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読んだり、書いたり、編んだり 

おのぼりさん@トーキョー2日め

 朝から東京国立博物館(トーハク)へ行く。本館の常設展示がリニューアルされたとかで、今回近美の琳派展とならんで、必ず見るぞと思っていたところ。私は久々、同居人は初めて。同居人のお札でタダ入場。
 (中略)
 本館の2階をまわって、1階の半分ほどまで見たところで、昼になる。午前中に本館くらいはと思っていたが、まったく無理。昼ご飯の約束もあるので、いったん出て駅へ。上野の広い広い駅のなかを少々さまよって、待ち合わせ場所の本屋へたどりつく。大学同期のNとそのオットさんと合流。午後は熊谷守一美術館へ行くつもりだと言うと、それなら上野はよく知らないのでと池袋へ場所を変えることに。山手線で池袋へ移動。
 昼から串揚げを食べて、ビールを飲む。
 (中略)
 池袋から有楽町線で一駅、要町の熊谷守一美術館へ行く。池袋もえらい人だったが、一駅乗っただけで、すっかり住宅街である。
 (中略)
 日暮里の朝倉彫塑館へ行く。ここのネコはやはりオモロイ。思っていたより人が多く、熊谷守一美術館よりは込んでいた。小腹がすいたので、駅の近くで煎餅を買ってかじる。
 (中略)
 鶯谷から再び東博へ行く。土曜は開館時間延長で18時閉館、それまで1時間余り、本館の続きと平成館の展示を見る。
 (中略)
 あまりにも足が疲れてたまらんので、上野の駅ビル内にあるマッサージ屋へ入る。膝下マッサージ30分を受けて、極楽。足がいきかえる。晩ご飯はお粥の店であっさりとすませ、夜のオヤツにあんみつを買って、宿へ戻る。

 涼しいと聞いていたはずのトーキョーは、2日めもすげー暑かった。大阪とかわらんやんけー。

おのぼりさん@トーキョー1日め

 朝7時半のヒコーキで移動。8時40分に羽田着、そこから竹橋の東京近美へ向かうと、ちょうど開館時間に到着。同居人のお札でタダ入場。まずは「琳派展」。なかなかの人出。
 入ってすぐにクリムトが置かれているのに驚く。光琳の風神雷神図にはずいぶんと人だかりがしている。光琳が手本にした宗達の風神雷神図も並べて見てみたかった。
 (中略)
 出口まで行ってから、リバースして再度見る。またリバースして見る。滋賀のコピーの時代とか山口の周防国分寺展のようなヨイ企画展。
 コーヒー飲んで一休みしてから、常設展示の見物。東京近美の館蔵品もスゲーものが多い。岸田劉生の切り通しの写生の現物を初めて見た。
 (中略)
 シャトルバスに乗って丸の内方面へ出て、帝劇ビルの下で昼ご飯。「黒いうどんを食べてみたい」と主張する同居人につきあってうどんも食べられるソバ屋を物色するが、結局出てきたうどんは関西風のダシで、ちょっとがっかりする。店を出るときに「言うたら関東風のダシにしてもらえた」ということに気づき、二重にがっかり。私はずいぶん前に「黒いうどん」は経験済みだが、同居人は一度食べてみたいらしい。

 そこからすぐ出光美術館へ行く。「古九谷-その謎にせまる-」という企画展と常設展示を見物。出光美術館には障害者割引はなく、一律料金。
 (中略)
 かなりくたびれたので、いったん宿へ荷物を置きに行く。上野から歩いて10分ほど。チェックインして、1時間ほど昼寝。琳派展の重い図録など荷物をおろして、そこから渋谷へ向かう。根津から千代田線、表参道で先にきた銀座線に乗り換え。
 渋谷はものすごい人だった。梅田や難波の人込みとは桁違いという感じ。うんざりするような人込みを抜けて、たばこと塩の博物館へ行く。ここで「明治の世相」という企画展と常設展示を見物。JTがやっているせいか、大人の入場料が100円(企画展込みでこの値段)、それでいて何ページもある企画展の解説書のようなものを渡される(同居人のお札でワレワレはタダ入場だったが)。展示室の照明もはげしく凝っている。
 (中略)
 渋谷から一駅乗って、池尻大橋でNさんとそのご友人と合流。晩ご飯に「すげーうまい中華」を食べる。この大阪王将を思わせる店構えとホテルのような味とのギャップが…オモシロかった。

 宿へ戻って、大浴場で温泉につかって、部屋で足マッサージをする。歩き疲れ。

 涼しいと聞いていたはずのトーキョーは真夏日。めっちゃ暑かった。

急に涼しくなった

 朝から研修で施設見学にゆく。いつまで暑いねんっ!と思っていたら、急に涼しくなった。外を歩くと風が強いこともあって、肌寒いくらいである。
 お昼をはさんで、2つの施設をまわる。午後から行った産業創造館の地下にある企業家ミュージアムも初めて見物。ライブラリがなかなか充実していて、他の図書館ではないような品揃えで、またゆっくり来ようと思う。淀屋橋を「淀屋」が架け、心斎橋を架けたのが「岡田心斎」、「安井道頓」の道頓堀…大阪の多くの橋は、町人がみずから金を出して架けたものだった。懐徳堂や適塾といった私塾があり、「お上をあてにせず、自分たちで町をつくってきた伝統」が大阪にはある、という話はもっとよく知りたいと思う。

 解散後、職場へ戻って、チラシを置いたり、ポスターを貼り替えたり、最低限のことをやって、ベルサッサで出る。今日から公民館の手話講習会が始まるのだ。行き帰りの電車で読んでしまった山本厚生の『「住まいづくり」考』を返し、何冊か借りて、講習会へ行く。講師は、手話サークルの聾者・Kさん。
 聾者=手話が通じる、というわけではないことや、手話にも方言があること、世界共通ではないこと、けれども、身振りでもかなり多くのことを伝えあうことができる…というような話を聞いて、「伝えあってみましょう」ということで、ジェスチャーゲームのようなことをたくさんする。どう表現すれば人に通じるかということを考えつつも、多くの人に通じる表現を考えると、それがステレオタイプを強めないだろうかという気もちもおこる。

おのぼりさん@トーキョー3日め

 まだ見ていない東博の東洋館と法隆寺宝物館をみるため、開館時間をめざして行く。ちょっと利口になって、東博の前もまわる宿のバスに乗る。東博は敬老の日ということで無料観覧日になっていて、開館時間を待つ人がけっこうたくさんいた。

 東洋館には西方のモノも含めて、アジア圏の仏像やらイロイロなものがあった。仏像にも地域色が濃く出るもので、ガンダーラ方面の菩薩像は、やはり濃い顔をしているのであった。
 (中略)
 ミュージアムショップで、Tシャツとハンカチと常設展示の「五〇選」の図録を買う。コーヒーを飲んでひとやすみ。
 法隆寺宝物館は、これまた国宝から何から、法隆寺から献納されたモノがよーけあった。片足を踏み出した仏像がおもしろかった。面の部屋は展示物保護のため、閉室中だった。残念。
 (中略)
 斜め向かいの国立科学博物館(カハク)へ行く。同居人のお札でタダ入場。全館見る時間はとてもないので、「テレビゲームとデジタル科学」展だけ見ることにする。東博とは客層がずいぶん違う。向こうも親子連れはいたけれど、こんなに親子連ればかりではなかった。「テレビゲームとデジタル科学展」は、大きいお友だちが多いのかと思っていたが、小さい子もかなり入っていた(おもしろがっていたのは、明らかに大人だろうが)。
 同居人はひじょーにウレしそうに懐かしそうに見物している。図録ももちろん購入。時間があれば常設展示も見てみたかった。

 上野駅で昼ご飯を食べる。
 山手線とモノレールを乗り継いで羽田空港へ。ピンとくる土産物も見当たらないので、チェックインして手荷物検査をとおって(同居人はやはりビービー鳴って、厳重にボディチェックされていた)、コーヒーを飲んでヒコーキを待つ。

 16時半に無事帰阪。
 いや~よく歩いた。

 ウチで一休みして、晩ご飯は駅前でにぎり寿司とバッテラを食べて帰る。
 いや~ホンマに美術館と博物館ばっかりまわったトーキョーおのぼりさんツアーであった。

お知らせ

 18~20日のあいだ、東京へ行ってます。美術館や博物館をイロイロまわる予定。
 18日早朝のヒコーキで発ち、20日夕刻のヒコーキで帰阪予定。

ザンギョー

 朝から書類つくって、荷物を送って、チラシを置いて、午後から施設見学を兼ねた研修に出る。行った先の施設概要を説明する人が「ホーホー族」だったので、ひじょうに聞き苦しかった。「こちらの部屋のほう、料金のほうは○○となっていまして、この機材のほうは、専門のスタッフのほうがお手伝いいたします。この事業のほうは、××庁の委嘱のほうを受けておりまして、すでに終わったものですが、云々。」食いもの屋でもホーホー族は多い。
 夕方また職場へ戻ったら、チラシがテンコモリになっていて、いっきにブルー。なんかもうすげーテンコモリ。
 しかし連休のつぎは休館日、その次は朝から研修に出る…というスケジュールを考えても、今日置いて帰るべきだ。しやーないので、山盛りのチラシを封筒からひっぱりだして、設置していく。とちゅうで同僚のひとりに「これ捨てるチラシ?」と聞かれる。「いや、今から置くやつ。」

 今日の山盛りチラシはいったい何種類あったのだろうか、数えられないくらい多かった。30種類は置いた気がする。またこれが大量に送ってくるところがあって、1つのチラシを50枚でも多いくらいやのに、150枚とか200枚とか…多けりゃエエってもんとちゃうぞ。

 チラシをせっせと置いてまわっていると、来館者から数度にわたり声をかけられる。いくつかの質問にこたえ、説明し…そしてまたチラシを置いて、今日で期限のくるポスターをはがして、別のを貼って、ああもういつになったら帰れるんやと思いつつ、ようやく職場を出られたのが7時過ぎ。1時間半ものザンギョーである。ああもうハヨ帰ろ。

 めずらしく同居人のほうが先に帰っていた。明日から東京へ行くので、冷蔵庫総ざらえメニュー。シウマイ、豆サラダ(貝割れ大根を足す)、モズクもやし、茄子とブロッコリーのピリ辛炒め、焼き餃子。ご飯を仕掛けていかなかったので、これでビールを飲む。
 夜のお茶は凍頂烏龍。イイ香り。ハヨ寝るぞ。

4周目(II)

 しばらくして、もう少し話の分かるような店員さんが出てきたが、「本関係の雑誌はダ・ヴィンチくらいしか置いてなくて」。「みずゑ」のバックナンバーがあったりするので、あるんじゃないのかと思ったが、見当たらないのであきらめて帰る。
 やはり眠く、帰りの電車で本を読んでいたはずが、くったり寝ていた。最寄り駅で飛び起きて降りる。昨日休んだわりには、よれよれだ。

 晩ご飯はカレーピラフ(レトルトの具を入れて炊くだけ)と豆サラダ。夜のお茶は黄金桂。

4周目(I)

 昨日かなり寝たはずだが、眠い。今日は外出があるので弁当パスして7時半まで布団に転がっていたが、なんやものごっつう眠い。夜中にビミョウなセイリ痛でうつらうつらしていたせいかもしれない。夜中に寝ぼけながら「セイリ痛に効くアロマオイル」というものでマッサージをしてみた。まあちょっとマシになったような気はした。

 今日も暑そう…と駅まで歩くあいだに思う。玄関を出たときには涼しい風が吹いていると思ったけど、やはり暑い。土曜に講演会も聴いたし、昨日図書館で借りてきた『江戸の見世物』をまた読む。去年いちど読んだ本だが、講演を聴いて、いくつかの地名や人名をおぼえてから読むとまたオモロイ。しかし眠い。

 午後は研修と会議のために歴博へ外出なので、始業から2時間ほどチラシを置いて、書類を途中までつくって、人の作文のチェックをして…などとやっていたらすぐ昼前になる。13時に集合なので、同行の同僚3人とともに外出。まず昼ご飯。谷四のファサンという店でランチ。私は「今月限定」という鰯と冬瓜のスープのランチにした。食後に熱い韓国茶も飲む。少し雲が出ていて、外はそう暑くない。

 午後は施設見学の研修と会議である。8月末に行ったのはそのための打ち合わせ。そのときも展示を見せてもらい、こないだの土曜には講演の前と後に展示を見て、さらに今日、これで「生人形」展は4周目である。ちょうどこの週明けに前期と後期の一部展示替えがあったので、ラッキィなことに前期も後期も展示物をすべて見ることができたわけだ。なんど見ても谷汲観音はイイ。賽銭もまた増えていたような。常設展示もあわせて見せてもらい、今日は地下の遺構も見学し、施設概要の話も聞いたので、歴博をベンキョウしたっ!という感じ。
 展示をひととおり見て、会議が1時間。かなりくたびれて5時解散。

 帰りにA屋書店へ行って「本の雑誌」をきいてみる。最新号はあるのだが「バックナンバーはありません」と言われる。むむぅ、ここでもないのか、それならばと梅田を縦断してロフトの本屋へ行く。ここはLブロだったと思っていたら、いつの間にかCD屋の隣にまあまあ充実した雑誌売り場という状態になっていた。Lブロは消えていた。バックナンバーもそこそこあるようなので、「本の雑誌」を探して歩く。ありそうなニオイはするのだが、見当たらない。レジで聞いてみると「本の雑誌?ですか?どんな雑誌ですか?」と言われる。本屋の店員に「本の雑誌って何ですか?」と言われると、ちょっと萎える。

脊髄小脳変成症(II)

 やはり眠いので手話サークルへ行くまで寝る。黒田日出男の『肖像画を読む』を少し読みながら、ウトウトといつの間にか寝ていた。第一章は、尊氏だと言われてきた肖像画の像主は「実は尊氏ではないのだ、たぶん」という話。この肖像画は私がむかし使っていた歴史の教科書にも尊氏として載っていた。ノートにこれをマネした絵まで描いたことがあるからおぼえているのだが、いましみじみと口絵の写真を見ると、これはかなり特異な絵である。中学生の頃にはそんなことは全然思わなかったけれど。
 総髪・抜刀・矢の折れた姿、つまり兜はなく、刀を抜いて肩にかけ、折れた矢もあわせて残り矢だけをもっている姿というのは、敗残の将と言ってもおかしくない。これまでの研究は「そんなヘボい姿を尊氏として書くわけがないヤロ」という話で終わっていたところを、黒田日出男は「これは誰か」というのを能う限りの推理を重ねて追求していくのである。
 滋賀の「コピーの時代」展で、源頼朝だと言われている像を用いた作品があった。第二章は、この「伝源頼朝像」についての話である。

 それにしても、“教科書でみた絵”というのは、“教科書で習った歴史”と同じでその後の研究成果だの何だののおかげでずいぶん評価や解釈が変わっているらしい。いまの中学生が使う教科書に「伝尊氏像」は出てくるのやろか。

 日が暮れて、あわてて図書館へ行って本を返して借りて、それから手話サークル。今日はコドモ2人が主役のような日だった。終わって、ご飯に誘われたが、どうもダルくて眠いので今日はパス。

脊髄小脳変成症(I)

 休養のため休む。昨晩からめちゃくちゃに眠い。昨晩と言っていた原稿の校正をようやく今日になって送る。眠い。

 どこでこの本のことを知ったのだったか忘れてしまったが、図書館で借りている『いのちのハードル』を読む。サブタイトルは「「1リットルの涙」母の手記」。『1リットルの涙』という闘病中の日記をまとめた木藤亜也さんの、そのお母さんの手記である。亜也さんは15歳で脊髄小脳変成症と診断され、25歳で亡くなった。

 脊髄小脳変成症は、母ちゃんがかかったのと同じ病気。このお母さんの手記で読む亜也さんの病状進行や写真で示されている乱れた字の並ぶ書面など、同じ病気なのだと思い出すには十分だった。

 「はじめに」のところで、病気のことが書かれている。
▽この病気は、身体の運動神経を支配している小脳・せき随に病変を起こし、身体を動かす諸機能に症状が始まる。手や足を動かしたり、話したり、食べたりする機能が徐々に消失していき、最後には、呼吸運動の停止か衰弱による合併症のために、多くの場合、死亡する。
 しかも、知能は発病前と変わりなく健全な働きをしているために、真綿で首を締めつけられるように次々に起こってくる障害をいやおうなしに受けとめなければならない。(9ページ)

 原因も治療法も確立していない、いわゆる“難病”であることは、亜也さんの闘病時も(亜也さんが亡くなったのは1988年)、うちの母ちゃんの闘病時も(1990s)も、そして今もほとんど変わらない。

奇想の系譜

 今日も暑かった。あつぅー
 あまりにもくたびれたので明日は休みをとることにした。帰りにチケット屋で図書券買って、本屋へ寄る。蔵書50万冊と豪語する新しくできた本屋である。とりあえず「本の雑誌」購入が目的。芝エビのお礼を兼ねて、Q州へ送るのである。日曜、伊丹でけっこうでかい本屋へ寄ったが、ぜったいあるヤロと思っていた「本の雑誌」がこの店にはなかった。バックナンバーがないだけでなくて、雑誌そのものを入れてないと言われた。ガーン

 「本の雑誌」の最新号は山盛りあった。振り返ると雑誌のバックナンバー棚まであるので、こりゃあるなとイソイソと書架へ寄って探してみると…ない?おいおい最新号が山盛りで、バックナンバーくらいないのかよ。念のためと思い、レジで聞いてみると多少調べたあと「ないですね」と言い放たれた。ここのレジでは以前別の雑誌があるかどうかと訊ねたら「ないですね」と言われ、しかしその雑誌がすぐ向こうに平積みだったことがあるので、ちょっと疑い深くそういう経験があることを告げる。もう一度探してくれたが、やはり「ないですね」と言われる。ないのか。

 本を買わないように買わないようにするため、新刊本屋へは極力立ち寄らないようにしているので、新刊本屋をぶら~と歩きまわるのは久々である。おおっ辻惟雄の『奇想の系譜』が文庫になっている!!!!!奥付をみると9月に出たばかり。これは買いだ、買い。『奇想の図譜』は近所の図書館にもあるが、『奇想の系譜』は他館から借りてもらわないと読めなかったのだ。

 「本の雑誌」と『奇想の系譜』を掴んで、3階、2階と本をみてまわって、迷う本は多少あったものの、とりあえずこの2冊を買う。さらにもう一軒、老舗のK國屋へ行く。ここなら「本の雑誌」のバックナンバーはあるだろうと踏んでいたら、「雑誌のバックナンバーは原則として返品です」と言われる。大阪の真ん中のでっかい本屋でこんなこと言われると思わんかったな。美術のコーナーで藤森照信の『美術館三昧』というそそられる本を見る。うう読みたい。

 帰ってボケーっとして休憩。ひとやすみしてちょっと復活してきた頃に同居人が帰ってきた。晩ご飯は豚キムチ炒め(ニラと生姜と人参入り)、モズクもやし、冷や奴(柚子胡椒のせ)にご飯。合間にちょっとビールも飲む。ご飯を食べたら、ねむうくなってきて、小一時間布団にぶったおれて寝る。夜のオヤツは梨。

残暑

 朝からえらい晴れていて、天気予報はまた30度をこえるだろうと言っている。陽差しは強く、ベランダで洗濯機に水を張っているあいだだけでも、暑い。遅番なので、今日も朝から洗濯機をまわして、布団のシーツとカバーとその他を洗って干す。
 コーヒーを飲みながら、Weの原稿を書いてしまって、昼前に送る。それから同居人に頼まれていたクリーニングの用足し。出すのをもっていって、できたのを引き取ってくる。めちゃ暑い。帰ってから一風呂浴びて、それから昼ご飯。

 時間ぎりぎりに出て、図書館へ寄って本を返して借りる。電車に乗って、あとちょっとで読み終わる『女と仕事 私の方法』を読んでしまい(これは辺見じゅんが登場しているので借りて読んでみた)、借りたばかりの『ぬっとあったものと、ぬっとあるもの』を読みはじめる。冒頭で木下直之が書いている「大船観音山中出現記」は、なんだかどこかで読んだような気がする。この人の別の本にも収録されているのか、それとも初出をどこかで読んだのか。どこで読んだのか思い出せないが、この文章にはどうも読みおぼえがある。

 『女と仕事 私の方法』は、1988年に出た本。もとになった「とらばーゆ」誌での連載はさらに数年さかのぼるらしいので、1980年代半ばの状況だと考えてよいだろう。なんとなーく古くささを感じるところもある。でも、ここで語られたことが、20年たつ今でも「変わらない」部分がたしかにあるとも思う。

 仕事にはまだ浜村淳の影響があり、たしかに「何でも答えてくれます」的な調子のいいことを言われたうらみはあるが、マトモに紹介されたとしてもやはり反響はあっただろうと思うと、こんどは職場のなかで「学習相談」という私の担当業務があまりにも脆弱な体制であることを痛感する。担当はたった1人。研修もないまま採用と同時にすぐ電話をまわされたところから始まって、個人的な努力はしてきたつもりだが、この業務がここの職場で「大きな柱の一つ」だと言っているにしてはあまりにも個人に依存しすぎだとだんだん腹が立ってきた。担当がたった1人で、業務についてろくに検討する場もないなんて、他にないよ。しかも私の担当はそれだけではないのだ。ウソやろ、と言いたくなってきた。ふざけんなー!!

 てなことを何とか改善してもらいたいと、忙しい合間に管理職へメールを書いて、片づけて帰る。今日はフェミックスから出勤前にソッコーWeの校正刷りが届き、夜帰ってきたら頭のフタの校正刷りも届き、ああもう忙しくてイヤ。
 
 
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乱読ぴょん

Author:乱読ぴょん
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本ネタのミニコミ誌『ブックマーク』を編集発行しています(1990年9月創刊~ 昔は隔月発行でしたが、今は年2回発行で、現在91号)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2014年4月(313号)より「本の道草」を連載中(現在、第65回)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2004年3月(192号)より2014年3月(312号)まで、本ネタ「頭のフタを開けたりしめたり」を連載(全119回、連載終了)。

『くらしと教育をつなぐWe』誌で、1999年4月(71号)より2014年2月(188号)まで、本ネタ「乱読大魔王日記」を連載(全118回、連載終了)。

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