読んだり、書いたり、編んだり 

3月に読んだ本

3月に読んだ本(読み終わった)本のリスト:
○梨木香歩/文、出久根育/絵『ペンキや』理論社
○梨木香歩『りかさん』偕成社
○ナンシー関、町山広美『隣家全焼』文春文庫
○エリック・ホッファー『エリック・ホッファー自伝 構想された真実』作品社
○群ようこ『都立桃耳高校 放課後ハードロック!篇』新潮文庫
○金子勝、成毛眞『希望のビジネス戦略』ちくま新書
○内田樹『寝ながら学べる構造主義』文春新書
○山本夏彦『一寸さきはヤミがいい』新潮社
○松永真理『iモード事件』角川文庫
○毛利子来『いま、子を育てること』ちくま文庫
○伊藤雅子『新版 子どもからの自立』岩波現代文庫
○毛利子来『新版 若い父母へのメッセージ』ちくま文庫
○毛利子来『育児のエスプリ 知恵の宝石箱』新潮文庫
○毛利子来『新エミール 育児と教育について』ちくま文庫
○藤村美津、伊藤雅子『育児力 子どもの成長・おとなの成長』ちくま文庫
○清水義範『サイエンス言誤学』朝日新聞社
○毛利子来『親と子、ないしょの話』ちくま文庫
○竹中文良『癌になって考えたこと』文春文庫
○野木裕子『「ホスピス」という選択』新潮OH!文庫

桜ほころぶ

 朝晩はまだ「チョット暖房がほしいかな」と思うような気温。晴れた日は、家のなかにいるよりも、外の方があたたかいくらいで、春だなと思わせる。
 
 年度末ということもあって宴会続き。木曜は引き継ぎに歓送迎会。天満の韓国料理や。金曜は泊まりで打ち上げの宴会。摂津峡の温泉で雉鍋とボタン鍋のあと露天風呂につかる。その夜中の宴会が遅くまで続いて、昨日はネムネムのよれよれ。少し昼寝などして、夜は久々に同居人の入院友達と中華のS閣へくりだす。ニラそばと餃子とニラレバと麻婆豆腐。これがどれもなかなかの辛さ。麻婆豆腐は初めての味。なんといっても肉がミンチではなかった。

 昨日も今日も久々に晴れて、洗濯日和。今日は昼前に散歩がてら買い物に出る。あと10日ほどでオープンする駅前ビルは、通るたびに変貌して、あちこち開店準備がうかがえる。昼は塩ラーメンを食べて、それから図書館へ行った。システムの入れ替えや何やかやで、4月はしばらく市内全館が休館になるため、今日借りると1カ月借りられる(いつもは2週間)。継続してもらった数冊にあわせ、ぐるぐる書架をみてまわって、限度いっぱいの10冊借りた。
 晩は、近所のOさん宅でお寿司をご馳走になった。土瓶蒸しに白和え、おやつに最中もいただいて、おいしい夜だった。

 Oさん宅からの帰り道、すぐ近くのお寺でライトアップされた「しだれ桜」を見る。こんな近くで風流なことをしている。うちの近所でも桜がほころびはじめている。明日で弥生も終わり、ことしも四分の一が終わる。 

雷雨、そしてぬくぬく

 昨日は卒業式で、出勤時のモノレール内がえらく混雑。雨のせいで傘の分だけよけいに混雑。親も一緒に参加というのがずいぶんいるようだ。後から聞いた話では、保護者席(?)で小型ビデオカメラをもった親が多くいたらしい。小学校の運動会か、という感じである。私は大学のときも大学院のときも式には出なかったので、遠くを見るような気分である。
 式がらみの裏方仕事がいろいろとあり、昨年よりも作業人員が減った分、時間も手間もかかる。やっと一息ついた頃、空は晴れた。しばらく影ができるような空模様だったのが、1時間もしないうちに雷雨になった。ナナメにたたきつけるような雨がしばらく降り、雷鳴がとどろく。えらい天気である。夕刻、数年ぶりに知人に会うため少し早じまいして落ち合い先の空港へ。その頃には空はまた明るくなっていた。ほんとうに変な天気であった。
 晩ご飯は、K飯店にて。

 今日は一転して天気よし。気温も高く、ぬくぬくの陽気。これだけぬくぬくになると台所でモノが腐りやすくなる。気休めとは思いながら冷蔵庫へ入れるモノが増える。
 朝から会議3連発。さすがに疲労。
 通勤のモノレール内では、藤村美津と伊藤雅子の『育児力』(ちくま文庫)を読み続ける。じつにおもしろい。「方向転換」ができるようになる、というのが子どもの成長のひとつの大きな節目だという話は、そんなことに注目したことがなかった分、ふぅぅぅぅんという深い興味がわく。

 もっと遅くに降るのかと思っていたら、昼を過ぎて15時頃から雨が降る。朝は晴れていたから、天気のうつりかわりが速い。

 出勤時に近所に宿泊しているとおぼしき”高校球児(おそらく)”が、火ばさみや箒を手にゴミ拾いやら掃除やらしている風(私の見た範囲ではテキトーに火ばさみを振りまわしている風)なのを目撃。それを写真に撮っている報道関係らしき人も目撃。少々ヤラセくさい「近所の掃除」である。この写真はどこかの新聞にでも載るのだろうか。

 毛利子来の『新エミール 育児と教育について』(ちくま文庫)を読み終え、藤村美津と伊藤雅子の『育児力 子どもの成長・おとなの成長』(ちくま文庫)を読み始める。

 晩ご飯は、豚汁にだんごを浮かべた「だご汁」、鰯めんたいを焼いて、ホウレンソウの辛子和え。しっかりご飯を食べる。

菜種梅雨

 また雨である。昨日の夕方にはあがっていたから、今日は晴れるかなと思っていたのに朝から雨である。しとしとしとしと、菜種梅雨というやつか。それでも無理矢理洗濯をして、また部屋の中は洗濯物だらけである。

 朝は少し遅く起き、納豆ご飯を食べてから、同居人とともにOさん宅へネコの餌やりに行く。餌やりをすませてから、買い物。昼は焼き飯、晩はタイのグリーンカレーに決定。

 毛利子来の『若い父母へのメッセージ』の続きを読む。雨は夕方になってさらにバタバタと降っているが、意を決して図書館へ本を返しに行く。ついでにぶらぶらと書架を見てまわって数冊借りる。図書館の帰りにOさん宅へ寄って、ネコの餌やりとネコ便所の掃除。

 帰ってから、『若い父母へのメッセージ』を読んでしまい、借りてきた本のうち清水義範の『サイエンス言誤学』(朝日新聞社)を読む。げらげら笑えるところがイロイロあって、同居人に読んで聞かせたりする。

 晩ご飯のタイカレーを食べたべ、新日曜美術館の再放送を見る。熊谷守一の絵がイイ。70歳の岡本太郎の映像を見て、枯れない人やなあとつくづく思う。ルオーの宗教画を遠藤周作が語っている。大正時代に夭折した画家・関根正二のことを今東光が語っている。あの「信仰のかなしみ」は、この人が描いたものだったのか、と思う。今東光が「関根のバーミリオン」と言っている。あかがふんだんに使えなかったから、「信仰のかなしみ」では中央の女性だけがあかい服に塗られている。そのあかは見るものに印象深くうつるけれど、あれは「あかがちょっとしかなかった」のだという。

 父ちゃんに先日会ったとき、母ちゃんが期待していた新薬のことを調べていると言っていたので、私も調べてみる。脊髄小脳変性症の経口薬として田辺製薬が出した「セレジスト錠」。発売は2000年の秋。母ちゃんが死んでから1年半後のことだ。この薬がもう少しはやくできていれば、もしかすると母ちゃんの症状は少しは改善されたのだろうか。タラレバだけれども考えてしまう。
 
 雨はやまない。明日も雨なのか。

春の本買い虫

 金曜はえらくエエ天気で、昼間はぽかぽかと暖かく、日が暮れてからも「あったかくなったなあ」と思わせる気温であった。来年度への引き継ぎ書類の整理。これがまた終わらない。年度末の継続書類やら申請書類やら、すっかりくたびれる。
 毛利子来の『いま、子を育てること』は読んでしまって、もう1冊、毛利子来の『新編 若い父母へのメッセージ』(ちくま文庫)を読む。夜はX嬢と待ち合わせ。その前にちょっとだけ古本屋へ寄って、品切で入手不可能になっている毛利子来の文庫本を数冊ゲット。どこかで手に入らないかと思っていた『育児のエスプリ』(新潮文庫)も見つかる。それと、伊藤雅子の『新版 子どもからの自立』(岩波現代文庫)を半額でゲット。古い親本を図書館で借りて眺めていたが、なかなか読んでいなかったものだ。ぱらぱらっとめくってみると、毛利子来が書いていた「共同の保育」に近いようなことが書いてある。これも親本は1970年代で、その頃というのは、こういう発想がずいぶんあったのだろうかと思う。
 晩ご飯はX嬢と同居人と3人で地中海料理屋へ。久しぶりにワインを飲みのみ、閉店まですごす。帰りは散歩がてら、うちまで歩いて帰る。

 今日は朝から雨。昨日があまりにもエエ天気だったので、なんで週末に雨ばかりと少々うらめしい。ごろごろしながら、昨日買った伊藤雅子の『子どもからの自立』を読んでみる。座ったり、ホットカーペットに転がったり、布団にもぐったり、ごろごろウトウトしながら過ごす。
 昼ご飯はラーメン。それからまたごろごろウトウトしながら本を読む。同居人が録画したドラマ「六番目の小夜子」をつきあって、何話か見る。NHK常連の役者がいるのだろうか、と思う。

 日が暮れかけてから、Oさん宅へネコの餌やりにゆく。そのあと、本屋経由で買い物。晩ご飯は最後のカレー。

まいにちはやい

(3/10)月
 年休をとって、うちで原稿書き。Weの次号原稿。寒い日が続く。古本屋でツイ本を4冊買ってしまう。あーやばいやばい。晩ご飯はカレー。

(3/11)火
 出勤。朝から会議。昼過ぎにすんで、やっと弁当食べたら、もう夕方、というような気分。まいにち時間のたつのがはやい。机の上には終わらない仕事が堆積。晩は、先輩2人と飲みにゆく。夜景のウツクシイ居酒屋。メニューはいたってフツウ。いろんなことを言われる。
 松永真理の『iモード事件』(角川文庫)を読んでしまう。

(3/12)水
 午前中は廊下などの掃除。午後は後期試験の監督。長くてくたびれる。小論文の問題の「誤字」を発見。やはり問題修正があった。試験終了後もあれこれと仕事が終わらず、晩ご飯はカレー。
 毛利子来の『いま、子を育てること』(ちくま文庫)をおおかた読んでしまう。「共同の保育」というコトバに、自分が生後50日から入っていた「共同保育所」を思い出す。といっても、入っていた頃の記憶はなくて、親やばあちゃんから聞いた話である。親本は1970年代のものだが、古くささを感じさせない。

(3/13)木
 堆積した仕事を順番に片づける。ほんとうにくたびれる。晩ご飯は「ピリ辛とり野菜味噌鍋」。眠くてダルくてたまらぬ。

断続的に雪

 また今日もへんな天気である。晴れているが、断続的に雪。寒いはずである。

 同居人は雪まじりの中を介護にゆき、私は図書館経由でWeの会の集まりにゆく。駅まで歩く間に、雪がナナメに吹きつける。
 人に伝わる表現、ということを考える。相手の意図を汲み取ろうと努めるにしても、ともかく「私にはわからなかったのだ」ということは、いったん言うしかない。

 帰りの電車で内田樹の『女は何を欲望するか?』(径書房)をあらためて最初から読む。先日読んだ『寝ながら学べる構造主義』(文春新書)の内容を、さらに丁寧に書いてあるということが分かる。

▽例えば、「女性の社会進出」ということが「より高い賃金・より高い地位・より多くの情報・より多くの権力」をめざすものであるとき、「女性の社会進出」を励ますということは、「そういうもの」には無条件に価値があるという「父権制的イデオロギー」に同意署名することにはならないのか、という問いにフェミニズムはこれまで一度もうまく答えることができなかった。にもかかわらず、「この問いにフェミニズムはこれまで一度もうまく答えることができなかった」という事実を冷静に受け入れたフェミニストはほとんど存在しない(シモーヌ・ド・ボーヴォワールはその例外的な一人である)。(『女は何を欲望するか?』、6-7ページ)

 どうなりたいのか、どうありたいのか、どうなっていくだろうか、というようなことを、この内田の記す問いを眺めて考える。

晴れているのか雨なのか

 晴れているくせに雨が降っているというへんな天気。朝から、雨の音はするが、外は陽が射していた。昼前に散歩に出る。雨はいちど上がっていて、傘もいいやろうと同居人とてくてく歩いていたら、傘があれば差したいなというくらい降ってきた。眼鏡を拭き拭き歩く。

 雲まじりの青空が広がりながら、雨が線になって見えるくらいで、「こういう天気の場合は、晴れになるのか、それとも雨なのか」と同居人と考える。降水を確認したら、やはり雨だろうか。

 夜、久々に日本酒を飲む。いただきものの亀齢(キレイ)。このへんでは手に入らない西条の酒。父ちゃんに頼まれて買った山本夏彦の『一寸さきはヤミがいい』(新潮社)を読んでしまう。読む人が読めば少々かみつきたくなるような表現も見受けられるが、私には(新潮の連載やなあ)という印象。生きているこの人に会ってみたかったな、とも思う。

命日

 ばあちゃんの命日。逝ってから九年。

 書類提出。気疲れその他でほとほとくたびれる。 

 木、金と雨まじり。しかも冷たい雨。風も強い。寒の戻りという感じだ。水、木、金と近所のOさん宅でネコの世話。Oさんの旅行のため。ネコの餌やりとネコの便所掃除。見慣れぬ私を見て走って逃げていたネコが、三日目には人恋しいのか寄ってきてニャァニャァなく。 

 晩ご飯に同居人の母上手製の「ハタハタの干物」を焼く。うまい。かなりうまい。かつてアジをたくさんもらって自分でつくった干物を思い出す。あれもじつにうまかった。 

晴れた空に

 雪!さむいと思ったら雪が降っている。朝から雪まじり。職場でフト窓の外を見ると、ナナメに吹きつける雪、だったりした。冷える一日だった。

 前々から買おうかと思っていた内田樹の『寝ながら学べる構造主義』(文春新書)をとうとう購入。もう7刷。

▽世界の見え方は、視点が違えば違う。だから、ある視点にとどまったままで「私には、他の人よりも正しく世界が見えている」と主張することは論理的には基礎づけられない。私たちはいまではそう考えるようになっています。このような考え方の批評的な有効性を私たちに教えてくれたのは構造主義であり、それが「常識」に登録されたのは四十年ほど前、一九六〇年代のことです。(25ページ)

 こんなあたりから始まる構造主義の話もかなりオモシロそうだが、今日読んでいて印象に残ったところはここだ。

▽たしかに、よく考えてみると、自分が「誰の子孫であるか」ということは、実はずいぶん恣意的な決定です。というのは、私には四人の祖父母がいるわけなのに(内田、河合の他に服部、榎本の四家があります)、私はそれら四人の祖父母のうち三人を除去し、一人(内田家の祖父)だけを父祖に指名しているからです。その祖父にも、当然母親がいるわけですが、排除された曾祖母については、もう私はその旧姓さえも知りません。(82ページ)

 今日、あるサイトのリンクをたどって着いたページに、K君の名があった。もう10年ほど前になる。K君は、私が教育実習で教えたクラスにいた子だ。その名に架け橋の意がこめられていることを、実習担当の先生から聞いたこともあって、それでおぼえていたK君である。

 今日見たページで、K君は、父方の姓と並べて母方の姓を書き、そして名を記すという風にして自分の名前を示していた。高校生の頃から母親のことを考えるようになったそうだ。通学定期に戸籍名ではなく、父方の姓-母方の姓-名、と初めて書いたという。K君の母は朝鮮籍の二世、父は日本人。「日本人」とは何なのか、そういうことも考えるという。
 
 内田樹は、こう続けている。
▽・・・私がある祖先をおのれの「直系」として選択し、「日本人」としての「エスニック・アイデンティティ」を奉じているということは、言い換えれば、膨大な数の血縁者を私の系統から組織的に「排除」したということに他なりません。(83ページ)

ひなまつり

 今日は朝からまた雨。昼間はけっこう降っていた。

 金子勝、成毛眞の『希望のビジネス戦略』(ちくま新書)を、さくっと読んでしまう。なんか不思議なつくりの本である。2人の対談風の形式で、ところどころ傍線が入ったり、ゴチックになったりしている。厳密にいうと少しズレているのだが、「団塊の世代、引っ込め」と言う金子勝が、私からみるとほとんど団塊の世代の同世代(1952年生まれ)なので、笑える。成毛眞の「<b>金儲けを通じた社会貢献をしよう、と考えた</b>」(←本文ではここはゴチックになっている)のところ、べてるの家の発想に似ているような気がした。

 晩ご飯は、発掘された「とり野菜味噌」で、とり野菜味噌鍋。ただし、今日投入したのは豚。締めは、いただきものの「島原特製半生うどん」を茹でて、煮込みうどんにした。このうどんがウマかった!
 
 
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乱読ぴょん

Author:乱読ぴょん
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本ネタのミニコミ誌『ブックマーク』を編集発行しています(1990年9月創刊~ 昔は隔月発行でしたが、今は年2回発行で、現在87号)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2014年4月(313号)より「本の道草」を連載中(現在、第37回)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2004年3月(192号)より2014年3月(312号)まで、本ネタ「頭のフタを開けたりしめたり」を連載(全119回、連載終了)。

『くらしと教育をつなぐWe』誌で、1999年4月(71号)より2014年2月(188号)まで、本ネタ「乱読大魔王日記」を連載(全118回、連載終了)。

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