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読んだり、書いたり、編んだり 

スッポン鍋(I)

 昼まで寝る。朝ご飯のような昼ご飯を食べて、コーヒー一服してから、芦屋市立美術博物館へ「モダニズムを生きる女性 阪神間の化粧文化」を見物にでかける。先週、逸翁美術館でポスターを見かけ、それで行こうという話になっていたもの。
 初めて降りる阪神芦屋駅から、だいたいの見当をつけた方角へ歩く。住宅街のなかに、この美術館と図書館と谷崎潤一郎記念館とが並んでいる。美術館が建ったのは、バブルぶりぶりだった頃(1990年)に建ったものらしく、奇天烈なデザインと色使いの建物である。やや悪趣味に近い気もする。

 企画展はかなりおもしろかった。
▽明治36年に神戸花隈において設立された中山太陽堂(現、株式会社クラブコスメチックス)は化粧品雑貨を扱う一企業という枠を遙かに超越し、大正モダニズムを体現する文化の中心としてのイメージがあります。明治末年から戦前にかけての文化、特に女性の文化を考える上で、阪神間は欠くことのできない場所であり中山太陽堂はこの阪神間にあって華やかな活動を繰り広げた文化の結晶とも言える存在であったのです。
 「利益の社会的還元」を標榜する中山太陽堂社長・中山太一の視野は時代の先端を見つめ、リードしました。彼の、天才的な広報宣伝活動や出版事業に対する援助、中山文化研究所に見られる特異な活動など阪神間を中心とした知られざる側面を詳細に紹介します。華麗なパッケージデザインや、プラトン社の『女性』・『苦楽』などの出版物、幻のプラトン文具をはじめ、華やかな宣伝広告の全貌を一堂に展示します。(美術館のプレスリリースより)

 今でも使われている「双美人」のシンボルマーク(花を頂いた二人の美人が並んだ図)が大正の頃からもうパッケージに定着している。その石鹸やクリーム、白粉などのパッケージやポスターの原画は、今でも十分通用するような、当時としてはおそらく”最先端”だったろうと思われるものだった。

見舞い

(11/23)
 朝から介護。いつもより早めにあがらせてもらい、妹2号のところへ見舞いに行った。金曜の朝から急に具合が悪くなって、ずいぶん吐いたらしい。うちの鍋の残りのスープ状のものと、お湯を注げば飲める、葛湯やココアなどをとりあえず持参。妹2号はずいぶん弱々しかったが、金曜よりは体調はよくなったようで、安堵。持参したスープを鍋で一度温めて、葱と生姜を刻んで用意し、冷蔵庫が空に近いので一っ走り買い出しに。リンゴ、みかん、ミニトマト、ホットレモン、ヨーグルト、ゼリー、ミニサイズのカップ麺など、すぐ食べられそうなものを見つくろって買っていく。帰ってリンゴを剥いたら、食べられるようだったので、お茶など一緒に飲んで、しばらくしゃべって、帰宅。
 
 晩ご飯は久々にK飯店で食べた。夜は介護調整会議。私は夜中過ぎに帰り、同居人は朝まで徹マン。ものすごく眠い。

(11/22)
 仕事がすんでから、TKちゃんと落ち合って、晩ご飯を一緒に食べる。お互い借りていた本やCDを交換するため、TKちゃんちへ上がり込み、1時間半ほどうだうだしてから帰宅。『OL進化論』の最新刊を借り、ずいぶん前にTKちゃんに貸したものだという内田春菊の『南くんの恋人』を返却してもらった。同居人が夜介護で、静かな夜。

セイリ休暇

 セイリ休暇をとって休む。朝から痛み止めはのんだが、このぶんだと出勤しても「痛い」「眠い」で仕事にならないだろうと考えてのこと。さいわいにして木曜は(年内は)担当授業もない。
 授業準備に本を読みつつ、痛くなってきたら布団でごろごろして過ごす。午前中に『ラジオ体操の誕生』を読んでしまい、昨日図書室で借りてきた高橋秀実の『素晴らしきラジオ体操』(小学館)を読み始める。昼ご飯を食べたあと、3時頃まで本を読み、『素晴らしきラジオ体操』も読み終える。この本を読んでいると、ちょっとラジオ体操をやってみたくなって、途中で2度ほどラジオ体操第一をやってみる。こころなしかスッキリ。
 それからちょっとだけと思い、昼寝すると、気づいたときには真っ暗だった。日が暮れるのが早くなった。昼寝のおかげでさっぱりして、自転車で一っ走り買い物に出かける。
 
 今日は休むかもと言っていたせいか、同居人が駅から「なにか買って帰るものは?」と電話をかけてきた。ありがたや。晩はトリ手羽元を煮込んだ鍋。スープがじつにうまくなっていた。
 ラジオ体操本も読んでしまったので、これも昨日借りてきた有山輝雄・津金澤聰廣編の『現代メディアを学ぶ人のために』(世界思想社)を少し読む。

 メディアは、時間と空間と両方の軸で捉えなければならんという話、そうやなあと思う。

▽われわれは、メディアの役割を、空間的に離れた人間や社会のあいだの仲介と考えがちである。たしかに、メディアは、空間を超ええたコミュニケーションを成立させる。しかし、メディアは空間を超えるだけではなく、時間をも超え、過去の人間や社会とのコミュニケーションをも成立させる。たとえば、漱石全集という書籍は、すでにこの世にない夏目漱石の世界とわれわれを仲立ちするメディアである。メディアの役割は、つねに空間と時間の二つの軸でとらえなければならないのである。(有山輝雄「歴史のなかの現代メディア」、3ページ)

親知らず

 月曜に左の奥歯(親知らず)が部分的に欠け、歯ぐきもビミョウに腫れてきたので、今日は帰ってから歯医者へ行った。以前、Oさんに教えてもらったM歯科。広島で通っていた歯医者がかなりよかったこともあり、大阪へ戻ってから歯医者へ行かずにいた。が、一番奥の歯の付近が痛い(おまけに欠けたせいでうまく噛めない)とご飯もうまく食べられないので、(行こっ!)と思い、行った。歯医者へ行くのは、気持ちを奮い立たせて、という感じがする。

 受け付けも、診てくれた先生も感じがよく、ほっとした。私の奥の歯は「親知らずが外側向いて生えていて、どうしても磨き残してしまうところが虫歯になったんですね」ということだった。広島で通っていた歯医者でも「いずれ抜くことを考えたほうがいいでしょう」と言われていた親知らず、虫歯の治療をするにも、歯の生えている向きが向きなので器具が届かないし、下の歯ともうまく噛み合わせができない状態だから、抜くことをすすめますとのことで、次回抜いてもらうことにする。初めての抜歯だ。

 歯医者の帰りに、買い物。今晩は夜介護で同居人不在のため、水曜の定番になりつつある「鍋焼きうどん」「と「水餃子」。昨日の晩ご飯は、アドボwithジャガイモ炒め、ホウレンソウとニラの胡麻和えで、同居人がウマいーウマいーと騒ぎながら食べた。アドボの残りは明日の弁当のおかずに変身する予定。

 授業の資料にと柳田國男の『毎日の言葉』(新潮文庫)を買う。『ラジオ体操の歴史』は後もう少しで読み終わる。

女のヨクボウ(III)

 もうひとつ、学校の先生のなかでもとくに小学校の先生は、「各学年で習う漢字」が身体化されているのだろうかと思った。黒板に書いていく文章や言葉は、すでに習った漢字の部分のみが漢字で、あとはかな交じりである。先生を見ていると、どの漢字がすでに習ったもので(この学年を教えるのに書いてよいもので)どの漢字がそうでないかということは、もう身体がおぼえているかのようだった。

 3年生の理科の時間は「まめ電球にあかりをつけよう」というテーマだった。担任の先生はこのテーマを黒板に書き、すぐに「でんきゅう」と電球にルビをふった。ほかにも「でん池」「ぎん紙」といった具合で、こういうのは漢字かな交じりで書くよりも、いっそのことかなだけで書いたほうがいいのではと思った。

 この学校はいろいろと研究指定などを受けていて、助成金が十分あるらしく、パソコンやデジカメ、カラープリンターといったモノは潤沢に揃っているようだ。いったい誰がつくっているのか?と不思議に思ったのは、1年生の教室の廊下側の壁に綴ってあった、日直便り風の紙である。それは「落ち葉をデジカメで撮り、それにコドモのものらしき漢字かな交じりの作文が5行ほどついたもの」で、やはりこれは担任の先生がつくっているのだろうか?もしかして1年生でもこれくらいのことはできるのか?と謎はふくらんだ。

 しかし国語の授業を見ていたかぎりでは、「先生が書いた見本の作文」を「書き写すことで、升目に文章を書く練習をする」ということもまだ十分にできない1年生のコドモに、「デジカメで写真をとって、そこに作文をつけ、このような形式でプリントする」ことはあまりにも困難だと思われた。・・・ということは毎日担任の先生がつくっているのだろうか?

 N小学校はずいぶん電脳化しているようで、それはそれでよろしい部分もあるのだろうけれど、学校の中をぶらぶらと見てまわったかぎりでは、(「なんでもかんでもデジカメでとってプリントする」式になっているなア、これで情報化というんかいな)と思えるのであった。 

女のヨクボウ(II)

 昨日、同居人にお題を出してもらったこともあり、来週の授業をにらみつつ黒田勇の『ラジオ体操の誕生』(青弓社、1999年)を読みつつ、出勤する。といっても、今日は職場へ出る前に、M市にあるN小学校の公開授業の見物にでかけた。ボスから学部生を連れてくるようにとお達しがあったからである。N小学校付近へは10年余り前に何度か出かけたことがあった。それ以来だから、ほんとうに久しぶりだ。
 かすかに見覚えのある駅で降りて、ぞろぞろぞろぞろと公開授業を見物にきた大勢の人にまじってN小学校へ向かう。なんともえらい数の人出だ。天気はよかったけれど、小学校の廊下をうろうろしながら授業を見ていると、すっかり冷えてしまった。

 公開授業は3時間目と4時間目について、各学年から代表クラスが選ばれているようであった(念入りに仕込まれているらしく、資料集も。公開授業をやってる教室は鈴なりといってよいくらいの人だかりで、ほとんど何をやっているのか見えない。もともとオープンなN小学校でもあり、私はさっさと公開授業の見物をやめて、「公開」とは銘打ってはいないフツーの授業のクラスをのぞくことにした。3時間目は3年生の理科の授業をのぞき、4時間目は1年生の国語の授業をのぞいた。
 たまにはのぞくことがあるといっても、やはり小学校の授業を見たり、教室の風景を見たり、コドモの様子を見たりするのは物珍しくておもしろい。

 今日いちばん印象に残ったのは、このN小学校ではコドモを「○○さん」「□□さん」とさん付けで呼ぶことであった。男女問わず、学年も問わず(おそらく)、はいはいはいと手をあげる子どもを指名するにも「△△さん」である。私の記憶にある限り、私の通った小学校では、先生はコドモを姓の呼び捨てにしていた。中学でも高校でもほとんどの先生はそういう呼び方をしていたと思う。だから、N小学校で先生がコドモを呼ぶのを見ていて(ものすごく丁寧な学校)という印象が残った。

女のヨクボウ?(I)

 久しぶりに新しい単行本を買った。内田樹の『女は何を欲望するか?』(径書房、2002年)である。内田樹の本は『「おじさん」的思考』(晶文社)、『ためらいの倫理学』(冬弓舎)を図書館で借りて読み、新刊の『期間限定の思想』(晶文社)はリクエスト中である。この『女は何を欲望するか?』も図書館でと思っていたのだが、「内田樹の研究室」という内田のWebサイトでいくつか文章を読んだら、ネットの本屋をひらいて、ぽんぽんと注文してしまっていた。
 「フェミニズムに賛成で、反対」という内田説、これは読みたい。しかも「女は何を欲望するか?」ときた。いろいろ立て込んでいるので、入荷したこの本を持ち帰るかどうか迷った末に、やはり持ち帰って、「まえがき」と「あとがき」を読んだ。

 「まえがき」には、上野千鶴子が日本女性学会の「学会ニュース第89号(2002年2月)」に書いた文章の一部が引かれていた。以下の、「わたしはフェミニズムを~「抑圧者に似る」ことではない。」の箇所である。その、引用部分の前にある段落をもうひとつあわせて引いておきたい。

▽ 反撃の道が封じられているとき。わたしたちはどうしたらいいのだろう?問いは、ほんとうはここから始まるはずだ。同じだけの力をつけたらよい、という答は、相手と同じ土俵に乗ることを意味する。それができないからこそ、無力な者の思想がためされる。
 わたしはフェミニズムを、ずっと弱者の思想だと思ってきた。もしフェミニズムが、女も男なみに強者になれる、という思想のことだとしたら、そんなものに興味はない。弱者が弱者のままで、それでも尊重されることを求める思想が、フェミニズムだと、わたしは考えてきた。
 だから、フェミニズムは「やられたらやりかえせ」という道を採らない。相手から力づくでおしつけられるやりかたにノーを言おうとしている者たちが、同じようにちからづくで相手に自分の言い分をとおそうとすることは矛盾ではないだろうか。弱者の解放は、「抑圧者に似る」ことではない。 (「あげた手をおろす」:http://www.joseigakkai-jp.org/news89.htm)

最後のシチュー

 Ka女子大への出稼ぎ日。先週と違って、風邪も治り、すっきりはしていたが、授業の組み立てがなかなか決まらない。
 外へ出るとえらい風が強く、寒さを感じた。結局今日も先週の続きのようなことをする。おもしろかったと感想を書いてくる学生もいて、まあおもしろかったならよかったと思う。それにしても1コマ授業するとぐったり疲れてしまう。帰りの電車はちょうど退勤ラッシュの時間でほとんど座れないし、人が多くて、それもひどく疲れる。

 最後のリメイクで「洋風おでん」のその後のシチューに、粗挽き胡椒とマッシュルームをぶちこみ、今日もシチュー。力をふりしぼって、白菜、人参、ワカメ、大葉のサラダ付き。

 来週のKa女子大の授業なにしよう~どうしよう~と同居人に言うと、「知識の伝播とデジタルデバイド」というお題が出てきた。方言の話や蝸牛考、ラジオ体操やテレビ番組、現代における図書館の役割というキーワードも引っ張り出して、おもしろそうなので来週の授業はこれで仕込んでみようと思う。とりあえず参考文献をいくつかあげてみた。

 よれよれで眠くエイゴの予習が進まないので明日できることは明日!にすることにして、早寝・・・しよう。

茶の湯(II)

 三世代でお茶をいただきにきたというご家族と一緒に、入れ替えで茶室に入る。このご家族の若いお母さんが茶の湯に詳しいようで、N子の師匠とおぼしき「先生」と丁々発止で、茶碗がどうの茶杓がどうのと話している。ワレワレは正直なところ、なにをどうして、どこいらあたりが大変有り難いのかがいまひとつ分からない。そういうのは全然分からないが、お菓子もお茶も美味しかった。その「先生」がお菓子やお茶を出したり、引いたりし、N子はひたすら客の茶をたてていた。袱紗のとりまわしの手つきなど、手品のようである。お茶が出てきたあとは、珍しい茶碗だと、「みなさんに」と回覧する。膳所焼きの茶碗ともう一つがまわってきた。私がお茶をいただいた茶碗は、回覧するほど珍しいものではないらしいが、「箕面焼き」というものだった。

 「茶というのはぜいたくな遊びやなあ」というのが共通した感想であった。

 帰りに、冬肌着、腹巻きなど防寒用品と食料品を購入して帰宅。飲みメニューで、シウマイ、生春巻き、鰺のたたき・キムチ和えにビール。締めは三つ葉を散らした雑炊。

 ようやく『私らしい生きかたを求めて』(玉川大学出版部)を読み終える。なんだか章ごとにバラバラな印象が残ってしまう。

茶の湯(I)

 逸翁美術館で日曜に茶をたてているからとN子に誘われて、遅めの昼ご飯をすませてから出かける。天気良し。散歩にはぴったりである。電車で2駅乗って、そこから山に向かって歩いていく。小林一三の旧邸をそのまま展示室に使った美術館で、即庵という茶室でN子が朝から夕方まで茶をたてているのだという。

 まず展示室をみてまわる。「開館45周年記念 名品展」である。旧邸だけあって、かつての大谷美術館(ここは建て替えてからすっかり美術館らしくなった)や朝倉彫塑館のような風情である。
 「奥の細道画巻」の「旅立」の部分があった。月日は百代の過客にして行きかふ人もまた旅人なり~ のあれである。与謝蕪村の画。与謝蕪村は、俳人だっただけでなく、画描きでもあったのだ。このほかにも「牛若丸画賛」や「闇夜漁舟図」など、剽軽な画をみた。「コピーがあったら欲しい!」と同居人が言っていた「牛若丸画賛」は、絵はがきがあったので購入。

 展示室を見てまわったあとに茶室へ行ってみる。奥でN子が茶をたてている。満員だったので、外からしばらくのぞいて、庭を見物して、そのあと入れてもらった。美術館のパンフレットによると「即庵(そくあん)」とはこのように有り難い茶室だという。

▽伝統的な三畳台目の茶室で逸翁[小林一三の雅号]はその西と南側に敷瓦の土間をめぐらせ、椅子での喫茶もできる新方式を考案した。伝統と近代生活との見事な調和をはかった茶室として、昭和の名席の一つに挙げられている。扁額は翁の茶友畠山一清翁の書である。(財団法人逸翁美術館パンフレットより)

 館内にも「椅子でお茶をのめます」というような貼り紙があり、茶といえば畳の上で正座してと思っていた私は、(気軽に立ち寄れるようにということだろうか)と思ったのだが、これは一三さんの発案したモダンな茶室だったのだ。椅子に座ってということなら、正座の難しい同居人でも大丈夫である。

大阪夢の島

 朝から妹1号、2号とともに、ゴミ袋持参で父ちゃんちの片づけにゆく。晴れて、そう寒くもなく、散歩日和。父ちゃんちにワレワレが置いたままになっている「あれやこれや」を片づけようという趣旨。捨てるに捨てられずというモノもあるが、片づけもせずにとにかく置きっぱなしというモノも多い。そのため、父ちゃんちは現在1名居住のくせに、半分以上が物置になっているような状態だ。父ちゃんちで、昼ご飯をはさんで5時間ほど、妹たちと片づけと掃除にいそしむ。
 
 懐かしさがこみ上げるモノも出てくる。昔つくった細々した小物や、こんなモノを集めていたんやなあと今更ながら思い出す品々、こんな服着てたなあというあれこれ・・・。妹1号のモノがずいぶん多い。妹1号はとにかく「捨てる」つもりで来たという。妹2号が「なんでこんなにいっぱいためこんでんのよー」と言うと、妹1号は「ためてたんとちゃうって、集めてたんやもん」と言い返している。たしかにそうだった。

 母ちゃんに関するモノは別にして、ワレワレに関するモノは「捨てるモノ(圧倒的多数)」と「置いておくモノ、持って帰るモノ(ごく一部)」とに仕分けして、捨てるモノはゴミ袋へ入れていく。一部モッタイナイ病が出そうになるモノもあるが、誰かにもらってもらえそうなモノも多くはなく、どんどんゴミ袋ができていく。父ちゃんちの玄関へ積み上げていったゴミ袋は、燃えるモノと燃えないモノとあわせて20余り。
 父ちゃんに捨てさせるわけにもいかないから、じゃあウチから捨てるよと帰りに妹のクルマでウチへ運び込まれたゴミ袋は、もともと倉庫部屋になっていた6畳間を半分ほど埋め尽くして、大阪夢の島のようになってしまった。

 帰宅してから一度ドラッグストアへ買い物に出て、戻って休息。肉じゃが本の続きを読む。

 日が暮れて、東京からの客人SKさんと久しぶりの待ち合わせ。会うのはもう3年ぶりか。先週も行ったところだが、また地中海料理屋へくりだす。風邪気味だった先週よりも、料理がおいしく感じられる。SKさんにも「すっごく美味しかった」とほめられる。SKさんがウチのすぐ近くの宿をとったので、一緒に帰る。ちょっとだけのぞいてみたいとの仰せなので、大阪夢の島状態の我が家をお見せし、宿まで送って解散。帰ってから、肉じゃが本を読み終える。もうちょっとフツウの文章ならいいのにと思う。

生きる歓び

 午後の授業で、気合い入れて本を読んだら、昨日のようにへとへとになってしまった。帰りのモノレールで橋本治の『生きる歓び』(角川文庫)を読み終える。橋本治は、この短編にまとめたようなふつうの人たちの物語を百は書きたいと言ってるようだ。読んでみたいなあ。どの話も、余韻の残る読後感。

 今日もちょっと遅くなったので、再びのシチュー。さらにリメイクして、トマト缶とシメジをぶちこみ、昨日よりも爽やかなシチュー。「すきこんぶ」と白菜と人参の柚子風味サラダもつけて、昨日よりはゴーカ!

 ずっと電話の雑音がひどかったので、ターミナルアダプタや長い線のせいかと、それらの電話関係のケーブルをいちど全部抜いて、ターミナルアダプタを移動し、短い線にかえて繋ぎなおしてみた。すると、なにか大ぼけなことをしたようで、電話から通話中音のプープーが聞こえるのである。どういうことやあ?と同居人とともに、この線?ちゃんと差し込んでる?差し込み先はあってる?と確認していくが、それでもプープープー。

 もういちど、線と差し込み口としっかり差し込まれているかを見つつ、線をいくつか確認すると、4芯の線を使うべきところが2芯になっているのを1箇所発見。それを繋ぎかえてもプープープー。別の線を繋ぎかえてもプープープー。ケーブルは何だかたくさんあるので、同じよなあと言いつつも、あれこれ入れ替えてみる。しかしプープープー。

 ええかげんいやになってきたところで、もう一度ターミナルアダプタの説明書を見つつ、スイッチを一ついじってみた。すると!電話は生き返った。早速、雑音調べも兼ねて妹に電話。どういうこっちゃ、 じぃぃぃぃぃぃぃぃぃ という雑音はほとんど変わらない。妹にも「どう?」と聞いてみるが、ターミナルアダプタの移設やケーブルの取り替えは全然関係なかったようだ。この雑音、なんの問題?

 電話だけでなく、インターネットも落ちてしまって、同居人が設定ファイルをずっとにらんでいたが、フト復旧した。何だったのかは同居人にも分からないらしい。まあつながったからいいけれど。
 
 
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乱読ぴょん

Author:乱読ぴょん
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本ネタのミニコミ誌『ブックマーク』を編集発行しています(1990年9月創刊~ 昔は隔月発行でしたが、今は年2回発行で、現在92号)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2014年4月(313号)より「本の道草」を連載中(現在、第69回)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2004年3月(192号)より2014年3月(312号)まで、本ネタ「頭のフタを開けたりしめたり」を連載(全119回、連載終了)。

『くらしと教育をつなぐWe』誌で、1999年4月(71号)より2014年2月(188号)まで、本ネタ「乱読大魔王日記」を連載(全118回、連載終了)。

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