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読んだり、書いたり、編んだり 

寝不足(I)

 昨日の昼間は用心して昼過ぎには起きて、コーヒー飲みのみ過ごしたというのに、寝る前に読みはじめてしまった佐野眞一の『東電OL殺人事件』(新潮社、2000年)のためか、眠いダルイはずだったのが寝付けないままにウトウトしながら週明けになってしまった。もしかしたら昼過ぎと晩の2食で過ごした空腹感のゆえだったかもしれぬ。昨晩は空腹感とぎらぎらする『東電OL殺人事件』と月曜からの仕事の段取りがコネコネになって、ろくに寝た気のしないまま朝になってしまったのだ。

 朝ご飯食べて、弁当つくって、コーヒー飲みつつちょいと『東電OL殺人事件』を読んで(もう四分の三くらいまで読んで)、それから出勤。最近またガソリンがあがってきた。今朝行きがけに給油したスタンドではリッター102円。
 昼休みに弁当食べながら、『東電OL殺人事件』の続きを読み、読み終えてしまう。このノンフィクションは出たときから気にはなっていた。「渡辺泰子は私だ」という若い女性たちがいるというのも聞いたことがあった(ほんまかどうか知らんけど)。被疑者となったネパール人・ゴビンダのことも、渡辺泰子のことも、週刊誌が書きまくっていた頃に、週刊誌の記事で読んだことがある。
 でも何となく避けていた。文庫本になったら買おうかなと思ったりもしていた。いちばん気になっていたのは「渡辺泰子は私だ」という女性たちがいる(らしい)ということだった。佐野眞一のことだから、律儀な取材を重ねて、渡辺泰子のことも書いているのだろうと思っていた。そしてこの本はそういう本でもあった。
 読み終えて、とりあえずのところ私には、「渡辺泰子は私だ」という女性たちのキモチはよくわからない。

 職場には先週ネットの古本屋で頼んだ本が3冊届いていた。3冊ともすでに読んだ本なのだが、さいしょ読んだときには図書館で借りたものだった。
  ・斎藤美奈子『あほらし屋の鐘が鳴る』朝日新聞社
  ・佐野眞一『旅する巨人』文藝春秋
  ・干刈あがた『名残りのコスモス』河出書房新社

飲み会・パーティー・完徹

(5/17)
 セイリ痛多少あり、クスリ服用。曇り空、少々雨降り。夕刻、昨年度末の一仕事に関わる打ち上げ飲み会。タイチャンコの店にて。1杯飲んだら帰ろうと思っていた2次会、店を探して歩き回りかなり疲れる。20代の若人に囲まれ、疲れもあって(みんな若いなア)と思う。ブラッディメアリーを1杯飲む。
 帰り道、読みかけの『子どもという価値』をサカナに、同じ方面へ帰る本読みの友と語らう。“子どもは嫌い”でも“自分の子ども”はカワイイものか?

(5/18)
 久しぶりに昼前まで寝る。かなりの疲労感がある。洗濯しようというほど天気もよくない。
 『パン屋のお金とカジノのお金はどう違う?』をまた途中まで読むが、「お金とは、われわれが何でも欲しいものを得る前に、何かを与えて得る無である」という文章がわかるようなわからんような気分で、むずかしいなあと思って中断。その後『子どもという価値』を読む。
 夜は介護者の集いのパーティー。女性陣がとりあえずうちへやってくる。料理製作をするつもりの同居人は、クルマを出してもらって買い出しに。パーティーが始まるまでのシノギに、私は焼き飯をつくり、買い出しから帰ってきた同居人ほか5人で軽く小腹を満たして、パーティー会場へ。ここの介護者たちが製作する料理はチャレンジャーなものが多く、ときには食えたものではない“料理”も登場する。が、昨晩はいたって美味な料理群であった。満足。
 夜中になって、帰宅するという数名をクルマで送り、戻ってからワインを飲み飲み、新顔のAさんらと語らう。結局朝までうだうだと残留。明け方になって私はしばらくウトウトしたが、Aさんは強者で徹マン組にまじって麻雀を打ち、しかも勝っていた。

(5/19)
 帰宅して、とにかく寝る。こんこんと昼過ぎまで寝る。めちゃくちゃに眠たかったが、昼間寝続けると夜寝られんと思い、起きてコーヒーをすすりつつ、『子どもという価値』を読んだり、雑誌を眺めたりする。夕方までだらだらと読み続けて、『子どもという価値』を読み終える。途中から、引用されている図表やデータの出所が巻末の文献リストに反映されていないことに気づき、どうにかしてほしいものよのうと思う。終盤の4章、5章では、データの読みとり(因果関係がいえるのかどうか等)や歴史的事実についての記述にいくつか疑問があって、「?」を数カ所書き込む。
 晩ご飯は食べに出た。とにかく眠い。

セイリ痛

 昨日めちゃくちゃに眠いと思っていたら、セイリ様のお越しである。しかも今回はかなり痛い。朝からクスリをのんだのに、効きがわるくて痛みがおさまらない。しばらく転がっていてもどうもおさまらない。あまりに痛いのでとりあえず職場へ「痛みがおさまったら行きます」とメールを書いて、横たわる。『批評の事情』をぼーっと眺めながら、イテーと思う。
 2時間余りごろごろとして、ようやく痛みが小康状態になったので、昼頃にやっと出勤。クスリのせいか、ぼーっとする。それでも午後はらくになった。注文していた本を2冊取ってくる。
  ・柏木惠子『子どもという価値』中公新書
  ・斎藤純一『公共性』岩波書店
 
 やっと食べる気になって昼ご飯を食べながら、ぱらぱらと見る。どっちもおもしろそうだ。午後は、エイゴの予習。もうこのあと大丈夫かなと思っていたら、夕方になっておなかがだんだん痛くなり、またクスリをのんだ。よれよれのほげほげで帰宅。とりあえず横になってウトウトする。こんなにキツイのも久しぶりである。4月から身体がキツかったということなのか、たまたまクスリの効きがわるいのか、初日はいつも多少しんどいものだが、こんなによれよれになるのは久方ぶりだ。
 
 ごろごろごろごろしながら、エイゴは後回しにして、『批評の事情』を眺める。なかなかおもしろい。坪内祐三の特集号だった『鳩よ!』で紹介されていたときから気になっていた。永江朗は「まえがき」を含め、ぽろぽろと“批評とはなにか”を記している。
▽批評を読む楽しさはいろいろある。日頃なんとなく漠然と感じていたことについて、はっきりとした言葉を与えられたときは、まさに<b>「腑に落ちる」</b>というか、腹の中でストンと何かが落っこちて、うまいこと落ち着いた感じがする。あるいは、それまで思ってもみなかったものの見方を提示されて、<b>「目から鱗が落ちる」</b>瞬間。それはもう、その瞬間から世界が違って見えるほどの衝撃で、その評論を読む前の自分と、読んだ後のいまの自分とでは、まったく別人になってしまったかのような気分になる。(203ページ)

若い人たち・自分が動く(V)

 N大付近はうらやましいくらい飲食店が充実していて、晩ご飯に2人で「南仏風ビストロ」へ入ってみる。料理もおいしく、ワインも少し飲んで、またいろいろとしゃべる。Zさんが職場を動いたこともあるし、私自身がK女子大への出稼ぎで別の大学を見るようになったこともあるのだろう。話しながら、今まで見ていた風景が少し違って見えるような気持ちになった。自分が動くと視点が変わるなあと思う。
 店をうつってデザートとコーヒーを楽しんでから、途中まで一緒に帰る。暑い日だったし少し疲れたけれど、授業もZさんとの再会も楽しかったので、ウキウキして帰宅。

 朝からの雨はまだやまない。借りてきた永江朗の『批評の事情』(原書房、2001年)のうち、「5 文芸は何を語る」と「2 時代の思考回路」のパートを読む。斎藤美奈子はたしかに「こんなヘンなものがありました、笑ってやりましょう」という調子だなア。また『あほらし屋の鐘が鳴る』や『読者は踊る』を読みたくなる。

若い人たち・自分が動く(IV)

 そのことは頭では分かってたけれど、昨日K女子大で授業中に「実際どうなのか知りたいから教えて」と訊いてよく分かった。ああこういうことなのかと思った。今の大学生はもう「家庭科は男女で一緒にやる」という世代なのだ。共学経験者に訊いたら「別だった」という人は皆無で、みんな「男女一緒でした」と言うのだ。じつに新鮮であった。体育になるとさすがに「男女別だった」というほうが多かったが、それでも共学経験者の3分の1くらいは「男女一緒だった」という。指導要領のような公式のカリキュラムの上で変わるというのは、こういうことなのだとつくづく思った。私にとってとびきり珍しかったのはずーっと小学校から女子校なので「技術っていうのが分かりません」という学生がいたこと。これは想定外だった。

 目に見えるところで「男女は異なる取り扱いをすべし」という規制がなくなった半面、学校での経験のなかで「名前をよばれるのはいつも男子から」「長は男、副は女」といった「隠れたカリキュラム」に属する部分は、私の世代とたいして変わりはないようなのだ。「男なら青系、女なら赤系」「マラソンで走る距離は男子のほうが長かった」「女子が給食のお代わりをするとひやかされる」「叱り方が違う、男子は叩かれたりするのに、女子には先生が話をしにくる」というような、私の頃にもそうだったなあという話が出てくる。
 出かける前に同居人とひとしきりしゃべっていて、「昔みたいなベタベタな、男女で違ってた!というようなのは出てこないんじゃないか」という予測もあったのだが、その点は思っていたより似ているのだなあと思う。次回はこのあたりをネタに、グループ討論やってみるかなと思案中。

 K女子大の授業がすんで、バスと地下鉄に乗り継いで北へ向かう。4月にN大へ移った元同僚のZさんに会いにゆく約束をしていた。職場がかわっていろいろ大変そうな話を聞いていたが、会ってみると元気そうで安心した。こぢんまりとした研究室におじゃまして、しばらくあれこれと話をする。

若い人たち・自分が動く(III)

 高校生の頃には「女子のみ必修ということになっている」のは知っていて、一方で「すぐ近くのH高校では家庭科を男女共修でやっている」というようなこともなぜか知っていて、「なんで女子だけがこれをやっているのか?」という疑問や「この学校でも共修はできるはずなのに」という不満は消せなかった。高校の1年生のときにはホームルーム討議の議題に「女子のみ家庭科を考える」を出してクラスで数回の話し合いもした。私もかなりたまっていたのだろう。家庭科そのものはきらいでもなかったのに、家庭科教師が調理実習の際に「白い割烹着」を指定したあたりで、家庭科はゆううつな教科になってしまった。新生児のウンコのスライドを何枚も見せられながら、運動場でサッカーをしている男子を窓の外に見ながら、(女だけがこのウンコの状態やったらこの病気って習ってどうすんねん)と毒づいていた。

 大学に入って、そのへんはずいぶんさっぱりした。小学校から高校までずっと「男子のあ行から始まり、女子のわ行で終わる」式の名簿で出席をとられていたが、大学に入ると「男女混合のあいうえお順名簿」だった。体育は種目選択によっては男女別のクラスもあったような気がするが、私が水泳とセットで選択した柔道は男女一緒に同じ道場でやっていた(もっとも中高でまったくやったことがないのが女子なので、その素養の差もあってか、男子と組むことは滅多になかった)。結果的に女子の履修が多い授業や男子の比率が激しく高い学部もあったものの、性によって受けられない授業があるとか入れない学部があるということはなかったから、私は大学に入ってずいぶんすっきりした気分になったところがある。
 
 私が高校生の頃に雇用機会均等法ができ、女性差別撤廃条約が批准され、条約に抵触するということで変更が加えられたカリキュラムのひとつが、家庭科と体育なのだ。学習指導要領の1989年の改訂によって、体育の履修時間数は同じになり、ダンスや格技といった男女での領域分けもなくなり、家庭科(技術家庭)は男女が共に学ぶ教科になった。  

若い人たち・自分が動く(II)

 私の通った中学校では1年生の間は男女そろって「技術家庭」の授業を受けていた。なぜかその頃すでに「中学では男子だけが技術、女子だけが家庭科」というのを知っていた私は、「ここの学校は共修なんや!」とぬか喜びをすることになる。もともと図画工作の類がすきだったから、技術で正面・平面・側面の展開図を書くのはもっともっとかかせてと思うくらいたのしかった。クラスには「立体を平面上にうつしとること」が苦手な人もいたが、私は平面上にあらわされたものがどんな立体であるか理解することも、ある立体を平面上に展開図としてかくことも得意であった。図面を引くいがいに、設計図をかいて糸鋸で板から部品を切りだし、それを小さな本棚に組み立てることも経験した(その本棚は今も実家にある)。家庭科にも学校で同世代とともに学ぶという何らかの意義はあったのだろうが、技術ほどの印象は残っていない。「家でいつもできること、してること」という感覚がどこかあったように思う。
 そんな共修の技術家庭科が、2年になると男女別になり、男子が技術、女子が家庭科と振り分けられた。私はこのことにかなりのショックを受け、何でやねんというそれなりの憤りがあって、1年のときは一緒やったやないか、なんで技術を受けられへんねんと職員室へ足を運んだおぼえがある。当時のその学校ではどうにもならなかったのだろう、容赦なく2年と3年とは家庭科だけだった。家庭科がきらいだというわけではないが、技術に大いなる魅力を感じた身には、隣の芝生が青く見える以上のうらやましさがあった。ガキの頃にはそこまで思い及ばなかったが、技術に振り分けられた男子のなかには、なんで家庭科受けられへんねんと思っていたのもいたのではないか。

若い人たち・自分が動く(I)

 今日は朝からそれなりの雨降り。昼頃から雨が強くなってきて、蒸し暑い。雇用保険を受給しはじめた同居人が扶養からはずれることになった。「一ヶ月の受給額を12倍した額」が扶養の基準をこえたため。定職が決まったわけではないが、受給期限があっても2-3ヶ月以上それなりの収入がある、ということになるらしい。

 昨日はK女子大への出稼ぎ日。晴れて暑い一日だった。もっている学生たちの所属する学科では昼前に体育の授業があるそうで、体育の疲労と高温多湿おまけに昼ご飯のあととくると半分くらいがバタバタと机に伏せていく。私も前でしゃべるんでなければ寝るかもしれんなあーと思う。
 学校でのカリキュラムの話をネタに、「女の子が経験する学校、男の子が経験する学校」を考えてみたいと思っていた。まずは「男女は異なる未来が待っている」式で授業時数や割り当て領域に明々白々な男女差があった時代の資料を出す。旧制の中学校と高等女学校までさかのぼってもいいが、男女の異なる取り扱い自体は「昔の話」とはいえない。私が中高生だった頃(1980年代)の学習指導要領では、体育や家庭科でベタベタな「性別で異なる取り扱い」が記されていた。学校により教師により、多少のバラエティはあったはずだが、多くの中学校や高校はこうだったのではないだろうか。中学校でも高校でも、体育は男女別。同じ体育の時間であっても、女子はダンスで男子は組み体操や格技だったりした。これに家庭科(中学校では技術家庭)をあわせて見ると、なかなかしびれる。中学校なら技術が男子向き、家庭科が女子向き。学習指導要領には「現在および将来の生活が男女で異なることに鑑み」てなことが書いてあって、今読むと「かなりヘン」で笑ってしまう。高校になると、女子のみが家庭科必修で、男子はその間体育だ。当然体育の授業は男女別である。
 

マナティー

 昼間はK女子大の授業の支度。「なに」を使おうか最後まで思案。
 晩ご飯はこないだ仕入れてきた「ブツとろイワシ」の缶詰を炊き込んだご飯。玄関開けるなり、じつに蠱惑的なニオイがただよっていて、もだえた。ご飯食べながらテレビっ子。月曜は、NHKで「クローズアップ現代」→「地球!ふしぎ大自然」→「私の青空2002」と続く。「地球!ふしぎ大自然」では、今日はフロリダの「マナティー」の話。見た目はこれも人魚といわれるジュゴンにそっくり。水棲の草食のほ乳類というところも同じ。違うのは尾ビレの形や歯の生え方。この、天敵のいない水中でお気楽生活を送るマナティー。同居人にそっくりである。食っちゃ寝、ぼよ~ん、ほわわ~んと水中をのたーりマターリと移動し、くは~っと水面にちょっと鼻をのぞかせて息をするところなど、イビキをかく同居人のようではないか!そんなことを言っていると、風呂に入る前に同居人がぽってりとしてきた腹をなでなで「朝起きてマナティーになってたらどないしょう、この腹やばいかなあ」とつぶやいている。その腹の出っ張り具合は、数年前に「着衣の上からも明らかなデブ」になったときにひじょうに似ているぞ~
 「私の青空2002」は、妻と恋人の対決!になっていて、手に汗握る展開であった。どないなんねん、このあとどうすんねんと同居人ともども次回が気になる。

 K女子大の「授業後の感想」カードにコメントを書き、一段落して風呂。久々に本読み風呂で、本日入荷したてホヤホヤの鶴見俊輔と中学生たち『大人になるって何?』(晶文社、2002年)を読んでしまう。鶴見のいう「自問自答が哲学」これはいいなあと思う。  

中国飯店/ピクルス/タイ焼きそば(V)

モノレールに乗って、歩いて帰宅。その後昨日の友より電話ありて、介護枠の件を話す。さらに電話をかわり、友と同居人が長電話。プロバイダとコースを決めかねているらしい。昨日同居人がさんざん脅したせいで、友の心配症に拍車がかかっているようだ。長電話の隣で、別の友人とチャット。共通の友がなんと交通事故にあったらしいと聞く。クルマは廃車、本人は6針縫う怪我、、、、、詳細不明だが、大丈夫なのかっ?警察にはよう生きとったなあと言われた?ほんまに大丈夫なんか~?妹の知り合いでもあるので、ともかく妹にメールを打つ。
 
 日暮れ前にタイ焼きそばの具を買いに出る。トムヤムクンはフリーズドライなのでお湯を沸かしつつ、焼きそばにとりかかる。ビーフンを戻して、具を次々炒め、調味料を振りかけて、、、じつに簡単でありながら、味はよく、へたれなエスニック料理屋へ行くよりうまい!!と大満足。トムヤムクンもなかなかいけた。ビールを飲みのみ、ウマい!辛い!と騒ぎながら食べる。

 食後、『軍国美談と教科書』を読み終える。「はじめに」にあった、人間の捉え方がよかった。

▽これまでの方法だと、教科書中の軍隊や戦争をあつかった教材は、軍部による初等教育を通しての民衆支配の道具だということになる。軍事教材にはたしかにそういう側面があり、軍部が文部省に圧力をかけてそうしようと意図したことも事実である。しかし、どんな権力者でも、その意図を重いのままに実現しえたわけではない。意図を実現された事実のようにみるのは、民衆をもっぱら支配される一方の受動的存在とみているからである。・・・しかし、民衆は軍部によって支配されながら、同時に軍隊と戦争を生きぬいてもきたのである。民衆は能動的存在でもある。そうみると、ことはこれまでとはすこしちがってみえはじめる。軍事教材は、じつは、軍部と民衆の、軍事をめぐっての、せめつ、とられつの闘争と妥協の、さらには協調の場所のひとつだったことになる。(i-iiページ)

 墨を塗られる前の教科書は、国定ではあったが、ひとつきりだったわけではない。国定教科書の時代にも改廃が数度おこなわれ、そのなかで意味づけが変わっていったもの、「実話」に取材したあまりにも有名な軍国美談(「一太郎やあい」の老母や木口小平)だが後に教科書への採用が廃棄されたものがある。

中国飯店/ピクルス/タイ焼きそば(IV)

 父ちゃんは今日も饒舌で(ふだんあまりしゃべっていないからか?)、自分が高校のときに持ってもらった体育の先生が(今の時代のようにスポンサー企業の丸抱えではなく)教師を務めながら槍投げの練習を続けていた人で、その当時全国で一番というような選手だったが、とうてい世界水準には達せずオリンピックにはひとつも出られなかった(もしも世界水準にひっかかっていればヘルシンキ大会に出たかもしれないという)、その教え子で自分と一つ違いの学年の女の人で槍投げをやっていた人がいて勉強はもうひとつだったが非常に人のいい人だった、男の人でも自分の二つ上の学年にやはり槍投げをした教え子がいてその人はその後代議士になったらしい、、、というようなこれも聞いたことのない話をあれこれとしゃべる。
 父ちゃんの時代の「全国記録」は、今だともう中学生や高校生でも追い抜いているような記録だなあといった話も出る。昔話を聞くのはおもしろい。父ちゃんが「この人はすごい」と思う人物の一人として、三上章の名を聞く。『象の鼻は長い』という出世作を持つ人で、父ちゃんはほとんど全部の著作をもっているという。今度借りて読んでみようと思う。で、父ちゃんにとっては橋本治は合わないようで、過日頼まれて届けた『橋本治が大辞林を読む』(三省堂、2001年)は、持って帰ってもいいぞと言われて、借りる。
 
 ご飯を食べてからもさらにあれこれしゃべって、コーヒーをいれて一緒に飲んで、父ちゃんは有り難きオヤ心で、自作ピクルスや長浜土産の麩や昨日買ったという八朔を分けてやると「おみやげ」をまとめてくれる。本の注文とCDの注文をきいて、おいしかったーまた来るわーと、またぶらぶらと駅まで歩いて帰る。晩ご飯を食べにいってて帰るときにはもうすっかり暗いせいか、なんとなく寂しそうなものを感じるが、今日は明るいし寒くもないせいかそういうチクチクは感じなかった。
 帰り道に酒屋(といっても食材も豊富に取りそろえ)へ寄って、ドライトマトのほか、今晩にと「トムヤムクン」のフリーズドライと、「タイ焼きそばセット」という調味料とタイ・ビーフンがセットになったものを買う。店内の冷蔵庫付近を歩いて冷えてしまい、同居人も足が痛いと言い出し、2人でイタタとさわぎながら歩く。

中国飯店/ピクルス/タイ焼きそば(III)

(5/12)
 朝からいい天気。父ちゃんちで昼ご飯を食べる約束をしているので、朝ご飯を食べてコーヒーを飲んでから、モノレールと徒歩で父ちゃんちへ向かう。左足の付け根の痛みがやはりある。なるべくはやくどこかの整形外科でレントゲンとってもらおう。
 父ちゃんちの最寄り駅から、ぶらぶらと20分ほど、花屋へ寄ってアルストロメリアを10本買い、酒屋をちょっとひやかして、父ちゃんちへ到着。母ちゃんの祭壇前には大きく開いたシャクヤクの花があった。
 父ちゃん配合のパン(焼成はパン焼き機)、父ちゃん自作のピクルス、スープにサラダ、チーズなどで昼ご飯を食べる。ピクルスがうまい。父ちゃんがいつものとおり適当につくったとは思えないが、適当な分量で適当につくっているらしい。うちでもやろうかしら。
 昨晩電話したときに、なんとも弱々しい声だったのでどうしたのかと案じていたが、元気そうなので安心した。先月クルマを買い換えたのがうれしいらしく、最近はあちこちへドライブに出ているという。篠山へ行ったというのはわりに近いが、伊賀上野や長浜まで走ったというのはちょっと驚いた。けっこう一人で遠くまで行くんやーと思う。私が読みかけていた中内敏夫の『軍国美談と教科書』(岩波新書、1988年)の話をすると、自分が使った国民学校の教科書はたしか「コマイヌサン コマイヌサン」というやつだったとか、広瀬中佐の話は(自分のウチは貧乏だったので少ししかなかったが)講談社の子ども向けの本で読んだとか、つるつると話が出てくる。
 そこからまた話が飛んで、高卒後勤めたのをやめて受験し大学生になったときにT市のSさんというお宅の離れを借りていたとか、そのSさんはいわゆる戦争未亡人で府庁に勤めて子どもを育てていた人だったとか、その頃大学はT市に分校があり、そこは陸軍工廠の兵舎だった建物を使っており自分とその次の学年まででそこの分校は閉鎖になった、、、などほとんど聞いたことのない話も聞く。Sさんの息子さんというのが、私の通った高校の先輩にあたるらしい。
 
 
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乱読ぴょん

Author:乱読ぴょん
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本ネタのミニコミ誌『ブックマーク』を編集発行しています(1990年9月創刊~ 昔は隔月発行でしたが、今は年2回発行で、現在91号)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2014年4月(313号)より「本の道草」を連載中(現在、第65回)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2004年3月(192号)より2014年3月(312号)まで、本ネタ「頭のフタを開けたりしめたり」を連載(全119回、連載終了)。

『くらしと教育をつなぐWe』誌で、1999年4月(71号)より2014年2月(188号)まで、本ネタ「乱読大魔王日記」を連載(全118回、連載終了)。

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