読んだり、書いたり、編んだり 

妹2号の誕生日

 妹2人もこれで30代。きょうだい揃って30代である。
 
 昨日は、遅番だったので午前中は免許の更新に警察へ。住所地の警察でなくても手続きできるというので、職場の最寄り警察署へ行ってみた。どのくらい込んでいるのか予想がつかなかったので時間に余裕をもって行ったら、ガラガラに空いていて、もたもた書類をかいてから、5分余り歩いたところにある安全協会で更新時講習のビデオ鑑賞をしても、1時間ほどで終了。こんなに早く終わると思わなかったので、遅番の出勤時間まで何をしようか、という状態になってしまった。

 銀行で用足しをして、画材屋、百貨店の文具売り場、チケット屋などをウロウロして、それから郵便を出しがてら郵便局へ行って、半時間ほどベンチで本を読んだ。養老孟司の『バカの壁』読了。
 昼ご飯は温かいうどんを食べて、汗を拭き拭き出勤。免許更新が終わるのが早すぎたせいで、遅番がすんで帰るまで、長い長い一日に感じられた。

 今日は定時をちょっとまわったところでとっとと帰途へ。久しぶりに駅向こうのスーパーへ行き、ちょっとだけ本屋へも寄って(でも何も買わず)帰宅。

 晩ご飯は、私がつくったゴーヤサラダに、タイ料理キットでシェフ同居人が調理した太焼きビーフン、ビールを少々。先日私が別の太焼きビーフンをつくったときにも思ったことだが、この太めのビーフンをうまく戻すのがけっこう難しい。

 中公新書ラクレの『新・専業主婦論争』を読んでしまう。おもしろかったようなおもしろくなかったような。あまりハッとするようなところはなかった。
 

風びゅうびゅう(II)

 父ちゃんちの行き帰りに図書館で借りた『夫と妻のための新・専業シュフ論争』(中公新書ラクレ)をちょろっと読み、帰りに寄った図書館で岸香里の『天使のたまご』(幻冬舎文庫)を借りて読む。先日の『お願いナース』の前史のようなマンガである。

 同居人が杖を実家に忘れてきたので駅まで代わりの杖をもってきてほしいと電話をかけてきて、迎えに行く。お土産は、同居人の母上メイドの柿の葉寿司。ゴーヤのサラダと海老餃子を足して、晩ご飯は柿の葉寿司。いつもながらおいしい。

 風呂で、養老孟司の『バカの壁』(新潮新書)をちょっと読む。同居人がこないだ仕事帰りの読みものに買ってきた本で、もしかしてと思ったら父ちゃんも同じ本を買って読んでいた。

  

風びゅうびゅう(I)

 昨晩はなかなか気乗りのしなかった校正をエイヤっと仕上げて投函し、近所の宴会にちょっとだけ顔を出した。

 今日は朝から風が強い。天気は下り坂のようだが、びゅうびゅうと風が吹いているので洗濯して干して、それから父ちゃんちへ向かう。妹2号(同じく5月生まれ)と一緒に父ちゃん作の”誕生日ごはん”(ふだんよりちょっとゴーカで、果物がつく)を食べさせてもらうのである。

 久しぶりにモノレールに乗って、途中で乗り換え、父ちゃんに頼まれた雑誌と、あと花を買って、バスに乗る。風が強くて、すうすうと肌寒さを感じるくらい。バス道は見慣れた道のはずだったが、途中の駅や風景など、なんだかずいぶん変わっていて驚く。

 父ちゃんは相変わらずである。「例えば、スポーツ新聞でもないのに、新聞の一面に松井選手が大きく載るなど、オトーサンには理解ができない」などと言っている。父ちゃんの中の”新聞”とか”電話”というものは、昔気質なものらしい。父ちゃん、新聞はもう父ちゃんが思っているような新聞じゃないと思うで。「別に理解せんでも、そういうこともある、と思っておけばいいのではないか」と言ってみる。
 雑誌を買っても本を買っても「コンチクショウと思うような記事や文章は読まないことにしている」そうである。父ちゃんのココロの平安のためにもそうしたほうがいいだろう。それにしても、頑固というか、マイペースというか、自分はけっこう正しいと思っているんやなア--と思う。
 
 そのわりには(?)新製品好き。1~2カ月に1度父ちゃんちへ行くと、何かしら新しいモノがある。高値のモノ=”上等”という思想も根強い。しかし、頓珍漢なモノを購入して”上等だ”と威張るのは、(ハイハイ)という気にさせられる。エスプレッソメーカーもないのに、エスプレッソ用のコーヒーを買って”上等のコーヒーだ”と言われても・・・・・トホホである。
 我流の激しさも、”上等”志向の頓珍漢に輪をかけていて、ほんとうに変人よなアとつくづく思う。

 そして、「オトーサンも頑張ればできるねんけどな」と言いつつ、どうすればいいのか分からないことが増えている様子に、父ちゃんの老いを少し感じる。今日は父ちゃんが新しく購入したビデオデッキとテレビとケーブルテレビの何とかを接続してきた。

校正すすまず(II)

 本の帯にとりあげられた本の背の写真がある。私が読んだことのあるものは、『五体不満足』、『世界がもし100人の村だったら』、『倚りかからず』、『働くことがイヤな人のための本』、『模倣犯』、『海辺のカフカ』、『鉄道員』、『朗読者』、『永遠の仔』、『LOVE論』、『iモード事件』。途中でパスしたのは『日本語練習帳』。

 対象がベストセラーだから、というのもあるのだろうが、斎藤本のなかでは『読者は踊る』とか『アホらし屋の鐘が鳴る』のほうが私の好みではある。

校正すすまず(I)

 ようやく週末にたどりつく。この土日は休み。同居人の里での法事にでかける予定だったが、咳が続いてすっきりしないので私はキャンセルして、同居人だけ石川へ。荷物があったので大阪駅まで見送りがてら予約切符を買いにいったら、のんきに出てきたせいで時間ぎりぎり(同居人の乗車券は障害者手帳で半額になるので窓口で買わなければならない)。障害者手帳を見せたあと私がカウンターで支払いがすむのを待って、同居人は改札の前で待つ。発車時刻まであと2分!で切符をゲット。慌ただしくホームへ向かっていった…。

 私は折り返し帰宅。とちゅう図書館で校正原稿を仕上げて投函してしまうつもりが残念なことにリュックのペンケースに赤ペンが入っていなくて断念。書架をぶらぶらして、ジャスコの店長さんが書いた『どう答えるの?店長さん。』(高橋晋、かんき出版)という本を立ち読み→座り読みして、読み終えてしまった。著者は「お客様のご意見」カードに店長みずから答え、それを公開する制度を始めた人らしい。この本は、その「ご意見」と「回答」を編集したものである。
 私もこういう「ご意見カード」の類を結構書くので、こうして誠実に店長さんが答えを書いているものを読んで、きちんと答えてもらえれば不満のおおかたは無くなるのだなあとつくづく思った。逆に筋のとおった答がないと、二度と買うかこんなモン!と思ったり、二度と来るかこんな店!と思ってしまうのだ。
 いまの仕事で外部との応対が少なからずある私としては、クレーマー側だけでなく回答側の受け答えも、(こういう言い方もあるなあ)とベンキョウになった。
 
 昨晩は借りていた斎藤美奈子の『趣味は読書。』(平凡社)を読んでしまった。もとは平凡社のPR誌「平凡百科」で連載していたもので、連載中にその「平凡百科」をほぼ毎月読んでいたから買わずにいたのだが、本として出るときの”書き足し”も含めて、まとめて読むとそれはそれで面白い。これは「読まず嫌いのあなたにかわって、ベストセラーを私が読んできまっさ」と斎藤がベストセラーを読んでツッコミ満載で書いている。こうして本になってから読んでみると、この本で斎藤が”代読”したベストセラーの一部は借りて、一部は買って、私もけっこう読んでいた。やはり読んだことのある本は、ツッコミを読んでもおもしろいし、(そういう読み方もあるのか!)という感じ。

五月の寺山修司(II)

 寺山の父は、地方警察の刑事だったという。その父は、昭和二十年の九月に赤痢で戦病死したという。ウチの父ちゃんの父ちゃん、私からすると祖父にあたる人は、戦争が終わる前に結核で死んだのだそうだ。

 川本三郎による解説「「ほんとうの自分」はどこにいるのか」。
▽…寺山にとって、過去とは、ありのままにそこにあるのではなく、つねに現在によって呼び戻され、手を加えられ、物語に作り変えられてゆくものである。決して、ひとつの確かなものとしてあるわけではない。「あらゆる過去は物語に代わる」。(254ページ)

 咳がまだ完全には脱けない。痰も絡むし、控えめに控えめに過ごす毎日。

五月の寺山修司(I)

 寺山修司は五月にうまれ、五月に死んだのだと思っていた。谷川俊太郎の詩「五月に」にある「君は五月に誕生した」「きみの五月にきみは旅立つ」のフレーズから、そう思っていた。

 図書館で借りた寺山修司の『私という謎』(講談社文芸文庫)を読んでいて、寺山が昭和十年の十二月うまれであることに気づく。昭和十年十二月生まれのウチの父ちゃんと同い年だったのだ。
 いまから二十年前の五月に、寺山修司は死んだ。私が中学生だった頃になる。私が寺山修司の文庫本を読みあさっていたのは高校生の頃だった。少し古い文庫本に、著者である寺山の連絡先が書かれていたのが虚しく感じられたのを少し思い出す。この宛先に手紙を出したなら、どこへ届くのでしょうと思ったおぼえがある。

 『私という謎』--表題作は二匹のカメの話から始まる。
▽このところ、私は二匹のカメを飼っている。
 一匹が質問という名で、もう一匹が答という名である。問題は、答よりも質問の方がはるかに大きいことであり、たずねてきた友人達は「質問が答より大きいというのは、どういうことだ?」と訊くことになる。

 そこで、私は答える。「質問はかならず、答をかくまってるからね、その分だけ大きく見えるだけさ」と。(49ページ)

 「II 旅役者の記録」におさめられた「女形の毛深さ」は、近頃読むような trans gender とか trans sexuall といったことを超えたものを感じる。

▽…歌右衛門は、決して女になり切ってはいなかった。と同時に、お松さんもまた、女になり切ってなどいなかった。女を演じていながら、男である自己の中心を喪失するまいとしているのではなく、また逆に、女を演じていながら、自己の脱け殻としての男をふりかえろうとしているのでもない。男と女に分離しようとする二様の精神を、肉体の仕草のなかで統一しようとする苦しみが、彼らの虚構を支えていたのである。(116ページ)

 「III 自伝抄」中の「汽笛」。
▽…今も私に忘れられないのはある夜、拳銃掃除を終った父の銃口が、まるで冗談のように神棚に向けられたまま動かなくなったことだ。びっくりした母が、真青になってその手から拳銃を奪いとって「あなた、何するの」とふるえ声で言った。神棚には天皇陛下の写真が飾られてあったのである。(180ページ)

寝る

 今日もかなり長時間寝る。同居人は介護にでかけてしまって、私は昼頃までたらんこたらんこ寝る。一度起きて、朝昼兼用で食べて、洗濯して干して(けっこう天気はよい)、それからまた寝る。火曜に休んだ日のような感じで、いくらでも寝られる。

 痰が絡んだ咳が続き、同居人を朝おくりだしたときには声がかすれてほとんど出ない状態だった。お茶を飲んでみたりしていたら、声はもどってきたが、こんどはガラガラ声になっていく。

 天気はよさそうだが、とにかくダルいので寝る。夕方になって介護先から同居人帰宅。それからもう一度洗濯して干して、返して借りたい本があるので買い物がてら図書館へ。1冊返して1冊借りて、リクエストしていた本が1冊届いているという状態。リクエスト本を近日中に取りにくると言って、先に井上きみどりの本を借りる。

 晩ご飯はチヂミを焼くことにして、ニラ、葱、人参、豚など買って帰宅。起きているイキオイで何とかWeの校正をすませ、「え」をかいて、速達を投函。チヂミはシェフ同居人が焼いて、これがひじょうにウマかった!次からチヂミ焼き係は君だ!

 大根と生姜の「絞り汁仕立て」というのど飴をなめていると、少しマシになってきたような気がする。とはいえ、咳は体力を消耗する。

痰が絡んだ咳のツラさよ

 昨日から時折ゲヘゲヘゲヘと痰が絡んだ咳が出る。これが連続するとグェェっとなってしまってかなりツラい。今日も一日キツかった。サービス業は大変や。2時間近いザンギョーにもくたびれた。でもこの土日は休み!

 今晩外食も考えたが、外で食べるのはしんどいので、豚とチシャとビールを買い物して帰宅。豚をじゅうじゅう焼いて、チシャに豚と辛味噌とキムチをくるんでばくばく食べる。これでなんとか具合がよくならないかしら。ビールもほんの少々(350ml缶を2人で1本)。
 なぜか食後に足がつって、同居人に「イオンバランス崩れてるんちゃう」とコメントされる。調子はよくない。よくなりたい。

 昨晩から図書館で借りた山本夏彦の『『室内』40年』(文春文庫)を読み始めた。今日は行き帰りの電車と昼に弁当を食べながら読んでいた。おもしろい。じつにおもしろい。父ちゃんはこれはもう読んだのだろうか。山本夏彦は全部買っているようなイキオイだから、読んでいるような気もする。

 We原稿の校正を一日もちあるいていたが、全くするヨユウなし。結局明日になりそうである。帰ったら、別の原稿の校正のことで連絡メールが入っていた。どうも前の職場へ初校が送られていて、締切を過ぎているハヨ送れというお怒りの速達ハガキが届いたらしい。そんなこと言われても、初校が送られていることさえ知らんかったしなあ…

 それもこれも明日だ。

一日やすみ

 一昨日の晩はヘロヘロに疲れて帰って、とりあえず寝ていたら吐き気までして、(今日休んでおくのだった)と判断ミスを少々後悔。一晩寝てもダルさと喉の痛みは去らず、昨日はいちにち休んで、こんこんと寝た。こんなに眠れるもんなんやなあと思うほどであった。こまめに休みをとっていかないと、もたんなーと実感する。

 今日も雨まじりで肌寒い。後ろの席の人が体調不良で休んでいる。「爽やかな」とは言いかねる空模様が続き、気温が急に下がり、私もすっきりとはしないまま、ケホケホと怪しい咳をしながら一日シゴト。口内炎も治らず、「疲れてるんやってー」と同居人に言われる。
 食欲も減退気味。

 待ってもらっていたWeの次号原稿をようやく書き上げる。
 今日はなんだかしゃっくりが止まらず、けっこうこれが苦しい。 

喉の痛み

 昨日の夕方から急に喉が痛くなり、首筋のリンパ節もこころなしか腫れた感じでかなりキツい。この2日ほど気温が急に低くなったせいか。おまけに口内炎まで発生して、「つかれてますぅ」状態である。今日は定時で帰ろうと思っていたら、なかなか一段落せずに結局1時間近くザンギョーしてしまった。帰り着いて、とりあえず横になる。ふなふなである。

 晩ご飯は冷食の「ちゃんぽん麺」を帰ってきた同居人が製作。なかなかうまい。これで3日連続、同居人作。シェフ復活ッ。

 昨日は日曜出勤で、このあと金曜まで通常勤務である。しかし6日連勤は私のカラダにはかなり堪えるので、明日か明後日休もうかしら…と思案中。喉の痛みだけですめばいいのだが。日曜の職場は閑散として、仕事そのものはそう大変ではなかったが、休養が足りないという感じである。

 土曜は休みだったが、金曜の晩に借りて帰った本を一気読みしてしまって寝不足気味。同居人と新しい図書館へ行って、新しく同居人がつくった借り出しカードで4冊借りてもらった。いえいいえい。土曜は午後から、招待券があったので大丸ミュージアム梅田の「ミレーとバルビゾン派の作家たち展」をのぞき、電器屋をちょっと冷やかして帰った。最終日の前日ということもあるのか、人気があるということなのか、ミュージアム内はけっこうな人出であった。ミレーのデッサンやエッチングがよかった。

 金曜日の晩ご飯は、タイ料理キットでトムヤム汁ビーフン。
 土曜日の晩ご飯は、チシャ巻き豚バラ焼き肉、焼き餃子にビール。
 日曜日の晩ご飯は、カレー。
 
 Weの次号原稿も書きかけだが、喉の痛みは本格的にやばくなりそうなので、とっとと寝よう。

 

バリバリ雷どぶどぶ大雨

 まったくえらい雨であった。昨晩いったんあがったように見せかけて、明け方から雷はバリバリ鳴って、雨はざんざん降る…というものすごい空模様となり、「行きたくねー出勤したくねー」と騒ぎながら出支度をする。

 少しでも小降りになればと思っていたが、どうにもならないようなので出勤。玄関を開けるなり、まさに”バケツをひっくり返したような”水が降ってきた。なんじゃこりゃあ。

 出て、傘を広げ、鍵をかける。それだけの動作の間に、もうシャツの袖はぐっしょり濡れて、数歩あるいただけでズボンの裾は濡れて色がかわってしまった。駅までのほんの10分ほどの道は、側溝から水があふれ、道路を水が流れて、水たまりのないところがほとんどない。駅に向かいながら「くそー帰りてー、もういややー、行きたくねー、どうなってるんやー」と大騒ぎ。最寄り駅についた時点でぐしょぐしょのずぶずぶである。

 座るのもいやなくらい濡れて、職場についたら、ズボンの裾を絞って水が出るような状態。とりあえず靴と靴下を脱いで新聞紙をつめ、裸足にツッカケ。午前中は座らずに、チラシやポスターの整理に歩き回って、なんとか湿ってるなという程度に服は乾いた。そのかわり、冷えてきて、職場置きのカーデガンと膝掛けで防御。

 午後も連休にあった企画の片づけと経理研修とであっという間に終わり、こんな靴で帰りたくねーと思いながら帰宅。グレーの靴が真っ黒に見えるほど濡れている。

 久しぶりにネット注文した本が入荷したので引き取って帰宅。晩ご飯は昨日つくった「とまと汁」と、トマトサラダ。自作自演のトマトづくしの食卓に、赤ワインと蜜柑ジュースをまぜた贋サングリアを飲む。(去年はシェフ同居人がトマトづくしをしてくれたのになア)と思っていたら、このシェフは人の誕生日をすっかり忘れていたのであった。ひでー

 今日買ってきた本を、食後読みはじめて、あっという間に終わってしまった。「Bricolage」の五月号で紹介されていた岸香里の『お願いナース』(幻冬舎文庫)である。この著者、ただもんじゃないな。もう一冊文庫に入っているようなので読んでみたい。
 
 
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乱読ぴょん

Author:乱読ぴょん
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本ネタのミニコミ誌『ブックマーク』を編集発行しています(1990年9月創刊~ 昔は隔月発行でしたが、今は年2回発行で、現在87号)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2014年4月(313号)より「本の道草」を連載中(現在、第40回)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2004年3月(192号)より2014年3月(312号)まで、本ネタ「頭のフタを開けたりしめたり」を連載(全119回、連載終了)。

『くらしと教育をつなぐWe』誌で、1999年4月(71号)より2014年2月(188号)まで、本ネタ「乱読大魔王日記」を連載(全118回、連載終了)。

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