読んだり、書いたり、編んだり 

2月に読んだ本

2月に読んだ(読み終わった)本のリスト:
○北原みのり『男はときどきいればいい 愛とセックスのレシピ』祥伝社文庫
○群ようこ『あなたみたいな明治の女』朝日文庫
○岡田康子、梅津祐良『管理職のためのパワーハラスメント論』実業之日本社
○パク・ジョアン・スックチャ『会社人間が会社をつぶす ワーク・ライフ・バランスの提案』朝日選書
○網野善彦『異形の王権』平凡社
○進藤義晴『新版 万病を治す冷えとり健康法』農文協
○森達也、姜尚中『戦争の世紀を超えて その場所で語られるべき戦争の記憶がある』講談社
○森茉莉『私の美の世界』新潮文庫
○山田詠美『Amy Shows』新潮文庫
○岡留安則『「噂の真相」25年戦記』集英社新書
○山田ズーニー『伝わる・揺さぶる!文章を書く』PHP新書
○辛淑玉『怒りの方法』岩波新書
○浜野佐知『女が映画を作るとき』平凡社新書
○斎藤美奈子『物は言いよう』平凡社
○桐野夏生『錆びる心』文春文庫
○斎藤貴男『安心のファシズム 支配されたがる人びと』岩波新書
○桐野夏生『グロテスク』文藝春秋
○藤沢モト『勝負師の妻 囲碁棋士・藤沢秀行との五十年』角川oneテーマ21
○赤川次郎『イマジネーション 今、もっとも必要なもの』光文社
○小長谷正明『神経内科病棟』ゆみる出版

逃げる2月

 はやい。もう明日から3月。しかしさむい。ハヨあったかくならんもんか。『神経内科病棟』を読みながら出勤。職場へ着くころ読み終わる。この人の話は、徳永進にちょっと似てるかんじ。

▽僕の恩師の祖父江逸郎教授は、臨床にはいくつかの大切なSがあると言っておられた。simpathy(共感)は苦しみに耐える人々への共感である。それは単純に情緒的になることではない。病気に耐えている人をscience(科学)の心を持って診て、何をなすべきか考え、自分のskill(技術)を磨いて、sincerity(真心)を持って、その人たちへservice(奉仕)することであると。(2-3ページ)

 仕事がいやなわけではないし、任された仕事はきちんとやる気もちもある。けれど今の職場は力をもったポジションにある出向コウムインたちのまったくもって変な“身内の常識”が幅をきかせ(暗黙の了解として伏流にあり)、そういう気もちを逆撫でされ、やる気を削がれることがあまりにも多い。なぜか出向コウムインは揃いも揃って黙り込むことが多く、会議での発言も皆無に近い。そういう「黙り」は不作為の罪だと、今日もつくづく思った。「そんなつもりはなかった」とか後で言い訳すんな。

 帰りは森達也の『「A」マスコミが報道しなかったオウムの素顔』を読む。図書館へ寄って、返して借りて、買い物して帰宅。

 帰ってのんびり晩ご飯をつくる。同居人からメールがくる。「全然おわらん」らしい。先に食べててというので、先に食べる。ご飯に明太子、具沢山の粕汁に豆サラダ(今日はレタス入り)。食べ終わったところで、同居人から電話。ようやく仕事がすんだらしい。

本を読むこと(II)

 あるファンサイトには、赤川次郎の「一冊の本との出会いは一人の人間との出会いに等しい価値をもっています」ということばが掲げられている。そのココロを『イマジネーション』で述べたあたり:

▽…とくに、若い頃に本をたくさん読みなさい、というのは、決して漢字をたくさん覚えるからとかそういう意味ではなくて、じぶんがこれから生きていくための体力づくりをする、というふうに考えればいいと思うんです。
 …皆さんが読んだ本をそのあとどうするかはわかりませんが、たとえ、本棚にそのまま入っているにしても、友達に貸してあげるにしても、その自分の読んだ本というのは、自分の足の下に積み重なっていく、というふうに私はよく言います。それにつれて、自分の目は少しずつ少しずつ高くなっていきます。自分の視点が高くなるということは、遠くが見えるようになる、ということです。遠くが見渡せる、ということは、自分から遠く離れた人間のことが身近な人間のように感じられるということでもあります。そのために、本を読み、いい映画を観るということが、大切なことになるわけですね。
 本を読んだり、ものを書いたりするということ、これを重ねていくことが、自分を外から眺める能力を身につけるための基礎的な栄養になっていきます。問題は、ただ数を重ねていくだけでは、それが自分の身につくわけではない、ということです。つまり、どういうふうな目で本を読むか、すぐれた映画を観るか、すぐれたドラマを観るかということ、たとえば、同じ数だけ本を読み、同じ数だけ映画を観ていても、それが自分の身につく人とつかない人がいる。(78-79ページ)

 「作家の立場」というテキストも、心にのこった。

▽…作家というのは、おそらく一番自由な立場にいる人間なんですね。仕事をするのに、ほとんどお金も必要ない。…そういう立場の人間は、いつも自由な身でいなければいけないと思うのです。その時その時の上に立つ人に対して、何かものを言いたい時に、言うことができなくなるからです。作家というものは一番誰にも遠慮せずにものが言える立場にいるのです。(277ページ)
 

本を読むこと(I)

 日曜出勤にあたっているので、しゃーないから出勤。雪のようなものがハラハラ舞っていてけっこう寒い。昨晩から読みはじめた赤川次郎の『イマジネーション』を読みながら。赤川次郎自身が書いているように、“赤川次郎の小説”に対する偏見(とくに学校のセンセイや親たちの偏見)てあるよなあきっと、と思う。

 今日の受付当番はかなり忙しかった。4人だけでこなすにはキツかった。いっときシーンとした時間もあったが、午前中はずーっとバタバタしてたし、閉館前もぐちゃぐちゃになるほどだった。そのいっときしーんとしていた時間の前後で、職場へ寄贈した本の整理をちょっとすすめる。新しく運んだ本にシール貼ったりスタンプ押したり、線引きのある本に消しゴムかけたり。

 やっとすんで帰宅。帰りにちょっとだけ本屋をのぞく。難病で亡くなった亜矢さんの『1リットルの涙』と、そのお母さんの手記『いのちのハードル』がどちらも文庫になっていた。こんど映画になるらしい。亜矢さんが罹った難病は、母と同じ脊髄小脳変成症だった。

 帰ったら、シェフ同居人がきりたんぽ鍋を制作中だった。ほどなくご飯になる。ゴボウがうまい。鶏もやらかい。ぬくもるなー。サイドメニューがないのがさびしすぎるが。食べながら見た日曜美術館は「オタク」の世界の話で、“萌え”だの“やおい”だの、あっち系の用語が真面目にナレーションされていておかしかった。

 『イマジネーション』を読み終わる。『戦争の世紀を超えて』で森達也と姜尚中が対話していたのと似たような話を赤川次郎も書いていた。久々に赤川次郎の本を読もうと思う。が、この人すでに450冊も本があるらしい。すげー。

バイキング

 妹たちと一緒に昼ご飯を食べにいく。妹2号のオットとウチの同居人も同行、あわせて5人。妹2号宅とウチとの中間地点あたりのMホテル。さあ出かけるかと外へ出たら、よく晴れて、しかし風が強くつめたく、さむい(風がないところでは、かなりあたたかい)。空港バスで行こうと歩いている途中で、霰のようなものが降ってきた。さむー。

 ぶじMホテルのロビーで妹たちと落ち合い、バイキングに入ることに決定。ほどよく空いていて(殺気だっていなくて)、落ち着けるのがよい。料理はかなりいろいろあって、デザートもいろいろあって、わくわくしながら料理をとってくる。食べる。料理をとってくる。食べる。料理をとってくる。食べる…を数回くりかえして、みんな腹イッパイになる。ちょっとずつちょっとずつと思っていながら、けっこう食べてしまう。空いた皿はどんどん下げられていくので、どれくらい自分が食べたのかわからなくなってくる。同居人の腹は、モノスゴイことになっている。ちょっとくるしいらしい。

 妹2号宅のおイヌ様の話や、妹2号のオットのご両親の話や、妹1号が雪をまちわびる話や、愛知万博、中部国際空港の話など、あれこれとしゃべって、食べて、満足して出る。あー腹イッパイ。妹たちとはそこで分かれ、腹ごなしにぶらぶらと歩く。難波から心斎橋方面へ抜けて、旧出光美術館の「モダニズム心斎橋」を見物。

 富本健吉や夢二など、今みてもオシャレ~なデザイン。昔の心斎橋付近の写真をみると、不二家もあるし、額縁のカワチもあるし、歴史長いねんなーと思う。

 出光ビルの下の北東北物産ショップでリンゴジュースを飲んで、きりたんぽを購入。それからまた本町まで歩く。これだけ歩いても、同居人はちょっとくるしいくらい腹イッパイだという。今晩はお茶漬けやな。

 電車でウトウトきもちよく居眠りして、帰宅。藤沢モトの『勝負師の妻』を読み終わる。こういうのはDVともいえるんやろうけど、藤沢さん自身が書くのを読むと、なんかちがうかなと思う。それでも、こう書いているから、時代の制約というようなのもあったんかなと思う。

▽ただ、もしこんど生まれ変わったら、結婚なんかしないで自由に生きたいと思います。まず小さいときからきちんと教育を受けさせてもらって、ちゃんとした職業を持って、同居相手の機嫌を窺うのではない、自分の生き方をしたいと思います。(237ページ)

晴れのち雨

 遅番。朝ご飯たべて、同居人を送り出し、あまりにもネムイので『グロテスク』を読みつつ二度寝。起きたら昼頃。急いで洗濯物を干して、急いで昼ご飯を食べて、出勤。晴れていて、さむい。

 夕方になって雨が降り出した。洗濯物をなるべく軒の内側には掛けてきたものの(失敗した)と思う。同居人に「先に帰ったら、洗濯物入れといて」とメールするが、結局奴は同僚さんとご飯を食べて酔っぱらいになって深夜帰宅だったので、私のほうがはやかった。

 ものすごくねむく、風呂もパスして、寝る。

オムライス

 天気はいいが風が強くけっこう寒い。同居人は冬休み取得。私も休みたかった。引き続き『グロテスク』を読みながら出勤。この本重い。

 午前中は別室に連れていかれて、事実確認のヒアリング。12月にバカ課長がメール送ってきた後のこと、それ以前のことなど。(ああこれは、私にとっての“事実”ということなんやな)と後で思う。
 対策チームがつくられたのはいいが、外部の専門家として臨床心理士が入っているのがやはり解せない。この問題の何を指摘してくれるのだろうかと思う。そもそも理解可能なのか?とも思う。
 心理学の世界認識は要約すると「問題のある個人=環境に適応できない個人」ということなのだろうと、そう思ってしまうから、なおさら。そういう風に世界を認識する方法があり、その認識が通用する人がいることは理解できるが、今回のことは、環境の問題だと思うから。そういう環境を“常識”とする人たちが力をもったポジションにいるということだと思うから。
 
 この“常識”を、それはひじょうに限られた範囲でのみ通用するものだと、会議などで私は何度も言ったつもりだが、自分たちの“常識”が通用しない場面があり、通用しない相手もいるのだということさえ分からない人が多い。それが“常識”というものなのかもしれないが。

 昼頃までかかったヒアリングで疲労困憊。くたくたになる。

 帰りにS駅で同居人と落ち合い、久しぶりに駅近くのイタ飯屋へ行く。ここのイタリアンオムライスを食べるとほっとする。おいしい。

成分献血

 土曜出勤のあと、日月とやすみ。天気はいいのだが、めっちゃ寒い。風が強くて体感温度がさらに下がっている感じ。洗濯を1度だけして干す。寒くてもう一度洗濯するのはパス。

 図書館へ行って返して借りて、ネコの世話をしたOさんちへお土産をもらいにいく。Oさんはツアー旅行で九州の「雛祭り」めぐりというのに行ってきたそうだ。話をきいていると、そういう見物ツアーなら私も行ってみたいなあと思う。九州というと、友人知人も複数いるし、「行くなら誰それに会って、誰それのとこへ泊めてもらって」という計画にツイなるのだが、純粋にこういう見物だけで行くのもおもしろいかもしれん。

 お茶とおやつをいただきながら、土産話をいろいろ聞いて、昼になったのでおいとま。いったん帰ってからまた出る。妹1号と昼ご飯を一緒に食べる約束なので、待ち合わせ場所へ。合流してから、イタ飯屋へいく。1時間ほど、近況報告などしながら、ゆっくりご飯を食べる。最近食べる量がちょっと落ちているせいか、パスタを半分くらい残してしまった(盛りも多かった)。

 妹とわかれ、夕方同僚と会う約束の時間まで、献血ルームへ行く。2度目の成分献血を申し込む。新しくなった献血ルームは、めっちゃ広くなっていて、けっこう若い人もたくさんいて、高層ビルの25階にぽつんとあるわりには人が入ってるなあと思った。
 機械も便利になっているようで、事前検査から採血まで、初めて見るような機械もあった。何より献血を申し込む際に“本人確認”と証明書類の提示を求めるようになったのが大きな変化。
 
 すんで半時間ほど休憩してから、本屋へ行く。地図帳や児童書のコーナーをしばらく見てまわって、現物を見てみたかった本をチェック。

 それから同僚Kさんと落ち合って、職場のバカタレ問題にどう対処できるか、外部機関へ相談にゆく。金曜に送られたメールについては、「あれはおかしいと思う」と言っている人が複数いると聞いて、ちょっと安堵する。
 2時間ほど相談担当の方と話をして、いくつかのアドバイスもいただく。過去を変えることはできないから、これからどうするか、できることを考えないとな…と思う。しかしツカレタ。

 晩ご飯はKさんの友人がやっているという店へ連れていってもらう。ほっこりする空間で、ぽや~とオイシイもん食べて、ほっとする。今日読んだのは桐野夏生の『錆びる心』。

ねむくてたまらん

 つい遅くなる日が続いているせいか、眠りが浅いのか、とにかくこのところ眠くてへとへと。

 朝はひじょうに寒かった。私の体感では昨日より寒かったのだが、同僚のなかには「昨日よりはあたたかい」と言う人もいて、感覚というのは人それぞれやなアとあらためて思う。

 午後は受付当番で、利用方法を説明したり、相談に答えたり、あれこれと忙しく、ほんまにくたびれた。へとへと。しかしチラシ設置やら受付応援がたらたらと続いて、また1時間ほどざんぎょう。はぁツカレタ。

 帰りに『安心のファシズム』を読んでしまう。「レイプ…」以下の喩えもイマイチだったし、最後まで読んでみても、(そんなに絶賛するほどエエ本とは思わんなー)という読後感。いくつかの紙誌の書評では、けっこうホメてあるのもあったが、私は人にぜひ読めとすすめたいと思わなかった。
 私が(なんやこれ)と思った、喩えの部分。

▽…ある音楽教師は、「君が代を弾く四十秒間、私はロボットになったつもりでいる。そうでなければやってられない」と語る。これがつまり、自分をコンフリクト・フリーに落とし込んでおく方法だ。が、それができない教師もいる。東京都内の小学校に勤務している彼女は校長と教頭に、
「私にはどうしてもロボットになることができません」
と話してみた。教頭がただちに返してきた言葉。
「職務なのだから、それでも四十秒間はロボットになりなさい」---
 ほとんどレイプと同じ発想で、教職員の人事が動かされるようになってきた。現場の管理職たち自身は意識していなくても、彼らも彼らを指導・監督する立場にある市区町村教委、都道府県教委の職員たちも、文部科学省や強権指向の首長の下で、すでに同質の支配メカニズムを形成してしまっている。権力が生き方の規範を与えようとする思想とシステムは、そして抵抗を試みる者たちをストレス障害に追い込みつつ、多数派の教師たちを自分の頭では何も考えることのできない人間へと変えていく。このままの状況が続くなら、彼らが日々、触れ合っている子どもたちも、また。(100-101ページ)

 やはり「レイプと同じ発想で」という比喩は私にはわからん。

 晩ご飯。豚と生姜とセロリ炒め、モズク豆腐、辛子明太子、粕汁、レタスとホウレン草とトマトのサラダ、ご飯。いただきものの辛子明太子がウマい!

 ねむくてたまらんので、風呂もパスして、11時過ぎに布団に入る。

めちゃくちゃネムイ

 もわもわとぬくい朝。一日中気温は高めで、事務所内では汗ばむほどだった。風邪ひきの人が一気に増えた気がする。桐野夏生の『グロテスク』を読みはじめる。記憶も不確かなのだが、太宰の「女生徒」みたいだ、と思う。

 なかなか終わらない出張報告づくりを今日こそは!と思って朝からせっせと書いていたが、めちゃくちゃネムイ。ねむくてたまらん。この出張のすぐあとからバカ課長のメールのおかげで、それをどうにもできん職場のおかげで、ものすごく消耗した。そのせいか、出張で参加したパネル討議やワークショップの記憶がアイマイになってしまっている。なんかエエことを聞いた気がするのだが、うまく思い出せないところがある。

 昼頃X係長に呼ばれて、また意味不明なことを言われる。不十分な情報だけで、いったい何を判断しろというのか。アホか。「理解できません」と伝え、ついでに先週末のメールの件で「私は怒ってますから、これだけで十分問題だと思ってますし、あなたと所長には謝罪要求したいです」と伝える。

 百歩か千歩譲って、あんたらが言うように「コミュニケーション」の問題だとしても、てめーコミュニケーション能力なさすぎ。言語能力低すぎ。もうちょっと考えてモノを言えよと思う。「そんなつもりはなかった」とか言い訳ばっかりしやがって。くっそーーームカつく。

 昼休み前の空腹時に、よりによってワケわからん話を、そうでなくても腹立つ相手から聞かされて、うんざりする。

 昼からも出張報告を書きつつ、チラシやポスターの設置、受付応援、回覧書類を読んだりなどして、めちゃくちゃネムイこともあり、今日こそは定時で帰る。出張報告はまだできあがらず。しかし、少しずつ思い出しながら「この職場で参考になりそうなことはなにか」書いてみる。

 図書館に寄ってから手話サークルへ行く。先週は見学もあってひじょうに人が多かったらしい。今日は少なめ。3月のボランティアフェスティバルに手話通訳や手話うたで出る人もいて、途中から分かれて手話の練習。今日おぼえた手話表現:歴史、趣味、卓球、エアロビクス、山登り、推理。

 同居人は夜介護。今晩もネムイ。

掘り出しもの(II)

 春節祭でにぎわう南京町を抜けて、元町駅近くでコーヒーを飲んでひとやすみ。それからいただきものの招待券で「近代美人画展」をのぞきにいく。平木財団のコレクションらしい。明治・大正・昭和と並べられた“美人”の錦絵は、美の感覚の違いだろうが、明治の絵など「なんかグロテスク~、五寸釘打ちにいきそう」なかんじ。着物の柄やスタイルなど、風俗画というのはオモロイなあと同居人と言いつつ出る。明治の頃には「薬指に指輪」という風習が(絵に描かれて残るような階層には)あったらしい。

 沖縄物産の店をみつけて、晩ご飯用にタコライスとなかみ汁のレトルト、ジーマミ豆腐を買う。また帰りもバスで、くうくうときもちよく寝た。晩ご飯は沖縄メニュー。

 日曜美術館の再放送をながめて、そのあと「シルクロード」を見る。壁画をガシガシ削りとって持っていくとは…と思うも、そういう略奪品の類が各方面の美術館や博物館の至宝にもなっているのだしなと思う。

 斎藤貴男の『安心のファシズム』を読んでみる。「ほとんどレイプと同じ発想で」という喩えが、わからん。言葉足らずのように思われる。
 全体に、推定の積み重ねによる論じ方が目立って、ちょっとついていきかねるという印象。

浜野佐知『女が映画を作るとき』平凡社新書

第五章 「早く生まれすぎた」世代から--高野悦子さんに聞く


-- 女性監督に注文したいことは、どういうところでしょう?

高野 女性監督の量がある程度増えないと、質も上がらない。何で監督になるのか?アジアの映画人たちの発言は素晴らしいですね。アバヤさんは「監督というのは、選ばれた人だから、未来に向かって、人類の幸せのためにどうするか、大きな目標のために戦っていくのです、私たちは何十万、何百万の発言できない人に代わって発言するチャンスを持った、選ばれた人です」と述べていますが、こういう自覚は持ってほしいですね。
 芸術の創造は厳しいです。これは男性にも言えることで、女性だけの問題ではありませんが、女性に開かれていなかった道に切り込んできたんですから、人生に甘えず、自分と戦って作品を作っていただきたい。こういう生ぬるい世の中に済んでいると、日本だけじゃなくフランスでも、いい映画ができてないですね。アジアのように厳しいところでは、いい映画ができている。選んだ職業に責任を持ってやっていただきたい。応援したいから。

(173-174ページ)
 
 
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乱読ぴょん

Author:乱読ぴょん
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本ネタのミニコミ誌『ブックマーク』を編集発行しています(1990年9月創刊~ 昔は隔月発行でしたが、今は年2回発行で、現在87号)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2014年4月(313号)より「本の道草」を連載中(現在、第41回)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2004年3月(192号)より2014年3月(312号)まで、本ネタ「頭のフタを開けたりしめたり」を連載(全119回、連載終了)。

『くらしと教育をつなぐWe』誌で、1999年4月(71号)より2014年2月(188号)まで、本ネタ「乱読大魔王日記」を連載(全118回、連載終了)。

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