読んだり、書いたり、編んだり 

9月に読んだ本:

9月に読んだ(読み終わった)本のリスト:
○福田恆存『私の幸福論』ちくま文庫
○原田宗典『買った買った買った』新潮文庫
○種村季弘『人生居候日記』筑摩書房
○高橋惠子、波多野誼余夫『生涯発達の心理学』岩波新書
○永六輔『職人』岩波新書
○種村季弘『東京迷宮考 種村季弘対談集』青土社
○鶴見俊輔『家の中の広場』編集工房ノア
○赤尾勝己『生涯学習の社会学』玉川大学出版部
○清水義範、西原理恵子(え)『どうころんでも社会科』講談社文庫
○森茉莉『ベスト・オブ・ドッキリチャンネル』ちくま文庫
○村中李衣、つだかつみ(イラスト)『そっちへ行ったらあぶないにほんご』草土文化
○江國香織『すいかの匂い』新潮社
○原田宗典『むむむの日々』集英社文庫
○原田宗典『スバラ式世界』集英社文庫
○原田宗典『吾輩ハ苦手デアル』新潮文庫
○中島らも『僕に踏まれた町と僕が踏まれた町[増補版]』朝日文芸文庫
○ナンシー関『何が何だか』世界文化社
○東京大学工学部建築学科 安藤忠雄研究室=編『建築家たちの20代』TOTO出版
○クラフト・エヴィング商會、坂本真典(写真)『じつは、わたくしこういうものです』平凡社
○原田宗典『優しくって、少しばか』集英社文庫
○内田義彦『生きること 学ぶこと』藤原書店
○内田樹『「おじさん」的思考』晶文社
○秋月りす『OL進化論』講談社 ????
○中山治『「生き方探し」の勉強法』ちくま新書

生き方探し???(III)

 授業は80人くらいとっているらしい。教務の教室変更が十分伝わっていなかったらしく、(登録しても全部は出てこないんやなー)と思っていたら、はじまって15分くらいしてから30人余りの学生がどやどやと入ってきたので驚いた。やはり70何人かは授業を受けるらしい。前期のK女子大とはまた違う雰囲気を感じる。目に見えるところでいうと、「髪の茶色さが上」。字を書くのは前期のK女子大のほうが慣れているようだ(教師志望のコースだったからか?)。それにしても初回だからということもあろうが、真面目に出てくるものである。登録しているという学生の9割方が出席していたようだ。しかも、買うようにと言ったわけでもない「参考書」を3冊とも買って、それを全部持ってくる学生が2割くらいいた。私のほうが驚いた。 

 Ka女子大は、前期のK女子大よりは少しマシだが、それでも遠い。今回は電車通勤になるので本はがっつり読めるけれど、もう涼しいのに車内は妙に冷房がきいていて、行きも帰りも寒かった。
 やはり遠い。授業がすんで、まっすぐ帰っても7時過ぎである。帰りの鞄は紙が増えて、鉛のように重かった。へとへとで、とりあえず転がって同居人が帰宅するのを待ち、外へ食べに出た。ご飯は炊いておいたのだが、つくる気力がない。今日は豚カツ屋で、同居人はカツまー丼、私はチキン味噌カツ定食。食べると少し復活。

 夜のおやつはサンセーキ梨。梨だ、梨。

生き方探し???(II)

 ポリティカリィ・コレクトは直訳すると「政治的に正しい」という意味です。しかし、これでは何のことかよくわかりません。これは要するに、差別や偏見と受け取られるような言動を注意深く避けるということです。[中略]しかし、これもお互い様ではあるのですが、いくら異文化理解の勉強をしても、異国のある人種や民族の人々の文化や生活習慣にどうしてもなじめず違和感を感じてしまい、それが偏見と化してしまう、ということが避けられないのも事実です。
 こうした偏見や差別を表に出せば、異文化間のコミュニケーションも共生もできません、だから、差別や偏見はないのが理想なのですが、たとえそれがあっても、それをけっして表面に出さないよう注意深く振る舞う心構えが大切になってくるのです。これがポリティカリィ・コレクト(PC)です。[中略]
 ポリティカリィ・コレクトなんて偽善だと思う人もいるでしょう。差別や偏見があっても、そうと悟られないよう注意深く演技しましょう、ということだからです。しかし、たとえ偽善であっても摩擦や葛藤よりは、ずっと望ましいものです。異文化間の摩擦や葛藤は根が深いだけに、互いの共生のためにはポリティカリィ・コレクトは不可欠なのです。(211-212ページ)

 ・・・・・そういうのも「共生」っていうんやろか?この人の説明のしかたも悪いような気がするが。この人の言うとおりかもしれない。それでも、私はポリティカリィ・コレクトな人は厭である。

 Ka女子大への初登板。ああせえこうせえ(授業を3度欠席した学生は通報しろとか、熱意をこめて授業しろとか)というプリントを教務で山と渡され、ちょっとうんざり。シラバスに「参考書」として書いたつもりの本3冊(3冊しか書くスペースがなかった)を、なぜか3冊とも買い込んで、机に積んでいる学生がいたので、かなり驚く。大学出入りの本屋までその本を「献本 教科書指定ありがとうございました」などと書いた紙とともにメールボックスに突っ込んでいってるのだ。ここの大学の本屋はどうなっているのだろうか。くれるなら別の持ってない本のほうが・・・・・3冊ともすでに持っている本で、持って帰っても仕方がないので、そのまま図書館へ持っていって寄贈してきた。
  

生き方探し???(I)

 今日から後期の出稼ぎ。Ka女子大の非常勤である。天気はいまひとつ。午前中は、もしかしたら授業に使えるカモという下心付きでこないだ図書館で借りた中山治の『「生き方探し」の勉強法』(ちくま新書、2002年)を読んでみたが、これがつまらん。身内自慢・自分自慢で冒頭からエラそう臭がぷんぷんする上に、プレジデント流の歴史勉強をすすめてみたり、しまいにはポリティカリィ・コレクトを心がけよと説教するので、うーつまらんつまらんと思いながら、読んでしまった。ちくま新書はおもしろいものもあるけれど、なんだかなあと思う本も混じっているという印象がまた強まってしまった。

 途中の章では「社会科音痴」から抜け出せという説教。社会科は暗記ではないのだよと言う。これは理解する。歴史の勉強を娯楽にとどめるなというあたりで、はぁ?という気になっていると、とどめのように「歴史から戦略思考を学べ」とくる。この人には同じちくま新書で『戦略思考ができない日本人』というのもあるようなので、戦略思考はウリなのだろう。こんな具合だ。

▽では、われわれは歴史から何を学ぶべきでしょうか。歴史の奥の底からどんな知恵が引き出せるでしょうか。それはまず第一に戦略思考です。歴史を一瞥すればわかりますが、人間の歴史は戦争の歴史です。二十一世紀もテロ戦争が始まっています。戦争においてもっとも大事なのは戦略思考です。戦争や外交ばかりではありません。戦略思考はビジネスや研究開発から教育まであらゆる分野で求められています。(136-137ページ)

 まず「社会科」がいきなり「歴史」にとぶ。そしてスゴイ三段論法。戦国武将の名前まで出てきたりして、まるで雑誌「プレジデント」ある。「地理」は戦争では説明できんと思うがなー。このあたりを読んでいて私は(いや、あなた本よりもサイバラ画伯と清水ハカセの『どうころんでも社会科』のほうがオモシロイ!)とツッコミまくっていた。生きているっていうことは社会科なのだなあという清水ハカセのほうが、よほど的確だと思う。

 ポリティカリィ・コレクトのすすめはこんな具合である。
▽最後に、異文化間コミュニケーションばかりでなく、これからの時代の人間関係のあらゆる局面で、もっとも大事なソーシャル・スキルについてお話しします。それはポリティカリィ・コレクト(PC)ということです。

ドライブ・チヂミ(II)

(9/29)
 同居人が早く目が醒めたようで、朝から洗濯をしている。昨日は夕方には青空がみえてきたが、今日はまた曇り空のようだ。介護にゆく同居人を送り出し、『OL進化論』を17巻、15巻、14巻と読んで(16巻はTKちゃんちで見当たらなかったのだ)、軽く昼ご飯を食べ、続けて「嫁VS姑」の漫画雑誌を2冊読む。あおば出版というところが隔月で出している雑誌らしく、前にもTKちゃんちで読んだことがあった。「女の頂上決戦16 嫁VS姑 VOL.9 特集 姑のココが許せないっ!!」(さくら愛の物語7月31日号増刊、あおば出版)と「炎の18バトル 嫁VS姑 VOL.10 特集 絶対負けないための姑タイプ別攻略法!!」(さくら愛の物語9月30日号増刊、あおば出版)という600ページ近い雑誌である。

 介護から帰ってきた同居人と買い物に出て、お好み焼き屋の前を通って「お好み焼き食べたいなあ」から今晩はチヂミを焼くことにした。葱と韮と人参に豚を入れて、粉をといたタネにさっとくぐらせて焼く。タレは醤油と酢とレモン汁を1ずつ混ぜて、ゴマ油をたらたら。今日は貧弱な昼ご飯をお互いとったこともあり、うまい。かなり満足。うまーい。 

 チヂミとビールに満足し、食後はのんたらと図書館で借りた『ああ言えばこう嫁(×)行く』(集英社、2000年)を読む。檀ふみと阿川佐和子の往復エッセイである。これの前作『ああ言えばこう言う』も、図書館で借りて読んだ。ダンフミといえば連想ゲーム。映画「兎の目」で小谷先生役をやったのも見たおぼえがある。ダンフミの書いたものを初めて読んだのは、あれは高校生だった頃。学校の図書室でリクエストして買ってもらったと思う。

ドライブ・チヂミ(I)

(9/27)
 夕刻より一時的に激しい雨。病院通いのため欠勤した同居人と、晩ご飯はひさしぶりにK飯店へゆく。餃子、ニラレバ、酢豚、海老チリ、野菜炒め、K丼に生ビールをすこし。いつもながら甘酢あんがうまい。餃子もうまい。帰ってからまた書類づくり。マイクロソフトワードは勝手に「段落」をつくってみたり、「箇条書き」にしてみたり、ウルサイ機能が多すぎる。
 風呂に入って寝る。

(9/28)
 昼頃までタラタラすごす。昼に焼き飯を食べてから、TKちゃんちへ遊びにいく話がまとまり、ドライブがてらTKちゃんちへ向かう。いったんTKちゃんちへあがりこみ、買っていった「よもぎ大福」と「ヨーグルト」をおやつに食べて、一緒にクルマで買い物にでかけた。TKちゃんは冬支度のシャツを買って、同居人はベルトとワイシャツとネクタイと肌着を買って、さらに「クルマやし!」と最近毎朝アイロンがけをしている同居人がアイロン台を購入。TKちゃんも「クルマやし!」にそそのかされて、あっちこっちでスリスリした挙げ句、羽毛布団を買った!
 それから荷物と一緒にクルマでN子宅方面へ向かう。夕方には落ち合えるという話だったが、連絡のとれないまま、3人の空腹が勝って、定食屋へ入り、「地鶏の唐揚げと豚汁定食」を食べる。定食屋の隣の本屋をしばらくうろついていたら、N子からTKちゃんのケイタイに連絡が入り、それからN子宅へおしかける。
 先週お母さんとタイ旅行へでかけていたN子から本場のグリーンカレーペーストを土産にもらう。N子宅で茶をしばいて、うだうだしてから、ふたたびTKちゃんを羽毛布団ごと送る。羽毛布団の袋にもたれてウットリしているTKちゃんがルームミラーから見える。
 TKちゃんのノートパソコンの具合がいまひとつだというので、もう一度TKちゃんちへあがりこみ、同居人が拝診。私はその横でごろごろしながら、編み物の続きをする。帰りには、『OL進化論』と「嫁VS姑」という漫画雑誌を2冊借りて、夜道をドライブして帰る。
 今日も半日遊んでいたくせに、風呂上がりにTKちゃんとしばらくチャット。寝る前にさっそく借りてきた『OL進化論』18巻を読んでしまう。

ふつかよい(II)

 コーヒーを飲んで、スースーする喉飴をなめなめクルマで職場へ向かう。もう長袖がいい気温だ。午前中もなるべくお茶を飲み、コーヒーを飲み、なんとかエイゴの予習をする。昨日の夕方、H君が着くのを待つ間にちょろりと読んだ内田樹の文章に、自尊心のことを書いたものがあった。そこに「レスペクト」という言葉が何度か出てきた。予習していたself-esteemの本のなかに、respectという言葉がやはり出てきた。

 昼頃からようやく「アルコールが抜けた」のを実感し、午後は気合いを入れてめんどくさい書類作りをする。マイクロソフトワードが使いづらいのは、慣れないだけだろうか。どこにでも流通しているはずのもの、使えて当然でしょうという、ワードの背後に感じられる傲慢さが私は厭なのかもしれない。この書式で当然のようにメールの添付書類が送りつけられてくることがあまりに多く(こちらが指摘しなければ気づきさえしないらしい)、私はほんとうにうんざりする。雨がぽつぽつと降り出した。

 日が暮れてようやくキリがついたので、帰宅。疲労のあまりとりあえず横たわって内田樹の『「おじさん」的思考』(晶文社、2002年)の続きを読む。外に食べに出る元気もあまりなく、ご飯を炊いて、昨日土産にもらった崎陽軒のシウマイと、人参のゴマ和え、父ちゃんにもらったラッキョを出して、シウマイをうまいうまいと食ってしまった後は納豆をだして、これも土産にもらった韓国海苔で海苔巻きをした。ご飯を食べるとやや復活し、内田樹の『「おじさん」的思考』の続きをまた読む。
 ちょっと横になると言った同居人は大いびきをかきながらすっかり寝てしまって、私は『「おじさん」的思考』を読み終える。こんどはレヴィナスを読んでみようかしら。

▽「大人」というのは、「いろいろなことを知っていて、自分ひとりで、何でもできる」もののことではない。「自分がすでに知っていること、すでにできることには価値がなく、真に価値のあるものは外部から、他者から到来する」という「物語」を受け容れるもののことである。言い方を換えれば、「私は***ができる」とかたちで自己限定するのが「子ども」で、「私は***ができない」というかたちで自己限定するのが「大人」なのである。(224ページ)

 外部からやってくる、他者からやってくる、というのがいいなあ。

ふつかよい(I)

 昨晩は、同居人の元・元同僚であるH君が大阪へ出張でやってきたので一緒に飲んだ。ヒコーキが着くのを出迎えて、モノレールで移動。行くつもりにしていた飲み屋が満席で、他の店をまったく考えていなかったワレワレはしばし付近を徘徊し、どこかへ入ろう、その前にもう一度とのぞいてみると果たして空席ができていた。ようやく飲み物食い物にありついて、H君とあれこれ話に花が咲く。前に会ったのは同居人が入院する直前、安静を言い渡され松葉杖をついていた頃だ。その後の入院話、退院後のすんげえ大変だった話からウォシュレットや排泄の話、スーツの話、同居人の再・再就職先の話など。
 生ビールを飲んだあとに、H君につづいて久しぶりに日本酒をたのむ。なつかしの西条の酒・賀茂泉。うまかった。やはり西条の酒はうまい、また亀齢(キレイ)が飲みたいなあと思う。飲み助のH君につられて調子にのってその次は石川の黒帯をたのむ。店じまいのぎりぎり最後に出て、地下鉄に乗るH君を見送り、モノレールで帰宅。なんだかものすごく酔っぱらい気分で、ふーらふーらとして、帰ってしばらくしたらこてんと寝てしまった。

 今朝はまず「うおおおおお腹減った」で目が醒めた。昨晩は店じまいまで飲んでいて米を食っていない。そこで寝返りをうつと、ひじょうに頭がぐらつくのである。(これはふつかよいだ)と、ふらふらと起きて、わかしてあったどくだみ茶をぐびぐびと飲んで、また布団にもぐる。飲んだせいか、同居人のいびきは緩急をつけ起伏がありウルサイ。そんななか、ぐらんぐらんする頭でウトウト寝返りをうちながら、朝になる。

 起きると世界がまだぐーるぐーるしているような気分である。とりあえず弁当をつくって、朝ご飯をたべて、水分をつとめてとる。利尿作用を期待してコーヒーも多めに飲む。日本酒を2杯たのんだくらいで、こんなふつかよいとは経済的になったものである。頭痛がないのが救いだが、これでクルマを運転して出勤してもいいものかしらと思案するような「ふつかよい」状態だ。

貧乏性

 トンボ釣りの好きな少年の話の「もと」らしい座談会が載った古い雑誌『民話』を探して、図書館へ貸借を依頼した。届くのが楽しみである。

 帰りに市立図書館へ寄り、3冊を継続、7冊を新しく借りた。今日借りた本は:
 種村季弘『迷信博覧会』平凡社、1987年
 種村季弘『徘徊老人の夏』筑摩書房、1997年
 森茉莉『贅沢貧乏』新潮社、1963年(以上3冊を継続)
 内田樹『「おじさん」的思考』晶文社、2002年
 酒井順子『働く女に福来たる』角川書店、1996年
 中山治『「生き方探し」の勉強法』ちくま新書、2002年
 藤森照信『タンポポの綿毛』朝日新聞社、2000年 
 檀ふみ、阿川佐和子『ああ言えばこう嫁(×)行く』集英社、2000年
 田口ランディ『できればムカつかずに生きたい』晶文社、2000年
 リテレール編集部(編)『ことし読む本いち押しガイド2002』メタローグ、2001年

 積ん読だといいながら、毎回たいてい10冊という貸し出し限度枠いっぱいに本を借りて帰るのは、これは貧乏性かもしれぬ、と思う。しかし毎日眠い。

「トンボ釣りの好きな少年」の話(II)

▽うちの子供なんかも労働がすきで、病気だから休んでいろといっても無理にトンボをとりにでかける。目的をたてて、自然法則を応用するのが面白いのだね。むつかしいことほどおもしろいらしい。これによって彼は人間になってゆく、とおもってみているのだが、そのトンボつりのすきな子供を労働ぎらいにする妙法は一つある。トンボをつってこいということだ。経済学的に整理すると、生産物が他人のものになる、これとむすびついて、目的の定立と労働過程の統制が他人のものになる。この条件がそろうと労働がきらいになる。消費だけが自分の生活になってくる。労働のよろこびの喪失を、分業や機械のところで考えるまえにここのところで考えなければならない。[No.90] (「著作目録」の33ページ;『内田義彦著作集 第一〇巻』岩波書店、1989年)

 このNo.90というのは 1958年10月1日の「日本人」というタイトルの座談会で、 民話の会編集の『民話』に掲載されたものらしい。

 帰りは、父ちゃんちへスーツケースを返しにいき(ドミニカ出張のときに借りたやつだから、2年近く借りたままだった)、そのあと図書館本館へ寄り、買い物して、帰宅。晩は豚キムチと胡瓜・わかめ・人参のサラダにビールとご飯という、まだ夏の食卓。
 今日から長袖を着てみたが、昼は少々暑かった。しかし朝晩はすっかり肌寒い。夜のおやつは二十世紀梨。ああジューシィ。

「トンボ釣りの好きな少年」の話(I)

 藤原書店から出ている内田義彦セレクションには、各巻のはじめに「発刊に寄せて」という短文があり、その冒頭はこう書かれている。

▽内田義彦の作品のなかに「トンボ釣りの好きな少年」の話がある。三度の飯よりトンボを釣るのが好きで嬉々としてトンボを釣ってくる。だがしかし、彼にトンボ釣りをやめさせるのは簡単だ。それはただ一つ、「トンボを釣って来い」と毎日毎日、命令すること。「やれ」と命令されると、本来的に楽しみとしていたことであっても、とたんに苦痛以外の何ものでもなくなってしまう。(セレクション1『生きること 学ぶこと』2000年、1ページ)

 前々からこの「トンボ釣りの好きな少年」の話が気になっていた。こういう選集ものの常で、巻末には「初出一覧」がある。しかし、この「発刊に寄せて」で触れられている「トンボ釣りの好きな少年」の話のことは載っていない。
 「作品のなかに「トンボ釣りの好きな少年」の話がある」という記述からして、そういうタイトルの作品があるのかと思い、まずは手元にあった内田義彦の『形の発見』(遺稿集といえるもの、藤原書店、1992年)の巻末の著作リストをあらってみた。「トンボ」という文字さえ出てこない。このあたりで当然「トンボ 内田義彦」などと打ってネット検索もかけてみた。このセレクションの「発刊に寄せて」に言及したもののほかは出てこない。
 こうなるとやはり著作集か。今日は帰りに図書館本巻へ寄り、書庫へ入って『内田義彦著作集』をいくつか当たってみた。おそらくエッセイ風のものだろうと、めぼしをつけておいた1巻、6巻、9巻の目次を見てみるが、見当たらない。著作集さいごの10巻を開いてみると、かなり詳細かつ膨大な「著作目録」が巻末にあり、とりあえずこれだ!と借りて帰る。

 この著作集の「著作目録」には「備考」欄があり、「著者の思想と学問の理解に資するよう、執筆の背景や意図を示す文章、個人史にかかわる記述を抜萃した」ものだという。「表題」のほうを順に見ていくのだが、やはり「トンボ」云々というタイトルのものはないようだ。きょろきょろと「備考」に目を落としていると、あった!これだ、きっとこれだ。

月見・肌寒い朝(II)

 図書館で借りた本ももう返さないといけない。種村季弘の『迷信博覧会』(平凡社、1987年)を途中まで読んだが、読み終わらずに返すことになりそう。福田和也の『魂の昭和史』(小学館文庫、2002年)も借りて途中まで読んでみたが、あまり乗らない。語り口調で書いてあるので、それが鬱陶しくなければ読めるのかもしれない。

 そろそろ頼まれ原稿を書こうと、また玄田有史の『仕事のなかの曖昧な不安』(中央公論新社、2001年)をぱらぱら読む。

* * *

 返却本からの書き抜き。
 鶴見俊輔『家の中の広場』(編集工房ノア、1982年)の「思想不信の思想」より

▽・・・「日本の村」という本で、なくなった農学者守田志郎が調査にもとづいて書いていたことですが、日本の村には、ちがう考え方をもつだれかを完全にほろぼしてしまうという流儀がないそうです。その特色を、明治以後の日本は、欧米をまねて近代化しようとする努力の中で失ってきました。ある思想の持ち主が、中央政府の方針とちがうから「非国民」だとして肉体的に排除してしまうとか。このごろではある思想が「科学的」社会主義とはちがうからその思想の持ち主をセンメツするとかいうのは、欧米文明の流儀に近いものと言えますが、そういう近代化には歯どめをかけたいものですし、近所のつきあいの中には、他人の政治思想などをかっこにいれて、おたがいのくらしに必要なところで助けあうという、近代以前からもちこされた政治思想があるような気がします。
 近所のつきあいのなかにある、いわば思想不信の形をとる思想が大切だ。台所から政治を見ていて、そんなことに心がむかいます。(138ページ)
 
 
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乱読ぴょん

Author:乱読ぴょん
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本ネタのミニコミ誌『ブックマーク』を編集発行しています(1990年9月創刊~ 昔は隔月発行でしたが、今は年2回発行で、現在87号)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2014年4月(313号)より「本の道草」を連載中(現在、第39回)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2004年3月(192号)より2014年3月(312号)まで、本ネタ「頭のフタを開けたりしめたり」を連載(全119回、連載終了)。

『くらしと教育をつなぐWe』誌で、1999年4月(71号)より2014年2月(188号)まで、本ネタ「乱読大魔王日記」を連載(全118回、連載終了)。

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