読んだり、書いたり、編んだり 

自分の発見

 天気よし。
 同居人は洗濯係。私は銀行・郵便局係で自転車で外出。新券終わりましたと貼ってある銀行は思ったよりすいていた。ぴんぴんの新札でなくてもいいやということで、お年玉用にテキトーに両替。郵便局で年賀葉書を購入。ユニットで親戚まわりへ出す「挨拶」をようやく作成した。同居人が退院したときに挨拶状出すかと言ってたのが、「仕事が決まってから」とずるずる延び、”再々就職”が決まったときに挨拶状を出すとか何とか言っていたのが、結局ここまで延びている。「1日には届かんやろうなあ」と言ってると、「少し遅れて着くほうが目立っていい」と言う奴。年賀状らしい年賀状をつくるのは何年ぶりだろう。”くじ”が好きだったばーちゃんが死んでからは、年賀葉書も全く買わなくなって、暮れのうちから「明けまして」だの「今年も」だの書いて投函するのも何だか気が乗らなくて、年が明けてから絵はがきを書いたりしていた。でも暮れに年賀状を投函してしまうのも、生活の知恵なのかもしれない。
 
 遅い昼ご飯は、また焼き飯をつくり、食後にユニット作成の年賀状を投函に出て、ついでにすこし買い物。「正月用お土産」におかきの詰め合わせを購入。1つは石川の同居人宅へ、1つは1日に集まる叔父宅へ。父ちゃんに焼酎も1本買う。

 晩ご飯は昨日の残りのカレーと大根人参サラダ。昨日の続きで寺崎昌男の『大学教育の可能性』をまた少し読む。なかなかおもしろい。寺崎は、いくつかの大学で勤めた経験などから、各大学が大学史を講じることの「学生にとっての意義」を述べている。

▽自分の「居場所」というものを確認することで自分自身を知る。大学での学習の、したがってまた教育の出発点の一つは、「自分の発見」への手がかりをつかむこと、また大学がその機会を与えることである。
 全国すべての大学で、「自校を語る」ことをテーマとする講義が行われてよい。著者はこの数年そう唱え続けてきた。報告書を参照しても、また勤務校での経験からも、学生達の感動は、単に「知識欲を満たされた」という満足感ではない。自分を発見したという達成感、あるいは一種の安堵感なのである。(75-76ページ)

 久しぶりにハンカチのアイロン掛けをする。

いかに生きていくか

(12/28)
 起きてみると昼の1時半をまわっていた。同居人は金曜の夜介護~土曜の昼介護と連続だったので不在、それで実によく寝た。やっと生き返ったような気がする。

 その後いちにち外出もせず、ごろごろしながら、読みかけだった延藤安弘の『まちづくり読本「こんな町に住みたいナ」』(晶文社)と宮本常一の『民俗学の旅』(講談社学術文庫)を読み終えた。

 晩ご飯は、うちにあるモノで焼き飯と大根サラダをつくった。
 寝しなに、寺崎昌男の『大学教育の可能性 教養教育・評価・実践』(東信堂)を少し読む。

(12/29)
 朝のうちに起きて、半年ほど前に読んだ浦河べてるの家の『べてるの家の「非」援助論』(医学書院)をまた読み直す。

 精神障害と診断される人たちが働き暮らすべてるで、たとえば分裂病を薬でどうこうしようとはしない。それは精神障害が「関係の障害」だということを当事者が分かっているからだろう。薬は、バクハツしてしまった症状をおさえたり、バクハツしそうなところで止めたりすることに多少の効果はあるが、その人がバクハツしてしまいそうになる「関係」そのものには何の力ももたない。
 そのことはこんな風に書かれる。

▽薬は症状の緩和と予防には効果があるが、いかに生きていくかというその人固有の人生課題の解決には当然のごとく無力である。人につながり、人に揉まれ、出会いのなかではじめて、その人らしい味のある本当の回復が始まる。だからべてるでは、誰からともなく「勝手に治すなよ」とも言われる。「一人ぼっちで勝手に治ると、病気のときよりも始末が悪い」からである。こんなことが、一つのことわざのように当事者から当事者へと伝えられていく。(109ページ)

 悩みがいのある悩みを悩むことが、べてるの大事にしてきたことなのだろう。

 昼ご飯は冷凍庫から出てきた蕎麦を食べ、食後の散歩がてらちょっと買い物に出る。やはり風は冷たい。ちょろちょろと買い物をして帰宅。
 晩ご飯は、同居人メイドのカレー。

しごとおさめ

(12/24)
 職場でかなり不愉快な思いをする。プチっと切れそうになってしまった。が、なんとか思いとどまる。しかし、ぼろぼろと愚痴をこぼしながら帰宅。

 宮部みゆきの『模倣犯』の下巻も読み終える。

(12/25)
 朝から論文提出のための書類を揃えるのを手伝う。調査票の発送も終える。雪がちらほら舞う寒い一日。 

(12/26)
 叱ってくれる人のあるのは有り難い、と思うものの、厳しいお言葉にかなり堪える。

 同居人は今日で仕事おさめ。ウラヤマシイ。
 帰りにちょうど駅で一緒になり、寿司を食べて帰る。 

(12/27)
 ようやく仕事おさめ。年内の出勤はこれで終了。とはいうものの、この1カ月はまーーったくと言っていいほど自分のシゴトができず、明日から数日は家で”残業”か。

 同居人は夜介護で不在のため、帰りに3人誘って、晩ご飯を食べて帰る。通勤の友は宮本常一の『民俗学の旅』(講談社学術文庫)の再読。そろそろ読み終わる。

模倣犯

 同居人は昼介護。読書の合間に便所掃除、風呂掃除、洗濯。タイルをごしごしこすっていると、晴れ晴れとする。念入りに掃除を終えると、少し汗ばんでいた。
 
 宮部みゆきの『模倣犯』を読み続ける。長らく借りて積ん読していた本である。こういうのは読み始めると一気読みなので、時間の余裕ができて、読む気になるのを待っていた。2段組で量が多いというだけでなくて、話の進み方が高村薫の『レディ・ジョーカー』や『マークスの山』みたいだなあと思う。干刈あがたの小説とはまた全然違う小説。
 上巻を読み終えて、下巻の半ばほどまで読み進む。小説家はどうやってこうした人物像を描き出すのか。

 日が暮れてから同居人と出かける。思ったより気温が高い。地中海料理屋にて5人で飲み食い。3日間、ボンヤリしつつ過ごして、だいぶ復活する。

ココロの叫び

(12/20)
 パズル書類の下書きを清書しようとして、似たような書式が2つあることに気づき、事務へ確かめると、私が昨日まで下書きしていた書式は古いものだということが判明。新しい書式に書き直し、夕刻になってようやく提出。その他、メール、電話の多い日であった。業務終了の蛍の光を流したのが7時半頃。あとは来週だ来週だ来週だ。

 それから「食い逃げ」予告をしていた宴会に顔を出し、途中で抜けられないまま片づけが始まるまで座っていたが、あまりにも疲労激しく片づけもそこそこに帰途につく。乗り継ぎが悪く、11時前にようやく帰宅。胃がシクシクする。

(12/21)
 けっこうな雨が降る一日。だらだらと過ごす。入院している伯母さんへお見舞いの品を送ろうと買い物に出ることも考えたが、雨もひどく、からだもダルいので、ネット通販でお買い物。ゼリーと果物の缶詰を手配。ついでに、高級なトマトジュースをウチ用に手配。
 図書館で借りた本の返却期限を1冊だけ勘違いしていたため、日暮れ近くになって雨の中を返しにゆく。かなり寒い。

 夜は近所で宴会。同居人と合作で1品つくる。ほどほどお酒を飲んで、夜中に帰宅。

(12/22)
 雨はあがった。セイリ痛もあって、クスリをのみ、ウトウトしながらまた一日だらだらと。経験上、多忙につき過労気味のときにはセイリの周期がどんどん早くなるのだが(いちばんすごかったときには20日周期くらいになっていたことがある)、今月はむしろ遅くなった。
 ウトウトする合間に、姫野カオルコの『ひと呼んでミツコ』(講談社)を読む。姫野カオルコの『ブスのくせに!』を読んだら、Ka女子大の学生が、姫野デビュー作のこれを読んでみてくださいと教えてくれたのだ。図書館で借りて、チラッと見たらおもしろそうだったものの、忙しさのあまり返却期限ぎりぎりまで積ん読になっていた。
 ミツコの「ココロの叫び」が臨界点をこえたとき、虫垂炎の手術跡がギリギリぴしぴしとして、不思議な力を発揮する。その力によって歩き煙草をする奴に吸い殻が飛んできてびっちり張りついたり意志力で髪がのびたりするという結果現象もかなりおかしいが、それを引き起こすミツコの「ココロの叫び」は、時には穴を掘って叫びたくなるような内容で、共感できるところが多かった。

 洗濯もせず、外出もせず、ブックマークの編集そろそろ~と思いつつ、たらんこたらんこ過ごす。

鶏だんご鍋

 出勤時には傘がいるくらい雨が降っていた。暖かい雨かと思いきや、降ったりやんだり暗い一日で、しかもだんだん冷え込んで、今日は寒かった。
 ほとんどパズルのようなめんどくせー書類づくりを一日やると、ほとほと疲れた。しかもまだ全部仕上がっていない。明日は提出なので、気合いで乗りきるしかない。

 疲労感きわまり、外食にもココロ惹かれつつ、鍋が食べたいなあ、鶏だんご鍋にしようかなあと買い物して帰る。だしにと手羽元を放り込んで土鍋をかけて、長ネギ、白菜に生姜をぺらりと削いで投入。エノキ、しめじ、舞茸も入れて、鶏ミンチに葱と生姜を刻み入れてコネはじめたところで同居人が帰ってきた。久しぶりにカセットコンロも出して、鍋。薬味に葱とスダチを出して、鶏だんごをぽとぽと落として、ふーくふーくと火が通るのを待って、鍋だ鍋だ。手羽元からもいいスープが出て、シアワセである。

 手羽元は明日以降のために別鍋にとって、スープで雑炊。あーうまい。

 それにしてもこのところ胃がシクシクするのには参る。これだけヨレヨレなのに風邪の気配がないのは有り難いことだが、胃のシクシクはつらい。土曜はでろーんと寝たい。

寝酒

 朝、届いていたメールの添付書類をプリントして、通勤のモノレール内で赤入れ。調査票の入稿が午前中なので、最後の打ち合わせにいつもより早出。打ち合わせをしていたら、事務から電話が入って、ボスが夏(!)に締切だった提出書類を放置していたことが発覚。「なるべく早く」と言われ、今週の残りの日にさらに泣きが入る。
 印刷屋に原稿を引き渡して、やっと昼ご飯。その後、調査の打ち合わせ、修論の相談2件を聞いていたら、日が暮れた。今週末が締切の書類作成の支度を最低限やってから、帰宅。同居人が先に帰っていた。

 12月号の「ブリコラージュ」が届いていた。特集は「べてるの家に介護が学ぶこと(川村敏明×三好春樹)」。同居人は夜介護にゆき、私は1週間熟成カレーの残りで晩ご飯。

 寝酒に梅酒お湯割り。風呂でちょろっと内田樹の『女は何を欲望するか?』(径書房、2002年)を読む。スルメ本だなあ。

忙しすぎる

(12/15)日
 土曜の夜は、晩飯づくりをパスして、近所の焼鳥屋へ繰り出した。同居人の”病室友達”のK君も一緒。私があまりにもヨレヨレなので、うちの近所まで出てきてもらったのだ。さっと食って帰るつもりが、20年来の客だという常連さんとマスターと話がはずんで、結局午前様で帰宅。日曜は昼前まで寝て、多少は疲れがとれた気になる。土曜よりはマシ。書類づくりなどをたらたらと続ける。よい天気だったが、結局外出もせず、書類づくりを続ける。晩ご飯は豚キムチ炒め。

(12/16)月
 Ka女子大への出稼ぎ日。天気わるし。午前中に泥縄で授業準備。昼過ぎに出る前からシクシクお腹が痛くなってきた。シクシクはそのまま女子大へついてもおさまらず、授業プリントを刷ったあとに15分余り保健室で横にならせてもらった。疲れすぎだなあ、と自分で思う。横になったらいったん痛みはおさまったものの、起きたらまたシクシクするので、授業は早めに切り上げさせてもらって帰る。このところ断続的に胃がシクシク痛いので参る。
 晩ご飯は1週間熟成のカレーにマッシュルームとカレー粉を投入してリメイク。調子はよくないが、火曜に出す書類があるので夜中すぎまで作業を続ける。

(12/17)火
 朝、雨はあがる。書類提出のあと、5限の臨時授業の支度を泥縄で。プリントを刷って、ビデオをチェックして、それから明日入稿の調査票づくりをチェック。ばたばたしたままバスに乗ってキャンパスを移動し、授業前の20分ほどでノートをさらって、授業。
 終わって帰ってから、調査票づくりの続きをチェックして、メールでコメント。Sさんの修論草稿を多少読んで、同居人からの電話で晩ご飯を食べに出る。寿司屋へ行こうと思ったら休みで、うどん屋にしようと思ったら休みで、結局ラーメン屋へゆく。お腹がどうもシクシクする。
 少しのんびり風呂につかる。寝酒でもやらないと、なんだか休まらない。同居人が入院していたときのようだ。忙しすぎるのが今の一番の問題。

へなへな

 よーれよれである。疲労疲労疲労というかんじである。誰かとチェンジできないか当たってみたが、うまくいかず、今朝はギリギリまで寝て、介護にゆく。自分のカラダがへなへなしているのを感じる。ふわふわ歩いている感じである。アタマのほうまでブドウ糖がまわっていないような、ふーらふらよーれよれで駅についたら、乗るつもりの電車を逃してしまった。介護先の最寄り駅からのバスは1時間に1本、次の電車でそれに乗れるか。

 電車から降りて、階段をかけ降りて、エスカレーターをかけ降りて、ダッシュでそのバスに乗れた。座席についたら、でろんとしてしまう。皿洗いをして、昼ご飯の支度をして、また皿洗いをして、ゴミを捨てて、あまりにもよれよれなのでいつもより早めに帰らせてもらう。帰り道に返却期限のきている本を図書館へ寄って返し、数冊借りて、図書館の机で「We」のゲラのチェックをようやくやって(数日持ち歩いていた)、駅前の薬局で「タウリン1000mg」のドリンク剤をぐびぐびやって帰宅。

 つーかーれーたー。人間には休息が必要だ、としみじみ思う。

お持ち帰り

(12/12)
 すーげー忙しくて、同居人より帰宅が遅くなり、駅から電話、そのままK飯店で晩ご飯。よれよれ。同居人の東京出張(のためのチョー早起き)にあわせ、一風呂浴びて寝る。冷え込みが厳しい。

(12/13)
 同居人は日帰りで東京出張。空港まで徒歩10分というわが家であるが、新幹線のチケットを配給されての出張、しかも渋谷に10時とかで、6:00の新幹線に乗るため、4:00起き。外がまだ暗い!つきあって一度起きて、小腹を満たし、送り出してからまた寝た。

 やっと週末と思うものの、週明けの授業の支度もまーったくできておらず、週明けに出さなければならない書類もメモ程度しかできておらず、お持ち帰り。
 朝から「職場でなければできない仕事」を中心に順番に片づける。ときどき休息を入れつつも、日が暮れてよれよれになっていく。職場を出たのが9:00である。お持ち帰りの紙袋が重い。

 帰りのモノレールで、佐野眞一の『私の体験的ノンフィクション術』(集英社新書、2001年)を読み終える。この本のあちこちで、佐野は自分の作品をあれこれと引用していて、その引用されたものはほぼ読んでいたこともあり、半ばは「読みなおした」ような気分になる本だった。佐野眞一は、宮本常一のようになりたいのだなあと思う。「歩く調査術、みる記録法」の章ではじまり、「現代の民俗学をめざして」の章で終わるこの本の構成からしても、その佐野の気持ちがにじみでている。
 次は久々に『旅する巨人』を読もうかなあ。

無かった頃に戻る

 このところ仕事上関わらざるをえないところから、あまりにもムカつくメールがくるので、本当に不愉快である。よくもここまで人の神経を逆撫でするような文章を書けるものだとあきれるほどである。正論ではあろうが、言う相手を間違えているとしか思えない。もうちょっとで「売り言葉に買い言葉」になりそうなところ、それでは同じ穴の狢だから、堪えている。仕事って本当にいやだなあと思うのはこんなときだ。いやだいやだいやだと思っているせいでシクシクするのだろうか。

 昨日取り替えた「ファックス電話」、当然あるものだと思っていたら、なんと「留守番電話機能」が無い。そのことに一晩経って気づいた。まあ無くても困らないし(多少不便かもしれないが)いいかーと思いつつ、使い始めたものは使わなかった頃には戻りづらいというのはこのことかも、などと考える。
 学生の頃、風呂なしのアパートに住んでいた(1日おきにたつ共同風呂はあった)。あの頃は、その条件のなかで工夫して暮らしていた。いま、風呂無しのところに住むのはやはり難しいかもしれない。

 「無い」なら、無いで慣れていくだろうなあと、とりあえず電話に関しては思う。同居人も私も、携帯電話だって無くてすんでいるのだから。

 通勤の供は『私の体験的ノンフィクション術』で、なかなかおもしろい。しかし疲れのあまりか、帰りのモノレールではうとうとして、もう少しで乗り過ごすところだった。

 同居人は夜介護。私は水餃子+キムチうどん。ここしばらく寝付きがわるいので、今日は寝酒にワインを飲んでいる。

冷え込む日々シクシク

 月、火と授業。火曜は臨時で今週と来週のみ。Ka女子大の授業でもじゅうぶん人数が多いと思っているのに、今日の授業はさらに倍くらいの人数の授業なのだった。季節柄、座っている学生さんたちは冷えるだろうに、しゃべっているこっちは汗までかく。前期のK女子大くらいの人数(40人弱)であれば、もう少し顔も見えて、あれこれとやりとりしながら授業もつくれるだろうに、これだけ人数が多いと、なんというか壁に向かってしゃべっているような感じもあって、疲れる。

 昨日はKa女子大へ向かうあいだ、なぜかシクシクとお腹が痛く、(おさまらないなら今日は勘弁してもらって帰ろうかなあ)と思ったが、授業のプリントを刷って、1時間ほどしゃべっている間は大丈夫だった(少し早めに終わらせてもらったが)。今日も夜になって、シクシクとお腹が痛い。疲れているのだろうか。いただきものの美味しいおいしい瀬戸田の蜜柑を毎日たくさん食べて、ドーピングもしているのだけれど。

 Ka女子大の帰りに『庶民の発見』を読み終える。今日からは宮本常一つながりで佐野眞一の『私の体験的ノンフィクション術』(集英社新書)を読みかける。佐野眞一の書くノンフィクションはどれも好みで、とくに宮本常一と渋沢敬三を描いた『旅する巨人』は、『全国アホバカ分布考』と並ぶ「なんども読む本」として、図書館で借りて読んだあとで欲しくて買った。舞台裏を語るような話や「本」についてのいくつかの本は、佐野の頑なな面が見えて、ああこういう人でもあるのだなあと思う。この新書は、宮本常一の『忘れられた日本人』を中学生の頃に読んだ佐野が、それが自分の今ある姿へと方向づけたのかもしれない、と思って書いた本のようである。宮本のどこにひかれたのか、宮本に学んだものは何だったのか、そういうあたりから書き起こされている。

 結局通販で求めた新しい「ファックス電話」が届き、ようやく電話の雑音から解放された。
 土日の雨のあと、強い冷え込み。昨日は東京都心でも積雪があったという。
 
 
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乱読ぴょん

Author:乱読ぴょん
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本ネタのミニコミ誌『ブックマーク』を編集発行しています(1990年9月創刊~ 昔は隔月発行でしたが、今は年2回発行で、現在87号)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2014年4月(313号)より「本の道草」を連載中(現在、第41回)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2004年3月(192号)より2014年3月(312号)まで、本ネタ「頭のフタを開けたりしめたり」を連載(全119回、連載終了)。

『くらしと教育をつなぐWe』誌で、1999年4月(71号)より2014年2月(188号)まで、本ネタ「乱読大魔王日記」を連載(全118回、連載終了)。

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