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「トンボ釣りの好きな少年」の話(II)

▽うちの子供なんかも労働がすきで、病気だから休んでいろといっても無理にトンボをとりにでかける。目的をたてて、自然法則を応用するのが面白いのだね。むつかしいことほどおもしろいらしい。これによって彼は人間になってゆく、とおもってみているのだが、そのトンボつりのすきな子供を労働ぎらいにする妙法は一つある。トンボをつってこいということだ。経済学的に整理すると、生産物が他人のものになる、これとむすびついて、目的の定立と労働過程の統制が他人のものになる。この条件がそろうと労働がきらいになる。消費だけが自分の生活になってくる。労働のよろこびの喪失を、分業や機械のところで考えるまえにここのところで考えなければならない。[No.90] (「著作目録」の33ページ;『内田義彦著作集 第一〇巻』岩波書店、1989年)

 このNo.90というのは 1958年10月1日の「日本人」というタイトルの座談会で、 民話の会編集の『民話』に掲載されたものらしい。

 帰りは、父ちゃんちへスーツケースを返しにいき(ドミニカ出張のときに借りたやつだから、2年近く借りたままだった)、そのあと図書館本館へ寄り、買い物して、帰宅。晩は豚キムチと胡瓜・わかめ・人参のサラダにビールとご飯という、まだ夏の食卓。
 今日から長袖を着てみたが、昼は少々暑かった。しかし朝晩はすっかり肌寒い。夜のおやつは二十世紀梨。ああジューシィ。
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「トンボ釣りの好きな少年」の話(I)

 藤原書店から出ている内田義彦セレクションには、各巻のはじめに「発刊に寄せて」という短文があり、その冒頭はこう書かれている。

▽内田義彦の作品のなかに「トンボ釣りの好きな少年」の話がある。三度の飯よりトンボを釣るのが好きで嬉々としてトンボを釣ってくる。だがしかし、彼にトンボ釣りをやめさせるのは簡単だ。それはただ一つ、「トンボを釣って来い」と毎日毎日、命令すること。「やれ」と命令されると、本来的に楽しみとしていたことであっても、とたんに苦痛以外の何ものでもなくなってしまう。(セレクション1『生きること 学ぶこと』2000年、1ページ)

 前々からこの「トンボ釣りの好きな少年」の話が気になっていた。こういう選集ものの常で、巻末には「初出一覧」がある。しかし、この「発刊に寄せて」で触れられている「トンボ釣りの好きな少年」の話のことは載っていない。
 「作品のなかに「トンボ釣りの好きな少年」の話がある」という記述からして、そういうタイトルの作品があるのかと思い、まずは手元にあった内田義彦の『形の発見』(遺稿集といえるもの、藤原書店、1992年)の巻末の著作リストをあらってみた。「トンボ」という文字さえ出てこない。このあたりで当然「トンボ 内田義彦」などと打ってネット検索もかけてみた。このセレクションの「発刊に寄せて」に言及したもののほかは出てこない。
 こうなるとやはり著作集か。今日は帰りに図書館本巻へ寄り、書庫へ入って『内田義彦著作集』をいくつか当たってみた。おそらくエッセイ風のものだろうと、めぼしをつけておいた1巻、6巻、9巻の目次を見てみるが、見当たらない。著作集さいごの10巻を開いてみると、かなり詳細かつ膨大な「著作目録」が巻末にあり、とりあえずこれだ!と借りて帰る。

 この著作集の「著作目録」には「備考」欄があり、「著者の思想と学問の理解に資するよう、執筆の背景や意図を示す文章、個人史にかかわる記述を抜萃した」ものだという。「表題」のほうを順に見ていくのだが、やはり「トンボ」云々というタイトルのものはないようだ。きょろきょろと「備考」に目を落としていると、あった!これだ、きっとこれだ。

月見・肌寒い朝(II)

 図書館で借りた本ももう返さないといけない。種村季弘の『迷信博覧会』(平凡社、1987年)を途中まで読んだが、読み終わらずに返すことになりそう。福田和也の『魂の昭和史』(小学館文庫、2002年)も借りて途中まで読んでみたが、あまり乗らない。語り口調で書いてあるので、それが鬱陶しくなければ読めるのかもしれない。

 そろそろ頼まれ原稿を書こうと、また玄田有史の『仕事のなかの曖昧な不安』(中央公論新社、2001年)をぱらぱら読む。

* * *

 返却本からの書き抜き。
 鶴見俊輔『家の中の広場』(編集工房ノア、1982年)の「思想不信の思想」より

▽・・・「日本の村」という本で、なくなった農学者守田志郎が調査にもとづいて書いていたことですが、日本の村には、ちがう考え方をもつだれかを完全にほろぼしてしまうという流儀がないそうです。その特色を、明治以後の日本は、欧米をまねて近代化しようとする努力の中で失ってきました。ある思想の持ち主が、中央政府の方針とちがうから「非国民」だとして肉体的に排除してしまうとか。このごろではある思想が「科学的」社会主義とはちがうからその思想の持ち主をセンメツするとかいうのは、欧米文明の流儀に近いものと言えますが、そういう近代化には歯どめをかけたいものですし、近所のつきあいの中には、他人の政治思想などをかっこにいれて、おたがいのくらしに必要なところで助けあうという、近代以前からもちこされた政治思想があるような気がします。
 近所のつきあいのなかにある、いわば思想不信の形をとる思想が大切だ。台所から政治を見ていて、そんなことに心がむかいます。(138ページ)

月見・肌寒い朝(I)

 さむっ、というような朝である。
 大阪の6時の気温は16度と出ている。そらさむいわな。
 シワシワのワイシャツに朝からテキトーにアイロンをかけて同居人はご出勤。しかしスーツの後ろ姿にはシワがよってヨレている・・・。

 土曜の夜は近所でパーティー。同居人はその前の介護調整とその後の徹マンを経て、日曜の朝帰り。私はパーティーがはねてから帰宅して風呂に入って、またちょっと編み物をして、2時頃就寝。

(9/22)
 日曜もとにかく眠い。起きてはまた布団でうだうだする。昼には同居人の里から送られてきたばかりの新米でおにぎりをつくって食べた。徹マン明けの同居人は寝たり起きたり。私は同居人の里からのありがたき新米を妹宅へも配達。妹のところは1カ月ぶりに行ったら、犬が2匹に増えていた。しばらくしゃべってコーヒーを飲んでから、妹と一緒に近所へ買い物に出る。輪針をようやく買い、食料を多少買ってから、帰宅。
 
 同居人と隣駅へ。近所の友といつもの地中海料理屋へゆく。他の3人がビールを飲むというので、ここで初めてビールを飲んだ(いつもはサングリアにワイン)。いつもながら不満ののこらない店。うまかった。その後、散歩がてら歩いて帰る。月がきれいで、明るい。流れていく雲がかかってもまったく遮られないくらい明るい月。明かりの多くなかった昔、月を見上げた気持ちが分かる気がする。その後、ぷらぷらとコンビニ5軒をはしごして帰還。
 風呂に入って、少し本を眺めるも、ものすごい眠気で寝てしまう。

(9/23)
 天気がいまひとつだという予報だったこの連休、しかしなかなかの好天。爽やかな秋の空。シーツを洗濯して、まな板を磨く。薄汚れて「買い換えたい」と同居人が主張していたが、磨くとずいぶんキレイになった。
 家にいると編み物ばかりしてしまうので、昼にカップラ食べたあと、散歩に出る。近々自転車を買おうと思い、途中で自転車屋を2軒のぞく。隣駅まで出て、商店街をぶらついて少し買い物して、電車で帰る。
 晩ご飯はグリーンカレー、ゴーヤサラダ。食後また編み物。毛糸のパンツ第2作もそろそろできあがりそうだ。
 
 
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乱読ぴょん

Author:乱読ぴょん
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本ネタのミニコミ誌『ブックマーク』を編集発行しています(1990年9月創刊~ 昔は隔月発行でしたが、今は年2回発行で、現在91号)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2014年4月(313号)より「本の道草」を連載中(現在、第65回)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2004年3月(192号)より2014年3月(312号)まで、本ネタ「頭のフタを開けたりしめたり」を連載(全119回、連載終了)。

『くらしと教育をつなぐWe』誌で、1999年4月(71号)より2014年2月(188号)まで、本ネタ「乱読大魔王日記」を連載(全118回、連載終了)。

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