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読んだり、書いたり、編んだり 

ざんぎょう

 今日は学習相談続き、おまけに置いても置いてもチラシが届き、なんかすげー忙しかった。
 それでめずらしく2時間も残業してしまった。土曜出勤が控えているというのに、もう5日も働いて残業までした夜はへなへなである。

 晩ご飯はシェフ同居人がお買い物してきたサムゲタンとナムルとシウマイ。私は缶ビールを1本のむ。あああくたびれた。

 えらい久々に見る金曜ロードショーで「Shall we dance?」をやっていたので、みる。劇場公開のときに私は1度みたやつだが、同居人は初めて。2度目にみても笑えて楽しめた。が、こまぎれでCMが入りまくるのが、ちょっと疲れた。CMってのはがちゃがちゃとうるさくてチカチカして目が疲れる。

 酒井順子の『快楽は重箱のスミに』を読み終える。この人も姫野カオルコに似たネタを扱っていて、しかし書き方というか文体というか出自というか、そのへんの違いのせいだろうか、"一般的な"印象としては酒井順子のほうが姫野カオルコよりはスカした感じがするのではないか、と思う。ただし、酒井順子は小説(おはなし)を書いていない(書かない、書けないのかもしれない)ので、簡単に比べてはいかんかもしれん。

 姫野カオルコのエッセイよりは小説のほうが(私には)やはりヨイ。

さむッッッッ

 最低気温が氷点下で最高気温が1度という天気予報だった。実際には大阪の最高気温は2.5度(大阪のどこの地点かは知らぬが)だったそうだ。同居人はべたべたと貼るカイロを2つも3つも貼っている。

 顔がさむい。はめ殺し窓の職場では寒暖もあまり感じないが、通勤で歩く地下街にも冷たい風が吹き込んできて寒かったのが、おおさむぅと思わせる一因であった。

 晩ご飯はアサリと葱と生姜煮、水菜のサラダ、ご飯、人参と大根と白菜と生姜の味噌汁。生姜をせっせと食べる。

ねむい…(II)

 養老孟司の本はたまに読む(父ちゃんが好きらしく、そっちから流れてきたりもする)。2、3冊つづけて読むと、似たようなことを言っているのでちょっと飽きた気分になる。しかし、ときどき読みたくなる。この本で、養老が外国(エイゴ圏らしい)へ行ったときのことやエイゴで論文を書いたときのことをしゃべっているところもオモシロかった。養老が「エイゴではうまく書けない、言い表せない」というようなことをエイゴを母語とする(たぶん)人に言ったら、「エイゴで表現できないものはない」とその人は言った、という話。それは、「なんでもエイゴで表現できるって、あんたがヘタなだけ」という話では全くなくて、「エイゴで表現できないようなものは、ないのと同じ、エイゴで言われへんことなんか意味ないしー」という話だというのだ。すげぇ発想。
 これはコトバというものが日本語とエイゴでは全然ちゃいますねという話で、「コトバが現実を規定している」もしくは「現実がコトバを規定している」ということについての話なのだった。ここもふううううううううんと思って、『漢字と日本人』あたりを読み直したくなった。

 で、今日借りてきた5冊のうち、姫野カオルコの『みんな、どうして結婚してゆくのだろう』(集英社文庫、ただし表紙が朝日文芸文庫に酷似)を読み始めて、やめられず、しょぼしょぼの目をシパシパしながら読んで、読んで、読み終わってしまった。

 今日は三好春樹の『痴呆論』も借りてきたのだが、これから読み始めるとまた寝不足になって目がしょぼしょぼしそうなので、皿洗いをして寝よっと。

 同居人は夜介護にでかけていった。明日の朝はめちゃくちゃに冷えるらしい。「コヨミの上では大寒」というやつにピッタリな寒波である。

ねむい…(I)

 本の読みすぎか、寝不足のせいか、目がしょぼしょぼする。眠い。でも本読みたい。
 昨晩読み続けた『自分の頭と身体で考える』は行きと帰りの電車でだいたい読めるだろうと持って出た。行きの電車で読んで、職場についてから始業時刻までのあいだにちょっと読んで、昼休みにちょっと読んで、帰りの電車で読んで、図書館であと数ページを読んで、おわった。

 甲野善紀も養老孟司もオモロイことを言う。あちこちおもしろかったので文庫本になっていたら帰りに買おうかと思ったくらいであった。でも今日が返却期限で、リクエストしていた本もちょうどあったので、返してきた。「自分の技が通じない弟子を育てないといけない」。ええなあ、ええなあ。

 変化ということについて、甲野が語っているところ。

▽…この「変わる」ということを普通の人が聞くと全部プラスのことにだけ取るかもしれませんが、変わるっていう現象はそれが良いか悪いかというのは、その人個人の主観でしょう。体が変わればまず間違いなく考え方も変わるだろうけれど、変わってしまうと何か以前と違って全然面白くなくなったり、あるいは公平な見方の人が、得意なものができたりすると片寄って全体が見えなくなるということもありますね。…(184ページ)

 ここの部分のちょっと前に、村上春樹が、走るようになって(だったかな、からだをよく動かすようになって、だったかもしれない)自分の書くものが変わってきたと言っているとかなんとかいう話がくっついている。変化というのは変わる化けるという事態を述べているだけのことで、どんなぐあいに変わったとかどう化けたという話はしていないのである。

 目次だけでもコピーしてきたらよかったかなあと思ったけど、また読み返したくなったら買うことにしよう。こんな目次が並んでいるのである。一部を抜き出してみると、こんなんである。

 人間の目は、同時並行が得意
 「できる」という感覚を、覚えさせてから教えた方がいい
 「ある」と「ない」は等価ではない
 人体をモデルにしてネットワークをつくりたい
 "譬え"は人を納得させるためのものですから普遍性はない
 自分の技が通じない弟子を育てないといけない
 「昔はあったらしい」というのを受け入れるのが伝統

ぽかぽかメニュー

 ポスターつくったり、ポスター貼ったり、チラシを置いたり引いたり、会議に研修と盛りだくさんな休館日。少々くたびれる。

 晩ご飯は生姜と葱のぽかぽかメニューで、生姜とセロリと豚肉炒め、もずくと春雨の生姜サラダ(ハムと薄焼き卵とセロリ入り←キュウリがなかったのでセロリをちょっと入れた)、手羽先と大根と葱と生姜のスープ(こないだの残り)にご飯。ご飯がすすむすすむ。

 わかぎゑふの『大阪の神々』を読んでみるが、切れ味抜群の姫野カオルコを読んだあとでは、どうもへなへなで面白みに欠ける。大阪の女は○○だ」「関西のおっちゃんにとって△△は当然なのだ」みたいな話ばっかりで、このおおらかすぎるようなキメツケに、正直うんざりしつつ、つい最後まで読んでしまった。たぶんおもしろい文章もあるのだろうが、姫野カオルコには負ける。読んだタイミングがわるかった。

 図書館の貸出状況をチェックしたら21日返却のが2冊あったので、まるで事典のような『完全図解 新しい介護』(講談社、これは三好春樹が監修にあたっている)はぱらぱらと眺めて、もう1冊の養老孟司×甲野善紀の『自分の頭と身体で考える』(PHP)を読み始める。甲野善紀のことは内田樹が言及していて名前はおぼえていたが、養老孟司との対談がもう2冊目とは知らなかった。これがおもしろくて寝る前まで読み進む。

ききき

 チョットだけ残業して、図書館へ行くべく急いで帰る。リクエストしていた姫野カオルコの文庫本が2冊きていて(姫野さん買わずにゴメンナサイ)、帰ってから結局2冊とも読んでしまう。『受難』と『ほんとに「いい」と思ってる?』で、小説『受難』はめちゃめちゃオモシロく、米原万里の"解説"も笑かしてくれて、ききき、ケッケッケーという感じ。とめられず続けて文庫オリジナルの『ほんとに「いい」と思ってる?』も読み終える。ふぅ。

 晩ご飯は鶏野菜味噌鍋のピリ辛バージョン。それからリンゴを食べて、生姜湯を飲む。ほかほか。

ぽかぽか

 日曜美術館の終盤を見てから起床。朝からご飯をがっつり食べ、洗濯物を干してコーヒーを飲んでから図書館へゆく。昨日と違って、晴れてよい天気。風もなくぽかぽかしている。本を返して雑誌をちょっと読んで本を借りて、それから生姜とセロリと豚肉を買って帰宅。今日も生姜を食うのだ。

 昨日は「生姜と豚肉の炒め」の基本レシピにシェフ同居人がエノキダケを加えて炒めた。今日は合うヤロということでセロリを一緒に炒めてみるのである。大根と白菜と人参とここにもちょっと生姜を入れた味噌汁をつくり、晩ご飯用に葱と生姜と大根と手羽先のスープを仕込み、豚と生姜とセロリをじゃんじゃん炒めて軽く塩。あとはご飯とキムチ。セロリと一緒に炒めてもウマかった。ばりばりがつがつとご飯を食べ、天気がいいので散歩に出る。

 久しぶりに隣のI駅までぶらぶら歩く。風がなく穏やかで、昼ご飯の生姜が効いて、歩いていると足先からポカポカする。本屋へ寄って、また生姜と葱を買い込んで、折り返し歩いて最寄り駅へ帰る。晩ご飯にはアサリと葱と生姜を蒸し煮みたいにしたのをつくることにして、アサリのむき身(冷凍)を購入。フライパンにアサリを並べ、上に白葱3本を斜め切りにしたのをのせ、さらに生姜を千切りにしたのを散らして、水と醤油をたらたらかけて蓋をし、火にかける。生姜がしなっとしたら、卵を溶き入れて、それが固まったら完成。昼に仕込んだスープを出して、ご飯とキムチ。アサリと葱と生姜のおかずもウマくて、ご飯をばくばく食べる。

 晩ご飯を食べながら日曜美術館の再放送をあたまから見る。内田百間(ほんとは門がまえに月)に風船画伯とよばれた谷中安規が今日のメイン。ちょうど昨日京都の近美で買った絵はがきの一つが谷中安規のだった。東京にいたらなー、谷中安規展も見物にいけるのになー、これも関西方面へ巡回せんのかなーと思いながら見る。

ご飯のあと図書館で借りた『ファシリテーション革命』と、もらいものの『シューカツブギ』を読んでしまう。『シューカツブギ』は、たとえば就職することを希望している大学生がこれを読んで、どんなことを思うのだろうな~と思った。定価は1000円とついているが、これをお金出して買って読む人もいるのかな、そりゃいるのかな。

岡崎公園(II)

 美術館のあと、行きに目をつけていた和菓子屋へ入って、「葛ぜんざい」を食べた。白玉のはいったぜんざいに吉野葛を練ったのがかけてあって、もにょもにょぷりんぷりんとした食感と素材のよさで、ひじょうにおいしかった。あーうまかった。

 帰りは電車でぐうぐう寝ながら帰り、入荷した『生姜と葱の本』を引き取って、それを見ながら買い物。さっそく「生姜と豚肉の炒め」を晩ご飯につくる。あとはご飯と味噌汁とキムチ。千切りにした生姜を豚肉と同量炒めるという、フツーに考えるとものすごく生姜の量が多いレシピだが(今日はエノキダケも一緒に炒めた)、これがおいしくぺろりと食べてしまった。今日使ったのは2人分で、生姜一袋。すぐ身体がぽかぽかしてきて、同居人は汗ばんでさえいる。こんなのをせっせと食べたら、夏も冬も調子よくすごせそうである。もっと食べるぞー。

 向井承子の『たたかいはいのち果てる日まで』(ちくま文庫)を読み終える。向井承子の作品をまた読み直したくなった。

岡崎公園(I)

 夜介護から帰ってきた同居人によると「雨まじりの雪」。寒い朝である。センター試験の受験生もたいへんなことだが、仕事とはいえ職員もたいへんであろう。
 朝ご飯を食べて、コーヒーを飲みながら、洗濯日和でもないし、もらいものの招待券があるから京都へ行くかーということになって、昼前から京都へ向かう。京都の国立近代美術館でやってる「秦テルヲの軌跡」展である。この岡崎公園・平安神宮あたりへ行くのはほんまに久しぶり。同居人に「すごーく昔、ここでデートしましたね」と言われる。そういえばそうだった。何を見物したかぼんやりとしか思い出せないが、そのときも近美を見物したおぼえがある。今日は空港バスで京都へ出て、そこから地下鉄に乗り換え、東西線の「東山」という駅から歩いた。傘は持たずに出たが、ハラハラと雨がかかる。陽はささず、風が強く、寒い。

 昼をまわったので先にご飯を食べることにして、どっかないかと店を探してうろうろしたあげく、細見美術館近くのうどん屋へ入る。そこで暖まってから、みやこめっせ(京都勧業館)で刑務所作品の展示即売会と京都の伝統産業についての展示をぐるっと見て、美術館へ入る。

 秦テルヲの絵はモダーンでオシャレーな感じのものから、キャンバスに岩絵の具で描いたというくらいくらい絵、母子像や仏教画のようなものなど、ピカソがそうであったように、いくつもの表現をみせる。画材からいうと、あれも日本画、これも日本画、である。見たことないような横顔の釈迦像もおもしろかったし、仲の良かった画家と合作した掛け軸の構図もおもしろかったし、マンガのような絵もおもしろかった。さらに、交友の深かった竹久夢二など、同時代の画家の作品もいろいろ並べられていたが、デッサンがかなりくるった夢二の絵がおかしかった。これは失敗やーと本人が途中で放棄したと思える絵(途中から色を塗っていない)は首から肩のラインがおかしくてろくろっくびのようになっていたし、農夫の家族をかいた絵は左足を踏み出しているように見えながら足のつき具合は右足にしか見えないなど、笑えた。常設展は長谷川潔の「かぐや姫」の版画がよかった。

2度目の新年会

 しごとがらみで新年会。飲むのは一杯だけにしておこうと思っていたのが、2次会までつきあって焼酎のお湯割りを5~6杯飲んでしまった。
自分ではふわふわにヨッパライ状態だが、周りの人からみると「緊張が解けていない」とか「冷静なまま」というふうにも見えるらしい。もっともっと飲んで大騒ぎしたいような気もするが、とにかくアルコールには弱くなってしまったので、飲み過ぎるとかなりしんどくなるし、つい控えめになってしまう。
 ヨッパライになった上司を見るのはおもしろいが、あとがちょっとこわい。「どーしてそんなに冷静なのぉー」などと、ややからまれる。駅の改札まで上司を送って、11時半頃帰宅。

ベンキョウするぞベンキョウするぞベンキョウするぞ

 風が強く寒い日。朝から日暮れまでDセンターで「人権教育実践セミナー」の一日研修。講師の思いは分からなくはないけど、ちょっとテンコモリにしゃべらはるので聞いていてねむくなり、疲れた。また強引に「想定していた結論」へもっていこうとするなーという印象が強く残ってしまった。「これが正解というわけではない」「まとめるつもりはない」とコトバで強調していたわりには、結局そういうふうにまとめるのか、と思ってしまった。それと「参加型」という方法は、やたら自己紹介ばかりする…とつくづく思った。こんなもんなのだろうか?

 その後職場へ戻って、同僚とベンキョウ会。
 ベンキョウばかりでくたびれた一日。知恵熱出そう。昼、夜とも弁当ではなく外で食べたのでその疲れもある。

ナツカシイ人に会う日

 朝から前の職場へ本の片づけに行く。ずるずると本を置かせてもらっていたが、いよいよ撤収指令が出たため、多少は譲ったりして、あとは送り出せるように箱詰め作業をする。とりあえず30キロの箱を5つつくった。まだあと3~4箱はできそうである。
 その足で遅番勤務へ。へなへなに疲れて帰宅。

 今日はナツカシイ人に会った日だった。前の職場の同僚Hにも半年ぶりくらいに会って昼ご飯を一緒に食べたし、遅番で受付に入っていたら、どこかで見たような女性が講座のアシスタントとして来ていて、遠くから眺めていてまず名前を思い出し、あとで思い切って声をかけたらやはり学生時代に一緒にアレコレしたことのあるUちゃんだった。私の顔もおぼえてもらっていたようで、名前が思い出せなかったので声をかけられなかったと言われた。Uちゃんに会うのも10年ぶりくらいか。さらに帰りの電車でマンガを読んでいると、斜め前から名前をよばれた。誰かと思ったら、1年ぶりくらいに会うOさんで、昨年度の非常勤先で一緒の時間に教えていた人だった。駅につくまで本の話と簡単な近況報告をした。
 こんな日もあるんやなーと思う。
 
 
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乱読ぴょん

Author:乱読ぴょん
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本ネタのミニコミ誌『ブックマーク』を編集発行しています(1990年9月創刊~ 昔は隔月発行でしたが、今は年2回発行で、現在91号)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2014年4月(313号)より「本の道草」を連載中(現在、第65回)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2004年3月(192号)より2014年3月(312号)まで、本ネタ「頭のフタを開けたりしめたり」を連載(全119回、連載終了)。

『くらしと教育をつなぐWe』誌で、1999年4月(71号)より2014年2月(188号)まで、本ネタ「乱読大魔王日記」を連載(全118回、連載終了)。

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