読んだり、書いたり、編んだり 

キンモクセイ

 月曜に駅まで歩く途中でキンモクセイの香りがした。朝晩もずいぶん冷えるようになり、秋である。

 月末ということもあって、チラシ、ポスター、広報誌などの入れ替えが多く、日・月と休んで出てみると、山となっていた。手伝ってもらいながら、設置と撤去をやっていくのだが、やっとこさ一山おわった・・・と席に戻ってみると新たな小山ができていて、なかなか果てしないのであった。ぷちザンギョーをして、帰宅。

 帰ると同居人から「ザンギョー」メールが届いていた。晩ご飯はサンマの塩焼きと切り干し大根・人参・すき昆布の酢の物、それと久々に麩の味噌汁をつくる。月末で忙しいのか、なーかなか同居人が帰ってこず、バナナとピーナツでひもじい時間をウトウト読書で過ごす。うう、早く帰ってこい。

 夜のオヤツはシナモンチャイ。あったまる。 

オイシイご飯の炊き方(II)

▽パンと人形劇場
 …劇が従来の「劇場」を捨てて市街に出たとき、何よりも問題になることは表現と出来事との境界をどこに設けるかということである。
 私たちの日常性は作為にみちていて、しかもしばしば劇的であるから「劇」と「劇的なるもの」とは、たくみに侵蝕しあっていて当事者自身にさえ、地平線が見えにくくなってしまっているからである。…
 …多くの前衛劇が「劇場」を捨てたがっているのは、劇を興行から解放し、もっとラジカルな意味での表現にまで止揚したいという願望の他に、虚構と現実との舞台への反発に由来しているからだと言うことができよう。
 進歩的な演劇は、多かれ少なかれ「参加[コミットメント]」をどのように方法化するかという問題に直面している。しかも、その対象として「何かを見るため」にやってくる選ばれた観客だけではなく、大部分の通行人、文明社会のアパシーに悩む同時代人を選びたがっているのである。(250-251ページ)

 その他いくつか本を読んだり雑誌を読んだりしてから帰る。朝干した洗濯物は乾いていて、さらに夏のタオルケットを洗って干す。それから読書にふける。藤森照信の『建築探偵、本を伐る』(晶文社)は1週間くらい前から借りていて、ちらちらめくっていた。読み始めるとこれがおもしろく、読んでみたいと思う本が頻出。それをインターネット予約ができるようになったのを幸い、次々と図書館のサイトで検索して「予約」ボタンをばこばこ押す。これが1年前までは「ネット書店」で「購入」ボタンだったなア。

 半ばすぎまで読んだところで空腹感におそわれ、バナナを2本食べる。晩ご飯は昨日のうちから「シェフがステーキを焼く」ことに決まっていて、私はサラダ係に任命されている。ジャガイモに芽が出てきたので、これを使うことに決定。ジャガイモと人参をサイコロ切りにして茹で、水を切って熱いうちに酢とオリーブオイルと塩コショウで和える。そのまま冷まして、横でレタスとサラダ菜を小さくちぎり、食べる前にさらにオリーブオイルと粗挽き胡椒と粉チーズを振って、イモ・人参と葉っぱをまぜる。シーザーサラダ風でけっこうウマかった。

 ぷちザンギョーして帰ってきた同居人がステーキをじゅじゅじゅっと焼いて、インスタントのコーンスープをくるくる溶いて、サラダを和えて、ご飯。同居人はまだ(?)時々ガツッと肉が食いたくなるらしい。夜のオヤツはチャイ。

オイシイご飯の炊き方(I)

 今日は休み。昼に元同僚・Kさんと会う約束があったのだが、ご家族の具合が悪くなったそうで急遽キャンセル。で、ぽこっと時間が空いた。
 朝からつけっぱなしにしていたNHKで、土鍋でのご飯の炊き方をやっていた。おおウマそ~ということでメモる。

◎土鍋でご飯を炊く
1)コメを軽く研ぐ
2)15分浸水
3)ザルにあげて15分
4)水加減=コメと水は同量
5)最初から強火
6)吹きこぼれそうになったら火を弱める
7)香ばしいニオイがしてきたら、とろ火にして10分
8)30秒強火
9)火を消して5分蒸らす
10)底から返すようにまぜる

 電話をかけてみたら近所のOさんがいて、地中海料理屋へランチを食べにいくことにする。昼に行くのは初めて。ミニサラダ、前菜の盛り合わせ、本日のパスタ、コーヒー、デザート(今日はミニパフェ)という内容。1時間余り、Oさんと食べておしゃべり。のんびりできる日に行くのはいいなあ。

 それから図書館へ。館内閲覧の『ヨーロッパ零年』をもう一度見せてもらう。

▽ニューヨークの新しい演劇
 劇は一杯あるが、劇的な想像力はまるで乏しいというのが、この時代の特色である。一体、劇そのものと劇的なるものとのあいだのどこに地平線を設けるか、ということに誰がこたえるのだろうか?
 ニューヨークのスナックで、レオナード・メルフィらと私とがディスカッションしたのは、主に、そのことについてであった。実際、ニューヨークの新しい劇作家たちもまた私たちと同じ様に、劇が旧弊な「劇場」という名の牢獄の中にとじこめられてしまっていることに疑問を感じており、そのために本来的な意味でのシアトリカルなものが失われていることにいらだっているのであった。
 実際ニューヨークの新しい演劇活動の中心が、オフ・ブロードウェイからオフ・オフ・ブロードウェイに移ったのは、この二、三年の出来事だとされている。かつてのチェリー・レーン・シアターやサークル・イン・ザ・スクェアが、今では商業化してエドワード・オールド以後の新人たちに目もくれなくなったため、「待ちきれなくなった」新しい作家、俳優、演出家たちは、今すぐ言いたいこと、演じたいことを実現させるために、従来のように日常性を断ち切った「劇場」を捨てて、家具や生活臭のたちこめた日常生活の延長線のガレージやリビングルームやカフェに彼らの劇の機会を求めていったのである。… (203-204ページ)

「御厩」はどう読むか?(その6)

○香川・高松の六ツ目山(むつめやま)は別名「御厩富士」とよばれる

▽六ツ目山は、代表的な円錐形(ビュート)の秀麗な山容であることから、一名御厩富士(ミマヤフジ)とも呼ばれ、讃岐七富士のひとつでもある。 頂上には空掘りがあり、これにまつわる伝説が語り継がれ山名由来にもなっている。

○「鳥府志」の「御厩洗初之図」

▽「鳥府志」(1829年成立)は、当公文書館[鳥取県立公文書館]が保存している県史編纂収集資料の中で最も貴重な資料です。
 「鳥府志」は、鳥取藩士岡嶋正義(1784年~1859年)の著述で、首巻1冊、上・中・下巻各3冊の合計10冊からなっており、近世初頭より文政期に至る鳥取城および城下町鳥取のありさまが150点にのぼる彩色挿絵を付して綿密に考証されています。
 「鳥府志図録」は、本館が、この「鳥府志」の中に描かれている挿絵を全て収録し、挿絵に対応する現在の写真を載せて簡単な説明文をつけたものです。なお、付録として「寛文之大図」(鳥取平野を描いた最も古い地図)の複製図をつけています。

デジタル鳥不志図録より
「御厩洗初之図」
http://www.pref.tottori.jp/kobunsho/chohushizuroku/umaya.htm
 北の御門の内側、御城代屋敷(現鳥取県立博物館)のすぐ下に上御厩があり、正月元日に洗初の行事があったという。

→これは「うまや」と読むらしい

○茨城の「栗楢院常羽御厩」~平将門ゆかりの地

▽「良兼は下総国豊田郡にある栗楢院常羽御厩(くるすいん いくはのみまや 結城郡八千代町栗山地区 仏性寺付近だと考えられている)及び百姓の舎宅を焼き払った。家々の竈の煙は見えず、真っ黒に焼け焦げた柱が立ち並ぶ廃墟となった。廃墟から立ち上る煙は空を雲のように覆った。そして夜になると野営する良兼軍の火が点々と星のようにみえるのみであった。」

 栗楢院常羽御厩は官牧であり結城郡八千代町栗山地区 仏性寺付近だと考えられている。他にも大結(おおゆい)牧があり、大間木(おおまき)から尾崎にかけての地域であったと考えられている。現在も牧跡がのこっているという。

「御厩」はどう読むか?(その5)

○鎌倉幕府の事跡を編年日記体に記録した史書「吾妻鏡」

▽1189年 (文治5年 己酉)
閏4月1日 庚寅
 右武衛の使者参着す。申さるる條々、去る月二十日大内修造の事始めなり。籐中納言兼光・左少弁棟範・大夫史廣房等これを奉行す。御管領の八箇国、その役に宛てしめ 給うべきか。官符未到以前たりと雖も、先ず内々触れ申すべきの由院宣を蒙るてえり。 また院の御厩司の事仰せ付けられ候なり。而るにこの職、元は按察大納言の奉行なり。 彼の亜相御欝陶に依って、官職を改めらるるの処、能保御縁者を以て、御意を伺わず、左右無く領状を申すの條、御聴に達するの時、所望を成すかの由、定めて御疑心を貽 さるべし。仍って辞し申しをはんぬてえり。
 …
閏4月4日 癸巳
 武衛の御返事を献ぜらる。造内裏の事、早く沙汰を致すべし。御厩司の事、勅定の上は辞し申せしめ給うべきに非ず。美津の御牧は、承り及ぶ如きは、御厩管領地たるか。 後代の為、今度尤も申し付けしめ給うべきやと。仍って彼の使者帰洛すと。

閏4月30日 己未
 今日陸奥の国に於いて、泰衡源與州を襲う。これ且つは勅定に任せ、且つは二品の仰せに依ってなり。豫州民部少輔基成朝臣の衣河の館に在り。泰衡の従兵数百騎、その所に馳せ至り合戦す。與州の家人等相防ぐと雖も、悉く以て敗績す。與州持仏堂に入り、先ず妻(二十二歳)子(女子四歳)を害し、次いで自殺すと。前の伊豫の守従五位下源朝臣義経(義行また義顕と改む。年三十一)左馬の頭義朝朝臣六男、母九條院の雑仕常盤。寿永三年八月六日、左衛門の少尉に任じ使の宣旨を蒙る。九月十八日叙留す。十月十一日、拝賀(六位の尉の時、畏み申さず)、則ち院内昇殿を聴す。二十五日、大甞會御禊ぎの行幸に供奉す。元暦元年八月二十六日、平氏追討使の官符を賜う。二年四月二十五日、賢所西海より還宮す。朝所に入御の間供奉す。二十七日、院の御厩司に補す。八月十四日、伊豫の守に任ず(使元の如し)。文治元年十一月十八日、解官す。

→「御厩司」の読みは分からないが、馬に関わる人なのだろう。

『赤瀬川原平の名画探検 フェルメールの眼』講談社(1998)

 はじめに-フェルメールの秘密情報

 …はじめはとにかくその描写の技術に目を見張った。本物そっくり。
 フェルメールに限らず昔の絵はみんなそうで、どの画家も本物そっくりのリアリズムを目指している。十九世紀にカメラが世に出てくるまでは。
 フェルメールは十七世紀のオランダの画家である。世の中の絵のリアリズムは十六世紀のルネッサンスで遠近法を手に入れて、一段と本物そっくりに近づいていた。だからフェルメールの絵も本物そっくりなのだけど、ちょっと違う。よく見ると、ところどころ筆のタッチがずいぶん粗い。
 人物の顔といか衣服とかの中心的な部分は筆のタッチをなくして滑らかに描かれているようだけど、でもところどころ粗い筆の跡がちゃんとわかる。
 たとえば床が白と黒の市松模様の石張りになっている絵が多いが、その白い石のまだら模様など、ほとんど一筆書きで筆跡も生々しいのだ。
 その大胆さに驚かされた。そのことに気がつくと、フェルメールの描写力の他の画家とは違う透明感が、何か少しわかったような気になってくる。
 筆づかいは要所要所かなり粗いのに、描かれた絵の本物そっくり感はぞくっとするほどだ。でも何にぞくっとするのだろうか。
 一つは視覚のレンズ効果が描かれていることだと思う。レンズにはピント位置がある。ピントの合ったところはありありと見え、合っていないところはぼやけて、そのぼやけた中の尖った光の点は丸い粒状になる。そういう働きのレンズが人間の目にも水晶体となってはめ込まれていて、それでぼくらは物を見ている。でも、自分の目は自分だけしか見ていないので、人間は自分の目のレンズ効果になかなか気がつかない。目の構造を客体化したカメラが出来て、はじめてそのことに気がついた。でも、カメラ以前に、フェルメールはその絵の中にレンズ効果を描き込んだのである。カメラと似た仕組みのレンズ付きのぞき装置(カメラオブスキュラ)の体験があるのだろうといわれている。…

(2-3ページ)

『赤瀬川原平の名画探検 ルソーの夢』講談社(1998)

 肖像風景 観念のリアリズム

ルソーの人物画は必ず正面を向いている。生活の中で人の顔は横や斜めになったりするものだが、ルソーは必ず正面。真ん中に鼻と口、両側に必ず目が二つ。横を向くと目が一つになるが、人間には必ず目が二つ、というのがルソーの描き方である。ルソーは見たものを描いているというより、見て知ったものは描いている。自分の観念の中に出来上がったものを描いている。横顔は目が一つになるけど、それは物理像で、頭の中に観念像としてある人の顔は、必ず目が二つなのだ。だからルソーは観念像のリアリストである。手には必ず指が五本あり、人間には必ず足が日本ある。アポリネールが肖像画のモデルとしてアトリエに来たとき、ルソーは鼻や口や耳や顎や、身長や肩幅など全部モノサシで測りはじめたという。それは画家の方法というよりは洋服の仕立て屋のやり方である。ルソーの絵は観念を通して物を見る仕立て屋のリアリズムである。

(31ページ)

小野忠重『版画-近代日本の自画像-』岩波新書(青、1961)

 あとがき

 なんの気なしにつかっている「版画」も、案外近ごろのことばだ。しかも、海外から送られてくる展覧会目録などに、HANGAとあると、そんなにも国際語になっているのかと、びっくりしてしまう。
 "版の絵""刷りものの絵"といったところだが、この「版画」のことばをきめたのは、二十世紀はじめの創作版画の先輩たちだった。油絵だの水彩画だのに並べて材質をみた、ふくみの多いことばだけに、さかのぼっては、下絵・彫版・刷版の三者で成りたつ江戸の浮世絵版画までおよぶし、木版ならぬ、銅販や石版、その他あらゆる技法をふくめ、あらゆる国の作例までつなげるのである。私たちの近代社会がこれに無縁なはずもなく、古い時代と今日をつないで、刷りものの近代的展開を教えるのも、まさに「版画」だった。さまざまな事例をよくばってひろげながら、私はこの本に二十世紀の新造語をとって「版画」と題した。
 じっさい、浮世絵の版画はだれでも知っている。現に私たちの周辺の版画も、もちろんだ。それでいてこの二つの版画グループの中間は、案外知られていない、と思うのだが、ちがうだろうか。はなはだしいばあい、私たちの近代社会には版画がまるでなかったかのようなことばさえきかされては、やりきれない気にもなる。そこで、浮世絵の版画から現代の版画へ、私なりに橋をかけてみた。見忘れた近代社会の版画の糸をいくつかつないで、序列をつけてみた。たくさんの図版は、みなさんのうしなわれた記憶の底をかきたててくれるにちがいない、とこれは造本の方の自慢だが、遠慮なくいえるのである。
 …
 この本の図版の多くは、わずかな個人蔵のほかは、国立国会図書館上野分館、東京都立日比谷図書館、東大明治新聞雑誌文庫等の所蔵品によった。へんぺんたる刷りものが今日に生命が保持されて、一望できたのは、うれしいことだった。
 それにしても、創作版画出現以後の、現に私たちの周辺にうごいている版画資料が一望できる便宜は、個人、公開施設を通じて、ついに私は知らなかった。ことに近い時代のものほど見にくいとは皮肉な話だが、事実だ。だから、長い版画の橋の手前がわ、問題は今日の版画にかかわってくる。…

(243-244ページ)

週末

(9/26)
 昼から研修に出て、戻るときに商店街でコロッケを買う。職場へオヤツの差し入れ。先着順でハフハフと食す。うまかった。定時をちょっとまわる頃まで書類の片づけをしてから、同僚Kさんと地中海料理屋へ向かう。あとで同僚Mさんも合流。3人でせっせと飲んで食って閉店まで。いつもながらウマかった。満足。

(9/27)
 土曜出勤(遅番)。午前中は図書館へ行き、再読の『ヨーロッパ零年』を読み終え、赤瀬川の『わかってきました』を読み終えて帰る。昼はシェフ同居人の手抜き作「スープスパゲティ」を食べて出勤。
 帰りの電車で『版画』を読み終える。ひどい疲労感で、夜は久々に「黒麹もろみ酢」を飲む。あーだりぃ。

(9/28)
 朝4時頃に空腹のあまり目が覚め、起きてバナナを食べて牛乳を飲む。その後も同居人のイビキに安眠妨害されて、うつらうつらしながら朝になる。ねみぃ。
 眠いなか起きて、サントリーミュージアム天保山へ「マトリックス・リローデッド」を見物に出かける。同居人は『日本語は年速一キロで動く』を、私は『継体天皇と今城塚古墳』を読みながら。どっちも図書館で借りた本。このところ借りたおした本で過ごしている。

 上映開始の30分くらい前に着いたら、チケットを買う列が建物の外まではみだしていて驚く。「こんなに込んでるの初めて見たなあ」。ジャイアント・スクリーン版というだけあって、映像はでかく、途中ちょっと酔いそうな感覚におそわれる。ええとこで「to be continued」となり、えーこんなとこで終わるのかと思う。2時間以上の上映だったので、終わったら空腹感バクハツ。はらへったー

 駅の近くの韓国食堂でサンギョプサルと生レバとキムチ、ビビンバ、冷麺を食べる。ゴマの葉はサワヤカな香りで、サンチェとはまた違ったおいしさ。満足。
 梅田へ戻って、百貨店の食料品コーナーで「今晩コレ、これ、これつくるー」とシェフ同居人が騒ぐので豆カレーづくりのセットを買う。くたびれたので喫茶店に入ってコーヒーを飲む。2人してまた本を読む。

 晩ご飯はシェフ同居人作の豆カレー、私がモヤシとキュウリの中華風酢の物をつくって、できあいのスモークチキンのスライスを出す。作っているときには蠱惑的な香りがただよっていた豆カレー。夜のオヤツはサンセーキ梨とシナモンチャイ。『継体天皇と今城塚古墳』と『赤瀬川原平の名画探検 フェルメールの眼』を読み終える。

また雨

 昨晩また降り出した雨は朝になってもやまず、出勤時には強く降り、けっこう濡れた。

 きのうは早めに布団に入って、図書館で借りてきたばかりの『赤瀬川原平の名画探検 印象派の水辺』をぐふぐふと読む。カッパブックスのシリーズもわるくなかったが、この講談社のシリーズのほうが図版もよく、版型も大きくて、ウチでぐふぐふ眺めるにはよい。電車で読むならカッパブックスのほうがよいけれど。

 それで結局さいごまで読んでしまった。あーはやく『フェルメールの眼』や『ルソーの夢』が読みたいッ。土曜に図書館へいくのが待ち遠しい。
 
 筆づかいや絵の具の塗りだけを近づいてみると水のみずみずしさなど全く感じられないのに、画面となってみると、水や空気の感触がそのままうつしとられたかのようだ。

▽…印象派の絵には、絵画の行き着く最終地点があり、同時に絵を描こうという気持ちの原点がある。その二つが無垢の形で結合していて、ほとんど永遠の気持ち良さが光っているのだ。
 いわゆる王族の社会から市民社会への変わり目の時代に印象派が出てきたのは、自然の勢いというものだろう。それまで観念の世界にしっかりと縛られていた画家たちの絵筆が、見たままに描きたいという欲望に目覚めて、アトリエから外に出てきた。人類初のめくるめくような体験である。それまで眼を閉ざされていた人が、手術によって生まれて初めて身の回りの風景を目撃したような興奮と驚き。
 たとえばモネ、シスレー、ピサロという画家たちの絵が、ほとんど見分けがつかない。自意識、自己主張というものが蒸発するほど、自然の実感を"描写"するというニュートラルな作業に夢中になっていたのだ。…
(印象派の風景描写の新しさ、3ページ)

 あともう少しでノーザンギョー月を達成する予定だったのだが、今日は受付当番の身代わりをしたあおりもあって、1時間ほどザンギョー。あーあ
 私がザンギョーして帰ると同居人はノーザンギョーで帰ってきた。 

 晩はサンマの塩焼きとモヤシ・キュウリの中華風酢の物と冷や奴とご飯。サンマには大根おろしに「かぼす」をぎゅうっと絞って、めちゃウマ。すだちもいいけど、かぼすは大きい分だけ果汁たっぷりで、酸っぱいもの好きにはたまらんねえ。

版画、寺山、印象派

 昨晩からシトシト雨降り。ついこないだまでの残暑を思うとすっかり冷えるようになってきた。
 通勤の供には、こないだの坪内本でチェックした『版画-近代日本の自画像-』(小野忠重、岩波新書)を図書館で借りてきて読んでいる。

 今日もノーザンギョーで帰る。その足で図書館へ。館内閲覧の寺山本の続きを読む。7月に読んだときには落丁が多すぎて、プツプツぷつぷつ切れてしまっていたので、読んだような読んでいないような感じだった。

 寺山がドイツで「毛皮のマリー」を演出したときの話。

▽…私は、わが国の演技術というのが「何かに化けることによって自分自身をかくす」のであり、ヨーロッパの演技術というのが「何かに化けることによって自分自身を強調する」のだ、と思っていたことが、実感になってゆくのを感じた。こうした演技術をまったく塗り変えてしまうこともあるだろう。…(エッセン日記、75ページ)

 イスラエルのキブツへ入り込んで生活している日本の若いもんに会ったときの感想。

▽…だが、消費のムダもまた文化なのである。「生産者価格のない一編の詩」でさえも、値ぶみされる時代でもある。すべてが実質と合理化だけをめざしたとき、人は「必要なものの充足」だけで生きがいを満足させることができるだろうか?
 私は、現代の矛盾だらけの経済と搾取経営は根底からくつがえさねばならぬという考え方に異議はないし、官僚化し、搾取団体化した現在の地方の農協のあり方にも否定的である。だが、同時にこうしたキブツ共同体論が社会変革の処方箋として(役立てるための手段として)応用されるあいだ、働く者たちは「ここではない他の土地」を夢見るだろう。人は、手段として仲間を必要とするのではなく、仲間を獲得することが人生の目的であることを知ることが、何より共同体の原理だからである。(心を草原にさまよわせてイスラエルへ渡る青年たち、200-201ページ)

 そして昨晩ネットで予約した本がもう確保されていた!赤瀬川の名画探検シリーズ。しかし今イッパイいっぱいで借りているので全部は借りられず、迷ったあげく『赤瀬川原平の名画探検 印象派の水辺』(講談社)を借りてくる。

 帰りにはやんでいた雨が、また降り出した。
 同居人は夜介護で不在。一人晩ご飯はキムチ鍋焼きうどん(もどき)ともずく。ご飯を食べたらめちゃくちゃ眠くなり、半時間ほど気を失ったように眠っていた。

「御厩」はどう読むか?(その4)

○岐阜・下呂に「御厩野町」がある

岐阜県益田郡下呂町御厩野町
→御厩野は「みまやの」とよむらしい。郵便番号は〒509-2312

→御厩野町の「鳳凰座」

▽「鳳凰座」は、国道257号線舞台峠の麓にある劇場型農村舞台で、文政10年(1827)に現在地に移築されて以来、明治16年と昭和28年に大改築された後、平成10年に回り舞台が復活し現在に至っています。
 この「鳳凰座」では毎年、御厩野の日枝神社と熊野神社の祭礼に合わせて素人歌舞伎の上演が行われます。当歌舞伎は江戸時代より農山村の唯一の娯楽としてと親しまれ「御厩野の芝居」と呼ばれていました。地芝居は、江戸時代の台本とともに県重要有形文化財・重要民俗資料に指定されています。

○神奈川・小田原の御厩小路(おうまやこうじ)

▽御厩小路(おうまやこうじ)
この地名は、「寛文九年火災報告に関する文書」(1669年)に初めて見られます。地名の由来は、西海子小路がこの小路に交差した地点の西側に小田原藩の馬屋があったことによります。
 承応2年(1653年)、小田原藩主稲葉正則がこの地に馬を見に来た記録もあります。この小路は熱海街道(伊豆山、熱海に達する道路)の起点にあたりますが、小田原では御厩小路の名が永く使われていました。(城下町小田原の町名・地名)

 
 
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乱読ぴょん

Author:乱読ぴょん
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本ネタのミニコミ誌『ブックマーク』を編集発行しています(1990年9月創刊~ 昔は隔月発行でしたが、今は年2回発行で、現在87号)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2014年4月(313号)より「本の道草」を連載中(現在、第39回)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2004年3月(192号)より2014年3月(312号)まで、本ネタ「頭のフタを開けたりしめたり」を連載(全119回、連載終了)。

『くらしと教育をつなぐWe』誌で、1999年4月(71号)より2014年2月(188号)まで、本ネタ「乱読大魔王日記」を連載(全118回、連載終了)。

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