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台風23号の、あと(II)

 晩ご飯はシェフ同居人による豚汁、ハタハタを焼いて、ご飯。買ってきたキムチ盛り合わせ付き。ご飯のあとに、こないだ買った西洋梨を食べてみる。ウマい。

 100冊送ってオッケーと返事がきたので、九州の友あてに100冊詰めの箱を送る。徒歩1分のコンビニまで宅配便を頼みに持ち込んだら、腰をいわしそうなくらい重かった。100冊の本は20kg近い重量だったらしい。配達の人はこれを4階までもっていってくれるのか…と感心する。

 夜の喫茶は凍頂烏龍茶。お茶のみながら、上野千鶴子の『国境 お構いなし』を読んでしまう。「アメリカの日本研究」という文章が印象に残る。

▽…日本に対する関心が高まり、留学生がやってくるようになると、外国産の研究を日本語を介して勉強するのは、コストがかかるだけでなく、意味がないことがはっきりする。日本産の学問研究を発信しなければ、留学生だけでなく、外国に送るメッセージが持てない。どんな理論や学説も、それを生み出した歴史的・社会的文脈を離れては存在しない。海外体験にさらされるにつれ、わたしはしだいに、日本をフィールドにした研究の重要性を認識するようになった。そして日本をフィールドにした研究は、どんなものであれ、広義の日本研究と見なしてかまわない、と考えるようになった。
 …
 そう考えれば[アメリカ人は、自分の研究のことを、アメリカ研究とは呼ばない]、普遍性を僭称するパーソンズの一般理論も、シカゴ学派の都市社会学も、そのアメリカ出自があきらかとなる。どんな「一般理論」も、それが生まれた背景にたちかえって「歴史化」してみれば、ある時代と社会の産物であることはあきらかだろう。パーソンズの家族システムの理論は「近代家族」という歴史的な家族形態を、普遍と思いこんだアメリカ人の生んだ学説だということがはっきりするし、そのうえ、その学説を「普遍理論」と称した態度そのものに、抜きがたい進化主義的発展段階論と西欧中心主義があることもわかってくる。
 だからといって、どんな学説も「特殊」な文脈の産物で、したがって汎用性がない、と言いたいのではない。ある研究の固有性があきらかになれば、そのうえではじめて、他のさまざまに固有な文脈における経験との比較・分析が可能になる。…(185-187ページ)

 核心的な手法としての、比較。
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台風23号の、あと(I)

 今日も天気良し。いつもより朝ゆっくり寝てから起きる。朝ご飯をたべて、洗濯して干して、ちょっと伊丹方面へ歩こかーと散歩に出る。もう11月もしまいやのに、外へ出るとふくふくとあたたかい。歩いていると暑いくらいだ。途中で上着をぬいで、てくてくと歩く。

 空港の北側をぬけて、猪名川が見えてきたとき、台風23号の水の威力が相当なものだったことを知る。橋から見えるテニスコートは土砂や流木やその他のもので押し流されたらしく、使用禁止になっていた。かろうじてコートを区切ったラインがのこっていたが、その脇にはゴミのようなものが積み上げられた山がいくつかあった。川沿いに伊丹へ向かって歩いていくと、(こんなところまで水がきていたのか)という高さまで、その痕跡がある。流れてきたモノが木に引っ掛かっていたり、明らかに一方向にむかって草がなぎたおされていたりする。
 猪名川のこの土手をこえていたら、どこか一カ所でも堤防が切れていたら、すぐ脇の店も工場も民家も水につかっていただろう。実際に、豊岡などで起こったのはそういうことなのだろう。水の高さを考えると、ふだんの川幅の数倍から十倍くらいのものすごい濁流だったことだろう。それですっかり川底がさらわれてしまったのか、川の水がひじょうに澄んでいた。
 川沿いに住む人たちや、工場や店をもつ人たちは気が気でなかったことだろう…と思わせるだけの「台風23号の、あと」だった。スゴかった。

 伊丹へたどりついて、まず昼ご飯。焼き鳥の店で鳥丼を食べる。なかなかうまい。それから、また同居人の「弁当箱がはいるカバン」探し。これでもうちょっとマチがあればな~という物件多し。予算を大幅にこえる物件も多し。いくつかの店をみてまわっってようやく、ほぼ理想のカタチ・予算のカバンを発見。「今日はリュックを背負わずに行く、背水の陣で」などと言っていた同居人の意気込みがよかったか。隣でみていて、私もほしくなったので色違いのカバンを購入。それで気がすんだので、あと本屋などを多少ひやかして、バスで帰る。すっげー天気よくてバスの窓ごしに陽をあびると暑い。

紙だらけ(II)

 晩ご飯のあと、紙の山にとりかかる。まず昔読んだ論文やら資料やらのコピーの束をざっと見て捨てていく。段ボールに1箱ぶんの新聞切り抜きも出てきた。それらもざっと目を通し、ごく一部だけを残して捨てていく。母ちゃんが投稿した切り抜きも出てきた。これはちゃんと取っておく。書評や本の紹介記事をきちんと貼り付けたスクラップブックも出てきた。いつこんなヒマなことしたんやろ。これはちょっとおもしろいので、もう一度目を通してから捨てることにする。

 前々から、自分がお金をつかっているのは本や絵はがきや郵便など「紙」なのだと自覚していたが、ホンマにとにかく紙だらけ。われながらアホかという気分になる。
 同居人は帰ってきて、夜介護に出かけていった。私はゴミ袋に2つの紙ゴミをつくった。冷えるので風呂で本をながめて、ぼーーーっとあたたまる。明日もいい天気らしいので、ぶらぶら散歩に出たい。

紙だらけ(I)

 先週月曜の指定休を変更したので、休み。同居人は通常どおりの出勤。今日も天気良し。
 この休みは「片づけるぞー」の意欲が増しているので、片づけ。目標は紙のやまを処分すること。手放す本と置いておく本の仕分けをすること。

 九州の友から「もういらない文庫本を送ってくれていいよ」と有り難い申し出がありながら、なかなか荷造りできずにいたのをまず取り組む。とりあえず25冊抜き出して、リストをメールする。もう読んだ本やきっと読まないだろうという本をはじいてもらうためである。
 それとは別に九州の先輩宅へこちらは私が子どもの頃に読んだ本を譲ると言っていたのにいまだに荷造りできていない。こちらも候補の本をよりわける。小学生の頃の私の愛読書だった山中恒の『クラマはかせのなぜ』も送ることにする。懐かしの本を久々に読む。
 …九州の友から折り返しメールが届く。「全部宜しくお願いしたい」という有り難い内容なので、続けて25冊分のリストを送り、50冊か100冊送ってもよいか?と書く。さらに50冊を本棚から抜き出す。これだけ抜いて、ようやく床にあふれていた文庫本が本棚に収まりそうである。

 前の職場から持って帰って、まだ段ボールに入ったままの本がある。箱から出して、手放すつもりの本を床に積み上げていく。本棚に入っているモノのなかからも、よりわけていく。150冊ほど積み上げたが、まだ本棚は空かない。こういう作業をしていると、手放せるものは全部手放して、もっと身軽になりたいという思いにかられる。ここまで本を買ってしまったのも自分なので自業自得だが、まさに“買うはヨイヨイ後がコワイ”である。

 昼ご飯をはさんで、洗濯して干して、本の仕分けをして、ちょっとくたびれたのでコーヒーを飲んでから、九州の先輩宅へ送る本を出しにいく。ついでに銀行や郵便局で用足し。本屋を冷やかしてから、図書館へ行く。日が暮れるまで本を読んで、返して借りて帰る。帰ってからしばらく上野千鶴子の『国境 お構いなし』を読む。お腹が減ったので、餃子を焼いて、ナンプラー風味のスープ麺をつくって、ひとりで晩ご飯。
 
 
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乱読ぴょん

Author:乱読ぴょん
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本ネタのミニコミ誌『ブックマーク』を編集発行しています(1990年9月創刊~ 昔は隔月発行でしたが、今は年2回発行で、現在91号)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2014年4月(313号)より「本の道草」を連載中(現在、第65回)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2004年3月(192号)より2014年3月(312号)まで、本ネタ「頭のフタを開けたりしめたり」を連載(全119回、連載終了)。

『くらしと教育をつなぐWe』誌で、1999年4月(71号)より2014年2月(188号)まで、本ネタ「乱読大魔王日記」を連載(全118回、連載終了)。

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