生ベストテン』を読む。ちょっとくらい。『エコノミカル・パレス』のようなくらさ。

 『人生ベストテン』も読んでしまったので、買い物がてら図書館へ行く。読んでしまった2冊を返し、リクエスト本が珍しく何もなかったので、久々に書架を見てまわる。清水真砂子を借りようかと思うが、ぱらぱらめくって、この次にしようと書架へ戻し、うろうろしてうろうろして、日垣隆の『何でも買って野郎日誌』と長田弘の『読書からはじまる』を借りた。買い物して帰宅。

 同居人がほぼ定時退社か、かなり早く帰ってきた。晩ご飯は、豆腐のあんかけ(鶏とナメコ入り、三つ葉を散らしたもの)、芽ひじきとゴボウのきんぴら、キュウリ炒め、ご飯。

よく歩く(III)

 それから買い物に出て、晩ご飯。松山で買ってきた「芋煮のだし」を使って、芋煮をつくる。里芋、ゴボウのささがき、こんにゃく、しいたけ、しめじ、鶏モモ、油揚げ。だしは甘いめで、少し醤油を足す。ご飯と芋煮と、人参と玉葱とキュウリのサラダ。ご飯のあとにリンゴを食べて、さらにお茶を入れてまたふろしきまんじゅうを食べる。うまいなあ。

 ご飯のあと、まえに読んだ内田樹の『街場の現代思想』をまた読む。図書館でまた借りてきたのだ。この人の本を読むと、(そうかもしれんなあ)という気持ちにさせられることが多い。同意しかねることも多少はあるが、それも含めて「歳をとればわかるよ」みたいに諭されている気分。するすると読んでしまう。

よく歩く(II)

 蕎麦はうまかった。蕎麦の香りもするし、同居人が頼んだ鴨もちょっとわけてもらったら実にうまかった。ただ、こないだ奈良で食べた蕎麦ほどのインパクトはなかった。蕎麦以外にも一品料理やなんやとメニューが多かったせいかもしれん。そば茶に、そば湯に、同居人の鴨のおつゆもそば湯で割っていただいて、まんぞくして出る。お腹はたぽたぽ気味。空は降りそうな色。

 こんどは駅に伊丹の駅へ向かって歩く。ぶらぶらと歩く。雲の多い空は、やはり降りそうな感じで、すれ違う人も傘を持っている人が増えてきた。細い道をぬけて、ぽかりと大きな道路へ出た。いつもバスで見る道だ。ちょっと入ると、住宅街なんやなあと言いながら、駅へ向かう。さっきまで歩いていた道は、ほんとうに静かだった。一筋はいるだけで、ずっと静か。ウチのへんみたいだ。

 駅の近くの量販店でトイレをつかい、同居人がずいぶん足がくたびれたというので、すぐバスに乗って帰る。駅では高金利なんとかの会が異常な高金利を引き下げるため、という署名を集めていた。気軽な手軽な印象のコマーシャルを流しているものの、サラ金などの金利は凄い。こないだ角田光代の『エコノミカル・パレス』では、主人公がキャッシングをしていた。私は(返せなくなるで)と思いながら、この小説を読んだ。
 金利の異常な高さはどうにかなったほうがいい、と思う。そのなんとかの会がハンドマイクで言うてることは、“あれもこれもそれも、とにかく諸悪の根源は高金利だ”という感じで、キャッチとしては下手くそな気がした。同居人は「聞いてたら笑える」とほんまに笑っている。おまけに署名を集めている人たちは一部をのぞいてやる気もなさそうであった。

 帰って、番茶をいれて、鳥取みやげの「ふろしきまんじゅう」を食べる。素朴なうまさ。蒸しただけというシンプルさなので、日持ちも作ってから3日だけ。もっと持つものなら…と一瞬思わないでもないが、鳥取へ行かなければ買えないことも含めて、そこがええんやろなと思う。

 日が暮れる頃まで本を読む。『幸福な食卓』と『ベジタブルハイツ物語』と『十二歳』を読んでしまう。読んでしまったらもう5時を過ぎていたので図書館は明日にして、相撲をちょっと見る。琴欧州の初優勝かと先週は思っていたが、朝青龍に負けた次の日も琴欧州はぽろりと負けて、でも今日は勝って、朝青龍との優勝決定戦になっていた。踏ん張る暇もない感じで琴欧州が負けた。千秋楽での優勝は朝青龍にも感慨深かったのだろう、朝青龍が涙ぐんでいた。

よく歩く(I)

 うとうとしながら日曜美術館をみる。ゲストが片岡鶴太郎だとわかった時点で同居人はパソコンでつけていたテレビを消してしまったが、私はふつーのテレビのほうをうつらうつらと眺める。「鬼は易しいが犬は難しい」とよく短冊に書いたらしい、松田正平という画家のはなし。宇部出身の画家だそうだ。ぼわーーっとした色づかいの絵だ。(え、これ油?)と思う。クレヨンだかクレパスでかいたみたいな絵やし。色づかいは気持ちがいい。本物をいちど見てみたい。
 
 鳥取ではレンタカーを乗り回し、大阪との往復も高速バスだったので、うおお歩きたいぞという意欲がわいてくる。同居人もウチでぐうたらしてビールばかり飲む生活だったというので、うっしゃー歩こうと、散歩に出る。玄関開けたら、肌寒い。さむさむ、と長袖を着て出る。
 第一目的地はとりあえず伊丹の蕎麦屋。むかし誰かに教えてもらった蕎麦屋だが、誰に教えてもろたのかまったくもって思い出せない。同居人がとつぜん「前の前の職場あたりの人とちゃう?」と言うが、思い出せん。北伊丹の駅を横切って、おおむね西へ向かって歩く。大山や美保関と違って、大きな道路沿いなので空気がいいとは言えんが、歩いていると気持ちがよい。しかし、雲が多い。風が強い。台風の影響か、雲のほんのわずかな切れ間から青空が見える。その青い位置が、だんだんとうつっていく。降るかもなと言いながら歩く。

 蕎麦屋まで1時間くらい歩いた。店の前の駐車場にはでっかいクルマ(軽とかコンパクトというのではなくて、でっかいクルマ)が並んでいた。ちょっと偉そうな感じの店。入り口に張り紙がしてあって、「五名以上おことわり」「中学生未満の子連れおことわり」とある。満席だというので表の椅子でしばらく待つ。戸が開いたときに、ええにおいがする。腹減ったぞ。
 中へ入ると、すべって転びそうなスリッパを出される。板敷きのテーブルに通される。同居人が鴨せいろを頼み、私は玄蕎麦とかいう殻ごと挽いたやつを頼む。
 洋楽らしきものがかかっている。店主がそういう趣味なのだろう。向こうのテーブルに、どう見ても小学生(しかも低学年)の子連れがいる。(あの子どもは何なんやろ?表の貼り紙は有名無実なのか?それともひじょうに小柄な中学生か?)とあれこれ考えてみるが、そのテーブルの人が出るときに子どもの顔を見ても、やはり小学生にしか見えないのだった(私は大学生になっても小学生に間違われたことがあるが、やはりあの子どもは小学生にしか見えんかった)。
 
 
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乱読ぴょん

Author:乱読ぴょん
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本ネタのミニコミ誌『ブックマーク』を編集発行しています(1990年9月創刊~ 昔は隔月発行でしたが、今は年2回発行で、現在87号)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2014年4月(313号)より「本の道草」を連載中(現在、第39回)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2004年3月(192号)より2014年3月(312号)まで、本ネタ「頭のフタを開けたりしめたり」を連載(全119回、連載終了)。

『くらしと教育をつなぐWe』誌で、1999年4月(71号)より2014年2月(188号)まで、本ネタ「乱読大魔王日記」を連載(全118回、連載終了)。

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