読んだり、書いたり、編んだり 

モカハラリ(II)

 朝見そこねた「日曜美術館」の再放送をみる。今日のテーマは「描かれた風」。いろいろな人が風をどう描いてきたか、どう感じとってきたかを追うなかで、“ウィンド・ドローイング”というものがあった。バケツのようなのに葉っぱや草やなんやかやを入れてあったのを、ハァッッと投げ上げる。それが空に舞って、描かれるもの---ということらしい。アクション・ペインティングの一種か。かなり笑える。

 返却期限の迫った辻惟雄編『「かざり」の日本文化』(角川書店)をざーーーーーっと読む。おもしろかったやつ。
 辻惟雄「「かざり」は生きている--日本の装飾文化」
 郡司正勝「風流と見立て」
 山路興造「揃いの美学」
 辻惟雄「かざりと風呂と茶--林間の茶の湯」

 「かざり」と「風呂」と「茶」、とは!

 内田春菊の『基礎体温日記』をよむ。4人目のできた2001年の日記。ノンブル(ページ番号)のない本だった。

▽9月14日 金曜日
 …私、もしかしたら母親という仕事に向いてないのかもしんない。終わってから先生と少し話したら、息子は文化祭の出店で、テディベア屋をやりたい、ひとりでもやるとがんばっているのだそうだ。そういえば先生に「それはたいへんだからやめたら」と言われた日、悔しさに泣きながら帰ってきた。「1個ひとりで作らせた無理だとわかってあきらめると思うんですが」と先生。確かにいままで作ったベアは私が手伝っていたから、ひとりで作れる気になっているのはまずいのかもしれない。でも何だか腑に落ちない。ユーヤに話したら「あきらめさせるためにやるのか?」そうよ、そこがなんか違う気がすんのよ。息子を呼んで話す。「ぜったいひとりでもやる」と言う。そこまで言うならちょっと待て、と彼がひとりでもやれる形を考えてみる。手足も耳もくっついているかんたんな型紙を選んで写し取らせる。はぎれや古い服を切り、顔も刺繍でなく、フェルトを張って作らせる。首のリボンwも私が捨てずに取っておいた安リボン。シンプルだけど子どもが作った味がでてて、私はいいと思う。月曜にはこれを持って行って再々度先生を説得する息子なのだった。

▽12月31日 月曜日
 最後の平日だしな~と思って銀行へ行ったらとっくに休みだった。新しく口座を作ったこの銀行はこういうノリ。ATM振り込みも出来ない。でもいいや、慣れよう。便利ならいいってもんじゃない。便利って誰かが働きすぎてるってことかもしんないし。…

モカハラリ(I)

 こんぴらさん行きをあきらめて、「日曜美術館」が終わる頃に起きる。来週は金沢の21世紀美術館か。これはこないだ行こうかと思ったが、時間がなかったので未踏。

 朝ご飯をたべて、リンゴ食べて柿たべてから、なんばの上方浮世絵館へ行こうと昼頃にウチを出る。梅田で小腹がすいてきたので、昼飯にするかと昔なんどか行ったことのある店へ数年ぶりに入る。それから地下鉄でなんばへ。
 上方浮世絵館では「浮世絵のデザイン」という展示をやっていて、今日が最終日。受付で顔見知りの学芸員さんとあいさつを交わす。「浮世絵のデザイン」という展示もおもしろかったが、版木の特別展示がめずらしくて目を引いた。多色刷りなのでアタリマエなのだが、それぞれの色の部分を掘った版木があるわけだ。「そうか~なるほどな~」と同居人は感心して見入っている。「そうか、下絵を木に貼って、掘ってあるのか。」

 浮世絵館の近くの、昔ながらの喫茶店、というような喫茶店でコーヒーをいただく。メニューに「モカマタリ」と並んで「モカハラリ」というのがある。「モカハラリってどんなんですか?」「ちょっと酸味がつよいですね」…で、モカハラリを頼んでみる。同居人の頼んだモカマタリと比べると、たしかに酸味がつよい。おいしいコーヒーであった。

 そう遠くないしと、なんばから本町まで歩く。人の多い通りを避けて、すたすたと歩くと、ほんとうに本町は近かった。しかし本町で地下鉄の駅へ降りるための階段が、まわりのオフィスビルがあちこち閉まっているせいでなかなか見当たらず、本町でうろうろ。

 梅田まで乗って、晩は「きりたんぽ鍋」にしよう、ついては「比内鶏」というものを買ってみようと百貨店の精肉コーナーへ出向く。グラム580円というのを売っていた。阿波尾鳥とか名古屋コーチンなどの地鶏をそろえている。少々迷うが、ええいと1枚購入。「これ食って、もフツーの鶏が食えんようになったらどないしょう。」

 すたすたと移動したせいか、昼から出たわりには早く帰る。シェフ同居人が「きりたんぽ鍋」を調製。しっかりと歯ごたえのある肉であった。一口300円くらいか。日本酒をちびっといただきながら、鍋。まんぞく。

台風23号の、あと(II)

 晩ご飯はシェフ同居人による豚汁、ハタハタを焼いて、ご飯。買ってきたキムチ盛り合わせ付き。ご飯のあとに、こないだ買った西洋梨を食べてみる。ウマい。

 100冊送ってオッケーと返事がきたので、九州の友あてに100冊詰めの箱を送る。徒歩1分のコンビニまで宅配便を頼みに持ち込んだら、腰をいわしそうなくらい重かった。100冊の本は20kg近い重量だったらしい。配達の人はこれを4階までもっていってくれるのか…と感心する。

 夜の喫茶は凍頂烏龍茶。お茶のみながら、上野千鶴子の『国境 お構いなし』を読んでしまう。「アメリカの日本研究」という文章が印象に残る。

▽…日本に対する関心が高まり、留学生がやってくるようになると、外国産の研究を日本語を介して勉強するのは、コストがかかるだけでなく、意味がないことがはっきりする。日本産の学問研究を発信しなければ、留学生だけでなく、外国に送るメッセージが持てない。どんな理論や学説も、それを生み出した歴史的・社会的文脈を離れては存在しない。海外体験にさらされるにつれ、わたしはしだいに、日本をフィールドにした研究の重要性を認識するようになった。そして日本をフィールドにした研究は、どんなものであれ、広義の日本研究と見なしてかまわない、と考えるようになった。
 …
 そう考えれば[アメリカ人は、自分の研究のことを、アメリカ研究とは呼ばない]、普遍性を僭称するパーソンズの一般理論も、シカゴ学派の都市社会学も、そのアメリカ出自があきらかとなる。どんな「一般理論」も、それが生まれた背景にたちかえって「歴史化」してみれば、ある時代と社会の産物であることはあきらかだろう。パーソンズの家族システムの理論は「近代家族」という歴史的な家族形態を、普遍と思いこんだアメリカ人の生んだ学説だということがはっきりするし、そのうえ、その学説を「普遍理論」と称した態度そのものに、抜きがたい進化主義的発展段階論と西欧中心主義があることもわかってくる。
 だからといって、どんな学説も「特殊」な文脈の産物で、したがって汎用性がない、と言いたいのではない。ある研究の固有性があきらかになれば、そのうえではじめて、他のさまざまに固有な文脈における経験との比較・分析が可能になる。…(185-187ページ)

 核心的な手法としての、比較。

台風23号の、あと(I)

 今日も天気良し。いつもより朝ゆっくり寝てから起きる。朝ご飯をたべて、洗濯して干して、ちょっと伊丹方面へ歩こかーと散歩に出る。もう11月もしまいやのに、外へ出るとふくふくとあたたかい。歩いていると暑いくらいだ。途中で上着をぬいで、てくてくと歩く。

 空港の北側をぬけて、猪名川が見えてきたとき、台風23号の水の威力が相当なものだったことを知る。橋から見えるテニスコートは土砂や流木やその他のもので押し流されたらしく、使用禁止になっていた。かろうじてコートを区切ったラインがのこっていたが、その脇にはゴミのようなものが積み上げられた山がいくつかあった。川沿いに伊丹へ向かって歩いていくと、(こんなところまで水がきていたのか)という高さまで、その痕跡がある。流れてきたモノが木に引っ掛かっていたり、明らかに一方向にむかって草がなぎたおされていたりする。
 猪名川のこの土手をこえていたら、どこか一カ所でも堤防が切れていたら、すぐ脇の店も工場も民家も水につかっていただろう。実際に、豊岡などで起こったのはそういうことなのだろう。水の高さを考えると、ふだんの川幅の数倍から十倍くらいのものすごい濁流だったことだろう。それですっかり川底がさらわれてしまったのか、川の水がひじょうに澄んでいた。
 川沿いに住む人たちや、工場や店をもつ人たちは気が気でなかったことだろう…と思わせるだけの「台風23号の、あと」だった。スゴかった。

 伊丹へたどりついて、まず昼ご飯。焼き鳥の店で鳥丼を食べる。なかなかうまい。それから、また同居人の「弁当箱がはいるカバン」探し。これでもうちょっとマチがあればな~という物件多し。予算を大幅にこえる物件も多し。いくつかの店をみてまわっってようやく、ほぼ理想のカタチ・予算のカバンを発見。「今日はリュックを背負わずに行く、背水の陣で」などと言っていた同居人の意気込みがよかったか。隣でみていて、私もほしくなったので色違いのカバンを購入。それで気がすんだので、あと本屋などを多少ひやかして、バスで帰る。すっげー天気よくてバスの窓ごしに陽をあびると暑い。

紙だらけ(II)

 晩ご飯のあと、紙の山にとりかかる。まず昔読んだ論文やら資料やらのコピーの束をざっと見て捨てていく。段ボールに1箱ぶんの新聞切り抜きも出てきた。それらもざっと目を通し、ごく一部だけを残して捨てていく。母ちゃんが投稿した切り抜きも出てきた。これはちゃんと取っておく。書評や本の紹介記事をきちんと貼り付けたスクラップブックも出てきた。いつこんなヒマなことしたんやろ。これはちょっとおもしろいので、もう一度目を通してから捨てることにする。

 前々から、自分がお金をつかっているのは本や絵はがきや郵便など「紙」なのだと自覚していたが、ホンマにとにかく紙だらけ。われながらアホかという気分になる。
 同居人は帰ってきて、夜介護に出かけていった。私はゴミ袋に2つの紙ゴミをつくった。冷えるので風呂で本をながめて、ぼーーーっとあたたまる。明日もいい天気らしいので、ぶらぶら散歩に出たい。

紙だらけ(I)

 先週月曜の指定休を変更したので、休み。同居人は通常どおりの出勤。今日も天気良し。
 この休みは「片づけるぞー」の意欲が増しているので、片づけ。目標は紙のやまを処分すること。手放す本と置いておく本の仕分けをすること。

 九州の友から「もういらない文庫本を送ってくれていいよ」と有り難い申し出がありながら、なかなか荷造りできずにいたのをまず取り組む。とりあえず25冊抜き出して、リストをメールする。もう読んだ本やきっと読まないだろうという本をはじいてもらうためである。
 それとは別に九州の先輩宅へこちらは私が子どもの頃に読んだ本を譲ると言っていたのにいまだに荷造りできていない。こちらも候補の本をよりわける。小学生の頃の私の愛読書だった山中恒の『クラマはかせのなぜ』も送ることにする。懐かしの本を久々に読む。
 …九州の友から折り返しメールが届く。「全部宜しくお願いしたい」という有り難い内容なので、続けて25冊分のリストを送り、50冊か100冊送ってもよいか?と書く。さらに50冊を本棚から抜き出す。これだけ抜いて、ようやく床にあふれていた文庫本が本棚に収まりそうである。

 前の職場から持って帰って、まだ段ボールに入ったままの本がある。箱から出して、手放すつもりの本を床に積み上げていく。本棚に入っているモノのなかからも、よりわけていく。150冊ほど積み上げたが、まだ本棚は空かない。こういう作業をしていると、手放せるものは全部手放して、もっと身軽になりたいという思いにかられる。ここまで本を買ってしまったのも自分なので自業自得だが、まさに“買うはヨイヨイ後がコワイ”である。

 昼ご飯をはさんで、洗濯して干して、本の仕分けをして、ちょっとくたびれたのでコーヒーを飲んでから、九州の先輩宅へ送る本を出しにいく。ついでに銀行や郵便局で用足し。本屋を冷やかしてから、図書館へ行く。日が暮れるまで本を読んで、返して借りて帰る。帰ってからしばらく上野千鶴子の『国境 お構いなし』を読む。お腹が減ったので、餃子を焼いて、ナンプラー風味のスープ麺をつくって、ひとりで晩ご飯。

棟方板画(II)

 民藝館の秘蔵作品やら初公開の棟方作品が出ていて、見るぶんにはたいへん満足。大和し美しが全柵出てるとか、華厳譜は旧版と(柳の指導をうけて)改刻したのと両方が出てるとか、しまいのほうにはたいへんな筆マメだったという棟方の書簡もあって、かなりトータルに棟方を見られる内容。棟方の油絵(さいしょは油絵を描いていたのだという)もあったし、私は今日はじめて棟方の「裏彩色」という手法を知った。ああだからこういう感じで色が出るのかと納得した。ぴちぴちと跳ねる鯉の板画もよかった。
 しかしなぜ民藝館はこういう会場を選んだのであろうか。モッタイナイな~という気がする。そしてロッカーがなかったせいで、上着を着たまま荷物を背負って見たためか肩が凝ってしまった。

 1時間あまり見物したあと、昼ご飯にさぬきうどんを食べる。それからコーヒーを飲んで休息し、アウトレットへくりだす。いざ。・・・・・なかなか思ったようなのはなくて、ついでに冬物の服も見てみるが、いまいちピンとこず、買い物は中国茶の店で八宝茶を買っただけで帰る。

 帰りにちょっと梅田をうろついたらくたびれてしまい、晩ご飯は寿司を食べにゆく。にぎりと秋鯖のバッテラ。
 今日も『鷲の驕り』を読む。ハヨ読まんと、次から次へと場面がかわるので、わからんようになりそう。

棟方板画(I)

 ねむぅーーーーと思いながら、9時過ぎにテレビをつけて日曜美術館をみる。兵馬俑のはなし。いま上野で展示されているアレを、まだ開幕する前の夜にみた。あまりにも無造作に柵の向こうに置いてあったので、あればレプリカだったのかもしれないが、10月に東京へ行ったときのことだ。いま思えば並んで記念撮影くらいしておけばよかった。
 「兵馬俑」と、兵士と馬が中心のようによばれているが(もちろんあの兵士の群の大きさはそうよばせるに足ものだろうが)、陵園のなかには兵士や馬のほかにも鳥や楽士やいろんなのがいるそうだ。大阪へは巡回してこんのかな~。

 ねむいねむいと思いながら起きて朝ご飯をたべて、今日は棟方志功展を見物にいくことにする。目的地はATCミュージアム。あそこのアウトレットでまた同居人の「弁当箱を入れられるカバン」を探そう、エエのがあったら買おかと出かける。外へ出ると今日も天気良し。あたたかいと感じるくらいだ。乗り換えて乗り換えて乗り換えてやっとATC。ここへ来るのはホンマに面倒で、お金もかかる。なにゆえOTS線などという別の線をつくってバカ高い運賃で動かしているのか理解にくるしむ。同居人のいうように「お役所仕事」で「自分の金とちゃうから」なんやろか。

 ちょうど昼飯どきで、どこの店も並んでいるような状態。先に見てしまおかと棟方志功展へ行く。じつに閑散としている。ピカソ展のときにあれほど大量の人がいたのが信じられんくらい空いている。見物するにはひじょうにヨイ環境なので文句はないが、荷物を預けておくロッカーがないのには驚く。いつもロッカーがあるところをよく見ると、ロッカーを裏返しにして置いてあるのだ。いったいどーなってんねん。受付で訊ねると「今回ないんですよ」と言う。弁当を背負っているわけでなし、たいした重さではないものの、美術館や博物館では荷物を預けて身軽に見ることに慣れていると、すっげー不満。ATCミュージアムというのは、ミュージアムと名乗ってこそいるが、ただのハコ貸し施設なのでこういうバカなことになるのだろう。ほんとうに好きな人なら遠方から大荷物背負って来たりもするのに、ホンマにもう。

久々の手話講習会

 祝日があり、公民館祭りがあって、手話講習会は2週お休みだった。久々の講習会は参加者がまたいちだんと減って、ますますこぢんまりとしていた。講師の急用で、ピンチヒッターとして若い聾者・Xさんが登場。私がいままで接したことのある聾者のなかでは、もっとも明瞭に“話す”人だった。どういう言語教育を受けてきはったんかなーと思いながら、講習会を受ける。

 練習の例文で「私の家族は・・・人です。私と夫と・・・・と夫の母です。」というのがあった。前へ出てやってみてくださいと指された人の手話がちょっとヘンやったので、Xさんが「夫」という手話をやってみせ、それに付け加えて「母」の手話をした。そのときXさんが、「夫の・・・オカン」と言ったのが、印象に残った。「オカン」というのを、Xさんはどこでおぼえたんかなー?と(やはり文字情報なんかなー?と)。
 「母親」をよぶにもさまざまな表現がある。「はは」「ははうえ」「おかあさん」「かあちゃん」「おふくろ」「ママ」「オカン」など。それは場の文脈や会話の相手や言語習慣などによって変化するのだろう。Xさんが「オカン」と発音したことに対して私がこういう印象をもつのは、「エイゴには敬語がない」という思い込み状況に似ているような気もした。

 講習会のあと、Xさんが駐車場を教えてほしい、どこかわからなかったので路駐してるというので、一緒に降りて駐車場の出入り口を教えた。手足に不自由がないのであればクルマの運転はできるだろう。音で知らされる危険(クラクション、急ブレーキの音)に対して、どういう風に対処して運転しているのだろう?と思いながら、Xさんも急いでいたのでその場では聞けなかった。
 来週も来はるんやったら、きいてみようと思う。

7年ぶり?8年ぶり?

 弁当づくりをパスして、7時半に起きる。外は雨。肌寒い。
 昼は同僚と豚カツを食べにいく。職場環境のことなどをいろいろしゃべる。雇用側はホンマに都合のいいことばかり考えてやがるなーと思う。条件も示さずに雇用契約なんかできるか。

 定時におわり、更衣室で半時間ほど本を読んで時間をつぶす。雨はかなり強く降っているらしい。もう数年会っていなかった大学の後輩Sちゃんと一緒に晩ご飯を食べることにしたのだ。Sちゃんが私の職場と近いところで働いているらしいことは聞いていた。私が弁当ナシ子で昼ご飯を買いに出たところを、ある店でSちゃんが見かけたらしい。声をかけようと思って振り向いたら、もういなかったので…似てるなあと思って、とメールをくれたのだ。きっとそれは私やなあと返事をかいて、せっかく近くで働いてるんやし一緒にご飯でもという話が今日になったのだ。

 6時半の待ち合わせ、15分くらい前に待ち合わせ場所へ行くと、もうSちゃんが待っていた。すっげー久々に会う。そこからベトナム料理屋へ入って、10時半頃まで飲んで食べながら、いろいろとしゃべる。前に会ったのはいつやったっけなあと思い出してみると、どうやら私が広島へ引っ越す前にガスコンロをSちゃんに譲ったときが最後らしい。それってもう・・・7年前?いや8年近く前。まだ私も20代だったし、Sちゃんは学生だった。もうそんなになるかーと思う。

 職場の話、しごとの話、転職の話、むかしの男の話、結婚の話など、あれこれと。そういえばSちゃんは妹2号と同い歳やったなーと思い出す。

7周ほど

 『龍の契り』を読み読み出勤。サブタイトルに“サスペンス”とついたような本は私の読書の範疇にあまりなかったのだが、読んでみたら高村薫系というかなんというか。場所と時間があっちへとびこっちへとびして、登場人物も数多いため、ばーーーーっと一気に読んでしまわな、誰がだれなんか忘れそう。で、せっせと読む。

 朝からチラシやポスターの設置と撤去がたくさん。午前中だけで館内を4周。昼から別の学習センターで相談員研修があるので、はやめに昼ご飯をたべて、いったん外出。各区の相談員さんたち(非常勤でほとんどの人が3時終業)と忘年会が計画されていたのだが、さすがにここで帰るわけにもいかず、職場は明日の行事の準備でたいへんやし、残念だがまたの機会にということで職場へ帰る。

 帰ったら、またもやチラシにポスターが山盛りになっていた。昼に出るまえにはこんな山ではなかったはずが・・・と思ったら、今日は配達物が多かったようで、2度配達があったそうだ。研修からもってかえったチラシなどをあわせ、とりあえず開封、そして設置する。で、また館内を3周ほどする。そのあと明日の行事の準備を手伝って、モノ運びなどをやり、横断幕の作成をてつだい、1時間ほどザンギョーして帰る。ああつかれた。

 晩ご飯は「鶏団子鍋」にしようと、ミンチやら白菜やらキノコを買って帰る。同居人からは残業メール。鍋の支度を途中までして、『龍の契り』を読みながら待つ。駅からの帰るコールで、鶏団子をこねあげ、晩ご飯。生姜をきかせた鶏団子鍋はこの冬の定番になりそう。
 すっげー眠いので、風呂はパスして寝る。明日も出勤。

土曜出勤

 土曜出勤。天気よし。職場は“生涯学習フェスティバル”という行事のためうじゃうじゃと人がいる。しかし、天気がよいためか、主催側・出展者などをのぞく“一般客”はひじょうに少なく、こういう催しをやるという意義はなんだろうなアと思う。出展者どうしが、互いの出展を見物しあっているという感じ。まあそれもいいんやろうけど、それなりに時間と金とエネルギーが投入されているこの催しをひらくことで、どこに(だれに/何に)対してどういう結果(状態)を得たいと思ったんやろうなーと考えもした。“市民団体”どうしのつながり?

 私は受付当番だったので、館内の道案内や受付をしながら、出展の一部も多少ひやかして、定時に帰る。あああつかれた。

 今晩はシェフ飯。「晩ご飯なに?」と電話したら「ひみちゅ」と言われ、なんやろなんやろと帰ってみると・・・・・出てきたのは芋煮であった。「いちどつくってみたかった」と、日本酒をちびちび飲みながら食す。ウマい。日本酒にあう。野外の料理やなーッて感じ(ウチん中で食べてるけど)。「ゴボウがうまい~」と同居人はずいぶんゴボウ入り鍋が気に入ったらしい(先日のきりたんぽ鍋もゴボウがいい仕事をしていた)。ご飯もちょっと食べて、この芋煮がご飯にもあうことを実感。

 晩ご飯のあと、リンゴ(サンフジ)食べて、中国茶をのむ。明日から3連休♪ そのまえにWeの次号のさいごの校正をする。

 『龍の契り』につづき、服部真澄の『鷲の驕り』を読む。ハヨ読まな登場人物がごちゃごちゃになりそう。
 
 
プロフィール
 
 

乱読ぴょん

Author:乱読ぴょん
    乱読ブログバナー
本ネタのミニコミ誌『ブックマーク』を編集発行しています(1990年9月創刊~ 昔は隔月発行でしたが、今は年2回発行で、現在87号)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2014年4月(313号)より「本の道草」を連載中(現在、第39回)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2004年3月(192号)より2014年3月(312号)まで、本ネタ「頭のフタを開けたりしめたり」を連載(全119回、連載終了)。

『くらしと教育をつなぐWe』誌で、1999年4月(71号)より2014年2月(188号)まで、本ネタ「乱読大魔王日記」を連載(全118回、連載終了)。

amazonへリンク

 
 
最新記事
 
 
 
 
最新コメント
 
 
 
 
カテゴリ
 
 
 
 
Google検索
 
 


WWW検索
ブログ内検索
Google
 
 
本棚
 
 
 
 
リンク
 
 
 
 
カウンター
 
 
 
 
RSSリンク
 
 
 
 
月別アーカイブ