読んだり、書いたり、編んだり 

着地の気温30度

 九州遠征の夏休みも終了。夕方のヒコーキで帰阪。夜の7時半、着地大阪の気温は「30度」だった。暑い。

 1冊だけリュックに入れていった本も行きの電車で1章だけ読んだあとは全く手をつけず、ぶらぶらと友人知人宅を泊まり歩いた夏休み。ああもう仕事に行きたくない。もっと休みたいよう。

 今回、九州内を陸路で移動して、自分のアタマの中の「九州の地図」がずいぶん歪んでいたことがわかった。ああ、九州はこういうかたちをしていたのか、と思った。

お風呂にする?ご飯にする?

 同居人が本日より短期のアルバイト。しかも夜の部。今日は昼間介護に入ってから夜の部なので、べり・はーどなご様子。で、私が代打シェフとして、買い物して帰って、洗濯して掃除して(トイレと風呂と久々に掃除してぴかぴか)、お風呂もわかして、あとちょちょいのちょいでできるところまで仕込みをしていた。ちょうどそこへご帰還。「お風呂にする?ご飯にする?」とウケ狙いで聞いてみたら、「ビールのんでいい?」とビールへ突進していくのだった。
 大暑だというだけあって暑い暑い一日をしめくくるに、熱をとるというゴーヤで、ゴーヤサラダとゴーヤチャンプルをつくった。ゴーヤサラダは、薄切りにしたゴーヤを軽く塩もみして、こないだ父ちゃんちからもらって帰った「玉ネギと人参のピクルス」を刻んだやつ、サラダ菜をむしったやつ、小さいトマトを4分割したやつ、と和えた。オリーブ油とレモン汁をたらたらっとかけて、クレイジーソルトをぱらっと振って、これがウマかった!(自画自賛)
 
 それでも足りないのか、あとで同居人は牛丼を食いにいくのだった。私は明日から九州の旅。地の利をいかして、早朝7時過ぎのヒコーキに乗ろうという計画なので、いつもよりかなりの早起きだ。本はもしかしたら読むかもしれないが、睡眠薬がわりにもなりそうなのを1冊だけ。本を持たなければ、荷物は軽い。

ホカホカ(III)

 今日は晩ご飯を食べながら、土曜に同居人が購入したライブビデオを見た。「THE BLUE HEARTS -LIVE VIDEO- EAST WAIST TOUR '91」というやつだ。ついタテ乗りで、頭をぶんぶんしながらタイ風焼きそばを食べてビールを飲む。サイバラの『できるかなリターンズ』(扶桑社、2000年)を読み、ミントの入浴剤をまぜた風呂で日焼けのホカホカをいやしつつ『まま子 実の子 河童ンち家』を読んでしまう。風間茂子のこの本、子供を育てる話についてはたいへんおもしろく読んだが、なにかというと「これは河童の遺伝だろう」とか「親譲りの好奇心や行動力はDNAに入り込んでいるようだ」という風な、行動までも遺伝やDNAで説明してしまう竹内久美子的な方向へ話がいくところが、私にはいまいちであった。「行動」は遺伝せんと思うがなあ。氏か育ちかといえば、「行動」は育ちなのではないのだろうかなあ。最後は「血液型人間学」までいってしまうのだ。そこんとこが、なんとも・・・

 梅雨明けし、ますます暴力的な暑さになってゆく。今晩は安眠したい。

ホカホカ(II)

 土曜もたいへん暑かった。このところ毎日「あつい」と口に出る。土曜は久々に父ちゃんちへ晩ご飯を食べにいくことにしていた。昼間は暑いので外へ出る気がせず、夕方までうちで過ごす。窓用エアコンをドライでつけても、なんだか温風が吹いているような気がする。私が『クニミツの政(まつり)』を次々読んでいる横で同居人が「千と千尋の神隠し」を見ている。コピーガードのせいか、画面が赤っぽくなるのだという。たしかに画面全体が夕焼けのようにもみえる。
 昼ご飯は、同居人生誕の日を記念して、ありあわせでカレー味の焼き飯をつくる。その後、私が見るということで、二度目の「千と千尋の神隠し」鑑賞会。・・・・不思議の国のアリス?
 夕方、父ちゃんちへクルマで向かう。途中ちょっと買い物をして、手土産にわらび餅を購入して、父ちゃんちへ到着したら、もう食べられるようになっていた。時に斬新な父ちゃんの今回のメニューは「もずくと納豆のテンプラ」であった。妹たちがしばらく前に訪れたときには「もずくと山芋のテンプラ」をしたらしい。もずくとにょろにょろしたものとを合わせて、揚げてあり、これがなかなかおいしくて、あっという間に食べてしまった。父ちゃんがつくった玉ネギと人参のピクルスもおいしかった。同居人はさらに、父ちゃんが前日つくったというカレーに挑戦。帰りに聞いたら「斬新やった」そうだ。本の注文などを受け、しばらくしゃべり、父ちゃんが買っていたパイナップル(生)とわらび餅を食べてから帰る。
 帰り道、1軒だけ古本やCDを扱う店へ寄って、私は本を2冊、同居人はマンガ数冊とブルーハーツのライブビデオを購入。財布係はこの日も同居人様である。
 帰宅してから、月例の介護調整へ同居人が出かけ、私もいただきもののメロンとわらび餅の残りを携えて、のぞきにいく。メロンとわらび餅を集まっていた数人で食べ、夜中頃までしゃべってから帰る。『まま子 実の子 河童ンち家』を途中まで読んで寝てしまう。
 

ホカホカ(I)

 昨日(日曜)は恒例の「障害者と一緒にプール遊び」の巻である。好天に恵まれ、さんさんとふりそそぐ陽差しを浴びて、なるべく水中にもぐっていたのだが、それでもホカホカに日焼けした。解散後は介護者で飲みにゆき、ずるずると酔っぱらい(同居人含む)の話につきあっていたら終電をのがし、タクで帰宅。飲んでいた場所がうちから徒歩圏の隣駅とあって、深夜のタクも千円かからず。
 帰ると、職場の学生が事故死したというニュースが入っていた。餌付けされたサル集団を観察に行ってた学生が、崖から落ちたのだという。夜中にネットの新聞で記事を読む。いずれも今日の朝刊記事になっていたようだ。出勤してみると、新聞で今朝初めて知ったという同僚も多かった。
 専攻が違うこともあり、私は面識のない学生だが、現役の学生だから、ついこないだ一緒に○○したというその友人もいる。亡くなった子が一人、もう一人重傷を負った子と、助けをよびにいった子と。のこった子たちは、どんなことを心に刻んで生きていくのだろう。

 先週末の金曜日は、シェフの財布に福の神がやってきたとかでまた外食だった。おまけに「発売日だったから」と言って、千と千尋の神隠しのDVDを買ってきていた(この映画、ウチでは「千と昌夫の金隠し」とよばれていた)。外食は、まわる寿司のリベンジで、駅前のふつうの寿司屋。シェフ生誕の日を前に、シェフのお財布で前夜祭として上にぎり!ウマー。上にぎりだと普段はきついが、並みのにぎりなら、まわる寿司とあまり変わらない値段で食べられることを確認し、「こんどからここにしよう」と思う。
 寿司屋の帰り道、またも太っ腹なシェフが本屋に寄って「たかるなら今!」とそそのかす。私も目をつけていた林真理子の『花』(中央公論新社、2002年)と、風間茂子の『まま子 実の子 河童ンち家』(文春文庫、2001年)を買ってもらう。シェフは「週刊マガジン」連載中のマンガ、『クニミツの政(まつり)』が単行本になったのを買い、紙袋に全部どさどさと入れてもらって帰った。

梅雨空(II)

 ブリコの7・8月号が届く。特集は「痴呆性老人が落ち着く条件」。不定期連載で「ドミニカの風-海を渡ったケアワーカー-」というのも始まるらしい。ドミニカのどこらあたりの話だろう。

 今日もまた雲の多い、梅雨らしい空。とはいうものの、昼過ぎまではぼんやり晴れていた。ところが、また2時半頃に、火曜日のような短時間の集中雨が降った。夕方、自主勉の読書会がすんで帰ろうとする頃、日暮れとは違う暗い空になってきて、帰り道ではまた雨が降った。
 一日中とにかく眠かった。1時に寝るのをやめないと、眠気はとれないだろうと分かっていながら、ついつい布団で『プロレタリア文学はものすごい』を読んでから寝ている。今日の晩ご飯は豚キムチ、そのあと焼き飯。冷や奴とビール付き。ごろごろしながら、『愛しの筋腫ちゃん』を読んでしまう。この新型文庫、版型はいいのだが、表紙カバーの趣味がいまいち。どぎつい帯が巻いてある、、、と思ったら、それは帯風に印刷してあるだけで、(この帯はずしたろ)と思っていたのが、とれないのだった(このニセ帯に著者の写真が入っているところが、また悪趣味)。横森理香が33歳(いまの私と同じ歳)で子宮筋腫と出会ってから、手術はイヤだとオルタナティブ医療に走りまわり、ニューエイジの方面へも走っていく(このへんは怪しさがあった--好きずきだろうが)。33歳からの6年間を書いている、というところにはひじょうに興味を引かれたが、『エステマニア』や『恋愛は少女マンガで教わった』のようなおもしろさはなかった。
 今晩は夜食にピオーネ。

梅雨空(I)

 2晩続けて、夜中にざんざん降りの雨、おまけに雷。
 昨日は、帰ると、またどこかで小遣い稼ぎしてきたシェフが「外食に行こう!」と言うので(晩ご飯の支度なんざなーんもできておらんかったので)食べに出た。焼き鳥?ラーメン?と言っていたが、結局まわる寿司。この回転寿司屋や、ネタもまあまあ良心的で贔屓にしていたのだが、昨日行ったら、ひどかった。なんと醤油の小皿が全廃されていたのだ。ひとしきりまわりを見渡して、カウンターの向こうの店員さんにたずねた「あのう、醤油の小皿は?」
 「なくなったんですよ」と言われた。経費節減てやつか?それにしても何が節減されるのだ?心なしか、ネタのイキもよろしくない風情。最初にここの回転寿司屋へ来た頃は、銘々の席に盆があり、そこに小皿と箸、紙のおてふきが並べられ、湯のみが伏せてあった。まず盆が消えたが、それ以外のものは数カ所に固めて積み上げられたり、箸立てにたてられるようになっただけで、消えたものはなかった。
 醤油の小皿が消えると、貧相にしか見えない。しかも最初の寿司の皿の、ワキのあたりに醤油だまりをつくるか、寿司に直接たらすかという話になってくる。お腹がおちつくだけ食べたら、もうたいして食欲もわかず、早々に出た。「醤油の小皿をなくしてはなあ、もう来る気がせんなあ」。醤油の小皿、あれはやはり最低限の礼儀というか良心のような気がする。もうこの店には行かないだろう。
 
 なんだか小金を稼いだらしい同居人はまたまた気前がいい。買い物をしたあと、「本屋寄る?」とそそのかしてくる。「今日は太っ腹です」と言う。駅前の本屋で文庫棚をぐるりと見てまわって、ちょっと読んでみたかった横森理香の『愛しの筋腫ちゃん』(集英社be文庫、2002年)を手に取る。「1冊でいいの?」とまた言うから、ぐるぐると文庫棚や単行本棚をみるが、「ぜひこれ」というのが思い当たらない。・・・と、太っ腹同居人が会計をすませたときに、平積み台に気がついた。林真理子の『花』という小説(祖母・母・娘の話らしい)を読んでみたいと思っていたのだった。単行本だから、図書館で借りるか、文庫になってからかと思っていた。「あーこれ読みたいと思ってたのにな、気づけばよかった。」

台風一過・ソウルスタイル(III)

 「身ぐるみ剥いできたような」という印象がどうしても強くのこり、李さん一家は、これから家族がだんだん歳を重ねていったときに、ふと手にとりたくなる思いでの品が博物館の収蔵庫の中というので、だいじょうぶなのかなあという気がした。
 もちろん生活のようすはよく分かった。おそらく李さん一家は、かなりゆとりのある家庭なのだろう。こういうアパート暮らしをしている家庭が、韓国のなかでどういう層なのか、「ふつう」の家庭なのか、「お金持ちの家」なのか?そんなこともどうなのかなあと思った。
 特別展の1階と2階をむすぶ階段の裏側に、小さな部屋がつくられていた。これも李さんち?内職の小部屋(?)という風情の、格子戸のついた部屋。あれは何だろうなあと言いながら、特別展を出る。
 みんぱくへは数えるほどしか来たことがないというHを誘って、常設展のほうの「言語」コーナーをのぞく。各地の方言で語られる「桃太郎」をひさびさに楽しんだ。1階正面ホールの「極北のイヌイットアート」の展示をみて、みんぱくを出た。
 おもしろかったといえばおもしろかった。が、なんともいえないフシギな感じも残った。李さん一家はどういう条件で、持ち物一切を引き渡すことに同意したのか?図録か解説書の類を買ってくれば、そこに書いてあったのだろうか。

 帰ってから、この「ソウルスタイル」の展示の話が何か載っていないかと思い、ネットで探してみた。特別展開幕当初に李さん一家が会場へ来ていたらしい。そのときの話を聞いた人のサイトには、こう書かれていた。

▽3月21日のオープニング時に、李さん一家に展示を見た感想を伺いました。李さん曰く「今回の展示に協力できて嬉しいという気持ちと、愛着あるものが手元から離れ寂しいという気持ちが半々」。

 これを読んで、私はすこし安心したような気もちになった。

 晩ご飯は、シェフがはかったわけではないだろうが、「タッカルビ」。最後はのこったタレにご飯をまぜて炒めて食べた。本読み風呂で、またちょいと『プロレタリア文学はものすごい』を読み進む。今晩も夜食は小玉西瓜。

台風一過・ソウルスタイル(II)

 たしかに生活はよく分かるけどなあ、でもええんかなあ、と何度も口に出してしまう。身分証明書、免許、卒業証書、アルバム、銀行の通帳、給与明細、結婚宣言書、、、、そういう類のものもほんとうに一切合財なのだ。顔写真も貼ったままの身分証明書の類が並べられているのを見て、ほんまにまるごと何人分かの「個人情報」が集めてあるねんから、ここへかっぱらいに入って身分証明書やら何やらを入手すれば何かできそうやなあ、と思う。
 あるがままのくらし、、、確かに観光にいって見られるものではないけれど、、、。一緒に行った院生のHと、「どういう状況だと考えられるか?」と話す。
 博物館やら美術館へ皇族やらその係累の人の「宝物」やら「お召し物」が出ていたりする-ちょっと違う気がする。いったいどのようにして(どういう契約だか了解だかのもとに)これらの「李さん一家」の持ち物はみんぱくのものになったのか?展示がすんだあとも、これらはみんぱくに保管されるという。やはりお金で解決したことなのか?李さん一家には、生活の道具として、ここに運び込まれたものと変わらぬものが手当されたということか?それにしてもアルバムや思いでの品々は、かけがえのないものではないか?
 「給与明細や銀行の通帳くらいはいらんといえばいらんかもしれんけど、でもなあ、アルバムも証明書の類も全部やろー、あれは大丈夫なんかなあ。可能な限りコピーをとったりしてるんやろか。鞄の中には眼鏡もあったけど、あれが使いやすい眼鏡やったかもしれんしなあ。学術目的かしらんけど、あんな身分証明みたいなものを渡してしまって、向こうで生活できるんやろか?もしかして李さん一家はいま韓国にはいなくて日本に住んでるんやろか。それで、ちょっとあれは手元に置きたい、となったら取り戻せるんやろか?自分やったら?どういう状況であれだけの一切合財を渡せる?人に譲るときだって冷蔵庫の中はいったん空にするやろう?」---Hと二人であれこれと考えてみるが、なんとも想像ができない。いずれ自分がこの世からいなくなったときには、処分されるものもあるだろうけれど、とりわけ「かけがえのないもの」「愛着をもって使ってきたもの」を、ここまで一つ残らず引き渡してしまって、拠りどころを失ったような気もちになることはないのだろうか。

台風一過・ソウルスタイル(I)

 夜中に雨がざんざか降っていたのはかすかに分かっていた。起きてみると台風一過の青空!と思いきや、外へ出てみるとけっこう雲が多く(もう一雨くらいあるか?)という空だった。昨日と同じく風が強い。
 昼頃まで時折陰りながらも、空はしだいに晴れて、濃い影がついてあるく。空も明るくなったなあ、と思っていたら、突然大粒の雨が降り出した。3時頃。よごれた窓ガラス越しにも雨の筋がはっきり見えるくらいの降りようで、あっという間に空はくらくなり、雲の切れ間もまったく見えなくなった。雨の筋が風であおられて、まるでドラマのセットの「つくり雨」のようやなあ、しばらく降るんかなあ、と言って外を見ていたところへ、院生が一人びっしょりと濡れてあらわれた。大学までほんの数分のところで突然雨が降り出したそうだ。突然やったなあと言っていたら、午前中は外出していた先生がずぶ濡れであらわれた。濡れてるなんてもんではなくて、プールに飛び込んでしまってねえ、はっはっはというくらい水がしたたっている。廊下にもエレベーターにも水たまりができている。どっかで雨宿りできんかったんですかあとわいわい言ってる間に、雨はあがった。おそらく10分か15分くらいの降雨。すぐに建物には影ができて、空はあかるくなった。

 雨があがって、今日が最終日の特別展「ソウルスタイル 李さん一家の素顔のくらし」@みんぱくへ院生のひとりとぶらっと出かけた。招待券を入手していたのでやはり見に行っておこうかなと思い、てくてくと自然文化園を抜けて、みんぱくへ。短い時間に大量の雨が降ったせいか、あちこちでごぼごぼと水があふれ、路面は太陽に照らされてしょわしょわと水蒸気の湯気があがっている。

 噂には聞いていたが、「身ぐるみ剥いできた」と表現したくなるような状態で「李さん一家」の持ち物を一切合財運んできて展示してあった。一部にはレプリカもあるとはいえ道祖神やら墓石まで常設展示室にはあるみんぱくやからなあと思いながら、靴をぬいで、「李さん一家」の住んでいた(おそらく過去形なのだろう)アパートが再現された展示をみてあるく。引き出しの中味も、鞄の中味も、冷蔵庫の中さえそのままだった。

本読みデイ(II)

 この文章を読む頃には東京の知事さんも決まっていますが、あたしは候補者の公約を聞いていて、息が詰まりそうになりました。老人福祉とか言って、ボケ老人対策のために生きがいを与える施策を打つと真面目に考えているんだもんね。何かい!老人はボケないために生きがいを見つけなけりゃいけないのかい?何にもしないでゴロゴロしてちゃ、いけないのかい。ボランティアとか地域活性のために貢献しつつ、自分の健康を考えて長生きしなきゃいけないのかい?[中略]
 そんな息の詰まりそうな社会なんかで、あたしは生きたくないですな。前向きな言葉なんかクソ食らえってなもんです。大兄も騙されてはいかんですぞ。後悔しない人生のために、なんていうのがもっとも手に負えないやつですな。後悔しない奴がいると思っているのかね。後悔しないなんて、そんなツルンとした人生なんて味気ないって。十年も生きれば、後悔は三億くらいしているはずで、だからこそ後悔という言葉に騙されるなということを考えてもよさそうだと思いませんか。後悔いっぱいしてるけど、ま、けっこう楽しいし、いいじゃん後悔。悩むことないってという感じで、適当なことをヘラヘラと若輩に振れ回って煙に巻くのが老人の役目だから、せいぜいいい加減な態度で生きてくださいよ、とどうして言えないのかね。(332-334ページ)

 私はまだ老人というには早いし、この言葉にそうそうそうとついていくとまずいだろうか?

 今日は注文していた本が2冊入り、2冊とも読んでしまった。汐見稔幸編の『里親を知っていますか?』(岩波ブックレット、2001年)と、家庭養護促進協会の『信じあって親子・語りあって家族』(エピック、2001年)である。里親を経験した人の話や、里子として育った人の話。地域で子育て支援というのは、こういうところからだと考えやすいように思う。里子を受けいれるというのは里親個人とかその家族だけのことではなくて、里親家庭が存在するその地域とかご近所とか近隣の関心というのも大事で、それがないと里親制度も広がらないやろうと思った。
 ついでに数日前から読みかけていた汐見稔幸の『幼児教育産業と子育て』(岩波書店、1996年)を読んでしまう。

 本読みデイということにして、本読み風呂でこれも今日入手した荒俣宏の『プロレタリア文学はものすごい』(平凡社新書、2000年)をちょろりと読む。なんだか斎藤美奈子風の書き出しだ。

本読みデイ(I)

 帰るコールをして帰ったのに、シェフがなかなか晩ご飯づくりにとりかからず、私は半時間ほどウトウトした。帰宅して2時間もしてからようやく晩ご飯にありつけた。また「タイの台所」キットで、タイ焼きそば。夜食には昨日買ってあった小玉西瓜を4分の1ずつ食べる。みずみずしく、うまい。皮は薄くて、緑のところの際まで赤い。

 今日は4冊読み終える。あと少しだけ残っていた『オヂがパソコンを買うという暴挙』(アスキー出版局、2000年)を読み終える。このしゃべくり調の文章は苦手な人もいるだろうが、身辺雑記風のだらだら書かれた中に、なんとも鋭いツッコミがあったりして、やはりおもしろい。

▽「なんだかね、いつまでたっても変わらないねぇ」と言われる時、言外に見下した韻が込められているか、それとも尊敬の韻なのかでモノはモノになれるかどうかが決まると思うわけです。なんでもそうですが、世間の目に曝されるという時間は非常に大切なわけです。曝され続けていると、そのモノが持つ力によって世の中の方が変化するということのなんと多いことか。そういうモノと周囲との対話によって社会なんていうものは成り立つとあたしのような古風なオヂは信じたいです。(268ページ)

 これは、マック(Macintosh)にしても、クルマにしても、「数年は使おうというモノがころころと意匠を変えてしまっては世間の目に馴染んでいる時間がないと思う」という話のところだ。「変化自体が目的になってやしませんかね」と田淵オヂは皮肉たっぷりである。

 田淵オヂが勤めていた会社を定年退職でない退職でしりぞいて、お別れ会で「気概を持ってがんばれ」と言われまくって考えたところなどは、そうそうそう、そうよと思う。

▽がんばろうとか再生とか気概とかね、一見すると前向きに思える言葉で物事を考えるのはもういいやっていう感じ。[中略]
 仕事がないから生きがいが持てない。そういう公式の背後には、がんばろうとか再生とか気概という言葉が暗躍しているんですな。前向きの言葉には多かれ少なかれ、人を強迫して平気でいられる強者の論理が隠れています。あたしは、生きがいなんかなくてもいいし、がんばりたくはないし、再生したいとも思わないし、気概なんかとっくに捨ててますもん。がはははは。あたしはあたしです。[中略]
 
 
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乱読ぴょん

Author:乱読ぴょん
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本ネタのミニコミ誌『ブックマーク』を編集発行しています(1990年9月創刊~ 昔は隔月発行でしたが、今は年2回発行で、現在87号)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2014年4月(313号)より「本の道草」を連載中(現在、第37回)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2004年3月(192号)より2014年3月(312号)まで、本ネタ「頭のフタを開けたりしめたり」を連載(全119回、連載終了)。

『くらしと教育をつなぐWe』誌で、1999年4月(71号)より2014年2月(188号)まで、本ネタ「乱読大魔王日記」を連載(全118回、連載終了)。

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