読んだり、書いたり、編んだり 

類型的概念をつくるということ(III)

 もう一つの点は、「植物には、同じ姿のものは一つもない。そういう風に、一つ一つ違うものを作りたいが、現在の技術は同じ物を作ることに適していて、違うものを作るには不適当な場合が多い」という趣旨であった。そして、池辺先生は私に「どうして、植物はああいうふうに姿勢を直したり、違った形を作れるのか」とたずねられた。
 それまでに、私はこのように植物の本質的な特性をよく理解されている方の話を聞いたことがなかったので、今に至るまで私の脳裏に、このお話が強く印象に残っている。池辺先生の抱かれている『植物』像から、植物人間のイメージを持つ人はおそらく一人もいないのではなかろうか。(223-226ページ)

 マコーレイの『道具と機械の本』は、重い。持ち重りがする。広い机の上で広げてのんびり眺めるのがよさそうで、通勤電車で読んだり、布団のなかでごろごろして読むにはあまりに重い。
 種々の道具と機械の原理と働きを説明していくのに、「マンモスを捕獲し、飼い慣らし、さまざまな業務に従事させる」という風変わりというか、奇想天外というか、ありえないヤロという方法をとっていくこの本(絵本という風情)、いったん返して、図書館でときどき眺めたい。

類型的概念をつくるということ(II)

 それは例えば、あなたがたくさん衣類を持っていて、「どの引き出しに何を納めようか」と迷う場合に似ている。衣類には夏着と冬着もあれば、晴れ着と普段着もある。また保存のことを考えれば、材料別が便利だし、色もたいせつで、紺系統と茶系統をまぜるのは不便である。さて、あなたはたんすのどの引き出しに何を入れているだろうか。ある人は季節の差を最重要と考えて、それに基づいた『しまい方』を考えるだろうし、他の人は色の系統を重視した『しまい方』をするかもしれない。このように『しまい方』の選択は人毎にみな違っている。『しまい方』を一つの累計的概念形成の例とみたてて、その本質をわかってほしい。いずれにせよ、これはどちらが正しいとか、誤っているとかいう問題ではなく、物の有するたくさんの性質の中から、何をたいせつな基準に選ぶか、主観的な価値評価の問題なのだ。(19-21ページ)

 この人は、こんな調子で説明がうまい。「もののたとえ」で説明することで、つまり「その人が見知っているであろう事例を用いて」説明することでかえって物の見方を固定してしまう場合もあるが、この本を読んでいて、(うまいなあ)と思うところがいくつもあった。この人はこの本をつうじて、「植物」というものの見方を揺すってくれる。そういわれたらそうですなあ、と「目」が変わったこともある。

▽『植物人間』と『植物的都市』
 …話は変わるが、一九七二年二月に銀座のヤマハホールで三菱化成生命科学研究所主催の『生命科学と技術』という題のパネル討論会があった。その席で私は『生物と環境』について話をしたのだが、そこで建築学の池辺陽先生が「植物的都市を造りたい」という話をされた。
 そのご趣旨の第一点は、「建築や都市は、新しくでき上がった途端に、古くなり始めて、価値が減少する。古くなったときに、全部モデルチェンジしようと思ってもたいへんででき難いから、なんとか植物的な都市や植物的な建築ができないか」と考えているということであった。つまり、「同じ生物でも、高等動物は腕を失ったり足を無くせば不具になるが、植物のほうは、枝や幹が折れてもだんだん姿勢を直していって、いつの間にかきれいになってしまう。そういう感じの都市は、できないものだろうか」というお話であった。

類型的概念をつくるということ(I)

 いま図書館でリクエストしまくった本の半分ほどは、たしか藤森照信の『建築探偵、本を伐る』で言及されていたもの。古谷雅樹の『植物的生命像』(講談社ブルーバックス)も、マコーレイの『道具と機械の本 てこからコンピューターまで』(岩波書店)も確か藤森本にあった。

 ブルーバックスの本はたまに読むが、10年余り前のこの本は何かのツテがなければ手にとることもなかったと思う。やや黄ばんだ本を、(これは読まずに返すかも)と思っていたが、通勤の供に持って出てみると(やはり電車で読むには新書か文庫がよい)おもしろくて読んでしまった。

▽類型的概念とは?
 現在、地球の上には百万種を越えるたくさんの違った生物が知られている。これらの個個の生物について、具体的な描写をすれば、時代や場所やことばを越えてだれにでもよく伝わる。そうはいっても百万枚の異なる生物を絵を並べて「これが生命の絵だ」というわけにはいかない。ところが、人間の頭脳には、おもしろい働きがある。つまり似たものをまとめて、具体的に存在するものから離れた『概念』をつくる能力である。
 図3は、その思考のプロセスを説明している。つまりイネとムギとタケはよく似ているから仲間としてまとめてイネ科植物とよぶように、しだいに抽象化を進めて、高次の概念を形成していくのである。ここでおぼえておいてほしいことは、よく似ているとか、あまり似ていないという判断の基準となった性質は、植物のもつ数え切れない多くの属性の中から、人間の頭脳が主観的に価値評価して選び出している点である。
 人間はとかく独断的な生き物だから、一度このような知的作業で『概念』が形成されると、あたかもそれが唯一無二の真実と思ったり、客観性の高いものと思いがちである。しかし、仲間のまとめ方は、それぞれが持っている性質の評価によって、いかようにも変わることは、いうまでもない。生物の種類に限らず、物でも知識でもたくさん集積してくると、図3と同じような方式で整理されることになる。

引き続き風邪気味

 しばらく前にひどかった同居人の風邪症状ほどではないが、ケホケホと思い出したように咳が出て、これがけっこうツラい。今日もザンギョーはせずにとっとと帰る。

 行き帰りの電車で野村一夫の『インフォアーツ論 ネットワーク的知性とはなにか?』(洋泉社新書y)を半分ほど読む。なかなかおもしろい。とくに、ネット上ではこれまでとは違った関係の結び方ができるとか(つまり、参加者がみんな対等だとかオープンだとか)そんなのが可能になるようなことが言われている【けれども】、現実には一部の参加者が大きな声で発言し(ネット上では大量の発言を威嚇的におこない、といおうか)、それを多くの沈黙した読者がよんでいるという構図になっていて、これは結局これまでのメディアと【同じように】ネットが使われているということだ、という話がおもしろかった。

 晩ご飯は鍋。いろいろ買って帰ってみて、レシピ検索して、ピェンロー風。白菜と豚バラと鶏モモと干し椎茸、ビーフンにゴマ油たらたら、塩と唐辛子で食う、ってのが本式らしいが、とりあえず生椎茸しかない。ビーフンがない。土鍋に白菜をぎゅうぎゅう詰め込んで、豚バラと鶏モモと生椎茸を詰め込んで、ゴマ油をたらたら~っとかけてぐつぐつ。塩味の鍋は新鮮で、唐辛子は石川からもらった「なんば」を出す。締めはご飯を入れて雑炊だと多くのレシピは主張していたが、買い置きの「讃岐ほうとう」(しっかりしたきしめん風)を茹でて投入。これもなかなか。よくあたたまる。

 そして今日も朝と晩、グレープフルーツを食べる。

風邪気味

 風邪気味の状態がつづく。今週は昨日から始まって次の土曜出勤まで7連勤で長い。ここで風邪症状をくいとめなければ、後がツラい。思い出したようにケホケホと咳が出る。こじらせずに治さねば。朝からグレープフルーツを食べてみる。青汁も飲んで、ビタミン剤を飲んでみる。

 行き帰りの電車で木下直之の『ハリボテの町 通勤篇』(朝日文庫)を読み終える。こないだ読んだ『美術という見世物』もそうだったが、トマソン風というか路上観察学会風というか、そういうニオイがしていた。果たして、この『ハリボテの町』のあとがきに、藤森照信の名があった。この本がうまれるための種蒔きをしたのが藤森らしい。

▽…そのころにはシオヤでのライフも十年を過ぎ、風景とのつきあいも新しい段階に入っていたのだろう。すなわち、引っ越し直後の見慣れぬものが見慣れてくる段階から、見慣れたものが見慣れぬものへと変貌する段階に進級していたのだった。ここで進級できないと、見慣れたものは見慣れたままで終わってしまう。
 珍しいものを探して歩くのではなく、珍しくもなんともないものが突然気になりだす傾向を、じっと待ってカメラを向ける。それは、通勤の先で私を待っている仕事に通じるものだった。当時の私は美術館に勤めていた。美術館にせよ、博物館にせよ、そこは珍しいものを見せる場所だと思われがちだ。実際、博物館のルーツには珍奇なものを見せた「驚異の部屋」があるわけだし、現代の美術館は名作・名品・傑作といった逸品を見せることに懸命だ。
 しかし、博物館にはもっと大きな魅力がある。当たり前のことを当たり前ではなくしてしまう場所といったらよいだろうか。たとえば食堂のショーケースの食品サンプルを博物館のショーケースに展示したとたん、日本全国の食堂という食堂がなぜそんなものを用意しているのかを考えさせられる。博物館は人を立ち止まらせるのだ。それに比べれば、美術品しか扱わないと宣言する美術館は自分から間口を狭くしているようなものだ。…(273-275ページ)

 晩ご飯は昨日のシチューの残りにキノコあれこれを投入してキノコシチューに化けさせ、サイドメニューはホウレンソウのナムル風。食後にまたグレープフルーツを食べる。

日曜出勤

 ウチの中がさむいせいか、ビミョーーに風邪気味になってしまう。ケホケホと咳が出て、ダルい。休みたいけど日曜出勤。これが、金土と2日休んだだけでチラシ、ポスターがてんこもりになっており、午後の受付当番はなんだかパタパタと忙しく、ヘトヘトになる。

 ダルーくて、帰りの電車でくぅぅぅぅとうたた寝しつつ帰宅。晩ご飯にシェフ同居人作のビーフシチューと手抜きサラダができていた。それ食って、布団にもぐり、とろーっと寝てしまう。

図書館、美術館、アウトレット

 ATCミュージアムの「アートのひとstyle」を見物にいく。行きがけに図書館へ寄って本を返して借りてから、途中の駅でN子と待ち合わせ。ウチの中はひやーっとさむいのに、外はぽかぽかとよい天気である。同居人とも3人で、乗り換えて、乗り換えて、乗り換えてやっと南港につく。まず昼ご飯。セミセルフの店で讃岐うどんを食べる。 
 
 ミュージアムは入ったところから驚き。チラシで「写真や」と思っていたのが、なんと「描いた絵だった」!しかも入ったところの2点。まずこれに驚く。ちょうど木下直之の『美術という見世物』(ちくま学芸文庫)で、“リアリズム”と現実というものについて読んだところだったこともあり、そのあとにいくつか並んでいた「写真みたいな」絵をしげしげと眺める。
 この、「写真みたい」と思わず口にするワレワレの評価って、何なんやろ? 

 自画像ばかりが並べられたエリアもあり、その自画像というのも同じ人の自画像が変化していくのもまたをかし。自画像ばっかり並べてみるというのもおもしろいもんやなあ、と思う。今回の展示は「大阪市がつくろうという近代美術館のためのコレクション」で、大阪出身の作家のものもずいぶん集められていた。吉原治郎が「円」シリーズ以前にこんなにいろいろやってみた人だとは知らなんだ。

 美術館をみてまわったあとは、コーヒー飲んで一休みしてから、ATCアウトレットへいく。うろうろうろうろして、同居人は通勤靴と原付用に風よけ上着を買い、N子はセーターとTシャツを買った。私も何か買えばよかった。梅田へ戻って、そこでまたN子はコートを買い、それから豊中の地中海料理屋へ向かう。あと3人合流してエンカイ。よく食べよく飲み笑った笑った。

年休

 年休とって前の職場へぶらっといく。久々に会った同期の友とのんびり昼ご飯を食べて、夕方彼女が出るのにあわせ、のんびり駅まで一緒に歩いて帰った。

ちょっと軽井沢(18~19)

 一緒に出張に行った同僚iを連れて、埼玉の叔母(母ちゃんの妹)宅へ久々にゆく。そこからクルマに乗せてもらってちょっと軽井沢へ。高速の乗り口が近く、関越道・上信越道を通って1時間半ほどで軽井沢に着く。しかも眺めのよいルートでドライブも気持ちがいい。

 大きな地元スーパーで買い物。これがたのしかった。信州産の野菜や果物がどっさり並び、しかも安い。大阪では見たことがないような果物や野菜もあり、ジュースやジャムはものすごく充実、あれこれと夜の食材を買う。それから叔母宅が数年前に買ったマンション(通称「別荘」)へ。併設の温泉でのーーーーんびりして、更衣室にあったマッサージチェアでぐいんぐいん揉んでもらい、買い込んできた食材で晩ご飯。おいしくて、満腹。外は真っ暗で静かな夜だった。夜の気温は10度を切るくらいで、かなりの冷え込み。

 翌朝は晴れて、朝ご飯のあと1時間ほど近所をサイクリング。風は冷たいが、陽差しがあってほんとにいい気候だ。浅間山もよく見えた。山だけあって、天気はずいぶん変わりやすいらしい。雲の流れが速い。  

 帰りの時間の都合もあるので、昼ご飯用に「峠の釜飯」を買い、片づけをして、昼前に「別荘」を後にして、また折り返し埼玉まで乗せてもらう。叔母宅へ帰り着いてお昼に釜飯を食べ、帰阪の途につく。

キムチ鍋

 またちょっとだけザンギョー。

 朝はそうでもなかったが、日が暮れて帰る頃には外気がずいぶん冷たくなっていた。ダルいので外食にしようかと思いつつ、寒いので、帰って鍋にする。久々のキムチ鍋。豚バラ、ネギ、ニラ、椎茸、シメジ、エノキダケ、ごぼう、にんじん、こんにゃく、豆腐などを投入し、キムチと韓国みそで味を調えて、ハフハフ食す。寒いのでビールはなしで、ご飯をしっかり食べる。

 阪神は連日のサヨナラ勝ち。振り出しに戻る。
 『美術という見世物』を読み終える。

おばばの会

 一日ずっと書類の確認に追われる。下書きはできたので、あとは提出フォームに入力するだけ…だが、定時までには終わらず。後日まわし。

 夜は隣の席の同僚Mさんと斜め後ろの係長(ふたりとも42歳)と一緒に「おばばの会」と名付けられたエンカイ。同じ係になって半年経つが、じつはこの3人(だけ)で飲みにいくのは初めて。1次会、2次会と機嫌良く飲んで帰る。阪神が日本シリーズでやっと1勝したらしく、11時過ぎの梅田は阪神ルックの人がずいぶん歩いていて、阪神の駅前では雄叫びも。

健康にダメージを与える健診とは

 職場は休館日で気楽。午前中は職員会議、午後は健康診断。血液検査があるので昼抜きである。昼前からずっと空腹感をかかえ、2時半からの健診で血液採取がすんで、とりあえずアメを2つなめる。一瞬元気になったような気がしたが、すぐまたヘナヘナになってしまう。長時間にわたる空腹がものすごくものすごく堪えた。一緒に健診に行った面々で3時過ぎにようやくカレーにありつく。このカレーがウマかったけれどもかなりの辛さで、「辛ッ」と騒ぎながら食べる。ピクルスはおいしかった。

 それから職場へ戻って定時まで仕事を片づけ、ヘロヘロに弱って帰宅。
 同居人が帰ってくるまで1時間あまり横たわって休む。健康にダメージを与える健診って…と思う。

 晩ご飯は味噌汁(大根、人参、麩)つくって、ホウレンソウの胡麻和えつくって、冷凍庫にあった干物(鰺、サヨリ)を焼く。
 とにかくヘナヘナで、11時には寝てしまった。
 
 
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乱読ぴょん

Author:乱読ぴょん
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本ネタのミニコミ誌『ブックマーク』を編集発行しています(1990年9月創刊~ 昔は隔月発行でしたが、今は年2回発行で、現在87号)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2014年4月(313号)より「本の道草」を連載中(現在、第42回)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2004年3月(192号)より2014年3月(312号)まで、本ネタ「頭のフタを開けたりしめたり」を連載(全119回、連載終了)。

『くらしと教育をつなぐWe』誌で、1999年4月(71号)より2014年2月(188号)まで、本ネタ「乱読大魔王日記」を連載(全118回、連載終了)。

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