読んだり、書いたり、編んだり 

3月に読んだ本

3月に読んだ(読み終わった)本のリスト:
○群ようこ『一葉の口紅 曙のリボン』ちくま文庫
○武井優『他人が子どもを育てるとき 里親と暮らした50人の今』かもがわ出版
○古在由重、丸山眞男『一哲学徒の苦難の道 丸山眞男対話篇I』岩波現代文庫
○向井承子『病いの戦後史 体験としての医療から』筑摩書房
○林真理子『ルンルンを買っておうちに帰ろう』角川文庫
○橋本治『シンデレラボーイ シンデレラガール』河出文庫
○安堂夏代『世にもフシギな保育園 働くママの敵か?味方か?』知恵の森文庫
○酒井順子『たのしい・わるくち』文春文庫
○酒井順子『結婚疲労宴』講談社文庫
○酒井順子『女の仕事じまん』角川文庫
○中村うさぎ『ダメな女と呼んでくれ』角川書店
○養老孟司『「都市主義」の限界』中央公論新社
○林真理子『こんなはずでは・・・・』文春文庫
○酒井順子『トイレは小説より奇なり』集英社文庫
○酒井順子『かわいい顔して・・・・・・』角川文庫
○酒井順子『東京少女歳時記』角川文庫
○酒井順子『世渡り作法術』集英社文庫
○酒井順子『モノ欲しい女』集英社文庫
○酒井順子『自意識過剰!』新潮文庫
○中山千夏『カネを乗りこえる マンバのカネ批判』大月書店
○酒井順子『アナタとわたしは違う人』角川文庫

散歩花見(III)

 会場へ入ったときに配られた用紙が「ふたりへの質問」用になっていて、第一部がすんだ後にそれを回収し、第二部で俊太郎+賢作がそれらの質問に答えるという構成になっていた。妹は書かなかったが、私はもちろんはりきって質問を書いた。だいたいこんな質問。
  (谷川俊太郎さんへ)
  ・おならうたを、ほんもののおなら付きでやったことはないんですか。
  (谷川賢作さんへ)
  ・Divaはまたやるんですか。
  (お二人へ)
  ・今日のは練習したんですか。
  ・“親子で”と言われるのがイヤなときはないですか。

 第二部が始まってみると、回収された用紙は200人分くらいはありそうだった。全てに答えるのは無理だからと、いくつかの質問が紹介され、それに二人が答えていく時間がしばらく続く。あといくつか、というところで、ランダムに選んだものに答えることにしようと賢作が持った用紙を俊太郎が引くことになった。そうして引かれた1枚目の質問が私の出したものだった!1つめの質問に俊太郎が答える。
 「これ[ほんもののおならでおならうたをやること]はー、やっぱり無理でしょう」という答えだった。ただ、こないだチューバと一緒に録音したヤツが、あれが本物[のおなら]と間違うくらいリアルだと思うので、12月に出る予定ですからぜひこれを聞いてもらいたいですねーと付け加えられた。楽しみだ。

 あの「おならうた」のことを訊いた質問は私が書いたやつやってんでと後で妹に言うと、「えー、だれか子どもがした質問やと思ってた」と笑われた。でも、答えてもらえたのはうれしかったし、12月に出るというチューバとの共演はぜひ買わなければと思っている。

***

 明日から4月。

散歩花見(II)

 花見のつもりで、どこを歩こうかと言いながら、長い陸橋を渡り、歩いたことのない細い路地へ入ってみる。道はゆっくりカーヴして、古くさい板塀と家並みの具合が、同居人の里を思わせる。大きな道路からちょっと入っただけで、こんな風景があったとは。
 てれてれ歩いているうちに北の空が暗くなってきた。雨が降りそうなまっくらな空にかわっていく。これはどこかで雨宿りやなと細い路地を抜けて歩いていくうちに雷鳴がきこえ風がそよと吹いた。隣駅の商店街へたどりつき、アーケードへ入ってしばらくしたら雨が降り出した。雨宿りに商店街を端から端まで歩き、いくつかの店にひやかしに入る。冷たい空気が入ってきての雨らしく、つめたい風が吹いて少し冷える。
 小一時間ばかり商店街をうろうろしていたら、雲がきれて、陽が射してきた。少し遅い昼ごはんにお好み焼き屋へ入る。その後、晩ご飯の買い物をして、帰路につく。川沿いに見事な桜をみる。行きと似たような、でも違う、歩いたことのない道を歩く。道の向こうに桜がみえたり、庭に植わっている桜をながめたり、散歩花見。しかしずいぶんと疲労して、帰ってからしばらく昼寝。

***

 金曜の夜に妹1号と一緒に行った谷川俊太郎+谷川賢作ライブで朗読された詩は、「春に」や「黄金の魚」「おならうた」など私がほぼ諳んじることのできるものが混じっていて、「みみをすます」や「悲しみ」「二十億光年の孤独」「ネロ」など私が印象深く記憶しているものも含まれていて、そこへ「詩はことばだけではなくて音でもある」というような谷川俊太郎の講釈もつき、私も朗読したくなるのだった。谷川俊太郎が自分の詩を朗読するというのがおそらくこのライブのひとつのウリで、言葉が音にのったときの気持ちよさを感じた。

散歩花見(I)

 昨晩ちょろと読みかけていた酒井順子の11発目『アナタとわたしは違う人』(角川文庫、1997年)を読んでしまう。さすがにちょっと飽きてきた。

 東京出張のお供だった『富士正晴』はてっぺんから読みはじめて半ばほどまで読んだところだが「帝国軍隊に於ける学習・序」「童貞」と読み次いで、兵士小説を読むのがしんどくなってしまった。「童貞」は長くてまだ読み終わらない。ので、順番をバラして別のを読もうと思う。

 本読み風呂では横田順彌の『古本探偵の冒険』(学陽文庫、1998年)を途中まで読む。こないだ古本屋で安く買った本である。先月読んだ『古本屋おやじ』などとは違って、この本はこういうところがオモシロくて、見つけるのにめちゃくちゃ苦労して、鰻重の松くらいの値だったので悩んだけど買って、云々、、、という調子で、自分が手に入れた本や資料のなかにこんなことを見つけた、これは面白い、この本を書いたこの人物はこういうところがあって、愛すべきである、云々と続く。おもしろくて、新発見があって、ベンキョウになって、役には立たなくて、そんな本のことを最近これがと、私もそういう風に話したい人間なので、横田さんほど古本熱はないものの、本の買い方や読み方に親近感をおぼえ、ニヤニヤしながら読む。

 今日は朝からじつにいい天気で、起きるなり散歩行こ、散歩と言っていたところへ郵便局から電話。昨日投函したブックマーク送付の封筒たち、手でもった感じではいけそうやと思っていたのが切手不足だと言われ、しかたないのでとりあえず切手を貼りに集配局へ行く。晴れて気温も高く、青空。注文していたバラも届き、郵便局から帰って、コーヒーをもう一度飲んでから、散歩に出る。

東京出張・おならうた・ブックマーク発送

(4日間のメモ)
 3/27(水):フェミックスへ恩返し(I):ヒコーキにて東京入り。移動中の読書は『ちくま日本文学全集 富士正晴』(筑摩書房、1993年)。東京も雨、は散り初め。そのままフェミックスへ。まずは原稿校正を手伝う。編集のNさん宅(横浜)へ泊めてもらう。
  ***
 3/28(木):フェミックスへ恩返し(II);雨はあがる。晴れているがかなりの冷え込み。Nさんとともにフェミックスへ。原稿校正、宛名書き、袋詰め、切手貼り、原稿校正、原稿校正、など。一部持ち帰りで原稿校正。Nさん宅で2泊め。2年ぶりに会うコドモたちがひとまわり大きくなっている。フェミックスで教えてもらった芥川賞受賞作、長嶋有の「猛スピードで母は」を読む(「文藝春秋」2002年3月号)。
  ***
 3/29(金):横浜→東京→大阪→伊丹→尼崎;泊まり先のNさん宅から、東京での打ち合わせ会議へ。また雨降りの上、吐く息が白くなるほどさむい。昼過ぎまで原稿チェックなどをして解散。ヒコーキにて帰阪。ヒコーキの遅れ。移動中の読書は『富士正晴』の続き。大阪も雨。帰宅して一休みの後、谷川俊太郎+谷川賢作のライブへ。雨でバスが遅れ、妹との待ち合わせに遅れそうになる。2列め中程の席で、詩の朗読やピアノ、俊太郎+賢作の質問コーナーなどを楽しむ。ライブ終了後、会場近くの地ビール屋で軽く飲み食いして妹宅へ。泊。夜の雨ひどし。
  ***
 3/30(土):同居人の協力を得てブックマークの発送作業;雨あがるが雲多し。朝のうちに妹宅より帰還。一寝入りしてから、ブックマークの発送作業。晩ご飯は近所の友と地中海料理屋へ、その待ち合わせ場所近くで同居人の入院時同室の友とばったり会い、4人でご飯。また閉店まで飲み食い。

シゴトとショウバイ(II)

 さてこれで、どんな仕事も商売と見なす準備が整いました。商売とはものを売ってカネを得ることです。・・・植物を育てたり、釘を打ったり、歌を歌ったり、・・・結果的にカネを得るという点を強調して見れば、仕事と商売は同義と見なせます。もっと徹底して、どんな仕事も商売であると言い切りたければ、どんな仕事にも商品を見いだせばいい。実際、現代では仕事のすべてに商品が見いだされています。ものでなければ、技術、アイデア、情報、サービス、保険もローンも商品と呼ばれているし、「夢を売る商売」なんて言い回しもよく聞きます。みんなが仕事に商品を見いだしたがるところをみると、この社会では、商売こそが仕事の本流だと思われており、誰もが本流でありたいのでしょう。・・・
 それでもシゴトとショウバイの本来の分別を、私たちは忘れたわけではなさそうです。微妙に曖昧に言い分けています。ある仕事をショウバイと表現するのは、その仕事のカネ儲けの側面を重視した時。逆にそれがまぎれもない商売でも、そのハタラキを重視する時には、シゴトと表現します。「野球はいいショウバイだ」という発言は、たぶん球団なり選手なりのカネ儲けを問題にしている。「あの選手はいいシゴトをする」と言えば、選手のハタラキを話題にしているに違いない。・・・(107-109ページ) 

 働くということも、仕事をするということも、とかくカネ儲けになることを指す場合がほとんどだから、アンペイドワークなどという言葉が出てくるのだろう。人のハタラキについて考えるには、わるくない手がかりかもしれない。

シゴトとショウバイ(I)

 未明からどぶどぶと雨降り。なぜか妊娠四カ月状態の自分を夢にみて、目が覚める。
 酒井順子十連発めの『自意識過剰!』(新潮文庫、1997年)を読み終える。ネットの古本屋でまたもや酒井順子ほか十数冊を注文する私。この本の山をどうするのだ!

 午後のヒコーキの時間をにらみつつ、中山千夏の『カネを乗りこえる マンバのカネ批判』(大月書店、2002年)を読み終える。ハテどうかいなともやもやは残るが、なかなかおもしろかった。暇人(ひまびと)ヤ・マンバを登場させた創作のなかで、カネのこと、シゴトとショウバイのことなどを考えてゆく。売性(バイセイ=売春の意で用いる、中山千夏が提唱する呼称)についての「売性は行為者に不幸をもたらす惨憺たる性交」という記述のあたりは、むむむーどうかしらと思ってしまう。それは、中山千夏がいうように、私もまたカネ至上主義だとか「どんな行為でカネを得るのも自由」だとかの考え方にどっぷりとつかっているから、かしら。
 シゴトとショウバイについて書かれたところは、はぁナルホドと思う。

▽もうひとつ整理しておきたいのは、仕事と商売の関係です。シゴトはひとやもののハタラキを指し、力学の説明などにも使われる言葉です。
 ・・・日曜大工で本箱を作るのも、町内会のクリーン運動に参加して空き缶拾いをするのも、まぎれもないハタラキすなわちシゴトです。けれどそれらは「うちのシゴト」「町のシゴト」などと限定つきで言われることが多い。私たちにとってシゴトとは、主としてカネ(賃金、代金)を得るシゴトを意味しているわけです。
 今はそれに従って、カネを得るシゴトを仕事と呼んでおきましょう。してみると仕事には、ひとのハタラキとしてのシゴトの側面と、カネを得る側面とがあるわけです。

人の振りみて我が振り直せ

 昨日は卒業要件をみたした学生にとっては、卒業式の日だった。自分が卒業するわけではないが、式がらみの仕事も多少あって、いつもより少し早出。私にとっては違和感をおぼえるほど、晴れ着族が多い。女性の卒業生は九割方が振り袖や袴姿のようだ。両親連れの学生も少なからずいて、平日にオヤも来るんやなあと思う。
 晴れ着族を送ってくるのか門のところは渋滞するし、卒業生は騒いでうるさいし、ふだんの仕事をする人間にはやや迷惑。昼過ぎの学位記授与のセレモニーのあとには晴れ着の群によばれて、一緒に何枚も写真をとられた。私がふだんどおりの格好だったせいか卒業生はやや不満そうだったが、仕事としては平常通りなのでねと心中思う。事務仕事もつぎつぎくるくるとあって、片づけてしまいたい年度末仕事もあって、卒業生の相手をたいしてする暇もなく、夕刻になる。
 日が暮れてから、来年度の諸問題について同僚と話し込む。この二週間ほどの間、同僚とともに問題の対処を考えているが、最近はつくづくうんざりして出勤拒否になりそうである。それでも来週からは四月。

 疲労のあまり、11時には布団に入り、しばし本を読む。中山千夏の『カネを乗りこえる』の続き。いつの間にか眠っていた。

 行きたくないなー行きたくないなーと思いながら起きて、弁当をつくって、出勤。自分ではやらないしできないおっちゃんから降ってきた事務仕事を仕方なくやっていると、イライラしてきた。使うだけは使って、事務的な部分は人にまわす神経についていけない。この一、二週間は実際に席があたたまる暇のないほど忙しかったこともあり、なるべくおっちゃんたちに会わないように会わないようにしていたが、それでも苛立つ。結局自分がよければいいんやなと思う。昨日同僚と戒めあったことだが、わが身を振り返って、ああはならないように気をつけなければと思う。
 
 晩ご飯は久々の鍋。トリのスープでぼーーっと癒される。

寒の戻り

 上空に真冬並みの寒気が入っているそうで、大気の状態が不安定。明け方にも雨が降っていた。一段と冷える気がする。昨日よりさらに1枚着込み、ひさしぶりにマフラーを巻いてYさんの介護にゆく。陽は射しているが、その後も時折の雨。寒い。桜は四分咲き、五分咲きといったところか。

 昼ご飯を食べてから、Yさんと近所のN嬢と三人で、先日出産した介護者グループの一人・Mさんの「出産祝い」の買い物に出た。Yさんが雨女なのか雨が激しくなる。車椅子での外出に雨はちょっとつらい。おまけに寒い。 
 クルマで一っ走りいったところにあるコドモ用品やマタニティ用品を売る店で、ぐるぐると品定めをしてまわる。世の中にはこんなにたくさん妊婦さんやコドモがいるものなのだなあと思う光景である。どうするどうすると、結局、タオル地でできたソフト積み木、吸い口つきのコップ、タオル地のボール(鈴入り)、壁掛けの身長計(風のもの)、釣り遊びセット(これはコドモと父の交流を願って)、よだれかけ2枚、以上を大容量のカバン(通称ママバッグとかいうらしい)に詰めて包んでもらう。

 お祝いを届ける使者として、N嬢と私がMさん宅へ向かう。途中で同居人を呼びだし、三人で押しかける。「めちゃくちゃきたないデー」と通された部屋(わが家とどっこいどっこい)で、授乳がすんでホゲ~っとしている赤ん坊を見物する。どこを見ているのかわからない遠くをみるような眼(まだあまり何も見えていないらしい)、伸びをする格好のおもしろさ(利き手はどちらだろうか?)、頭蓋骨の合わせ目あたりはまだ完全には閉じておらず「穴」がある。あの世とこの世の境目風のイキモノだなあとつくづく思う。
 1時間余りコドモ見物をしてから辞去。冷え込み厳しく、あったまるものを食べにいこうとN嬢、同居人と三人で新規開拓のラーメン屋へ挑戦。このラーメンと餃子がなかなかいけて、満足。

 帰宅して、また酒井順子の『モノ欲しい女』(集英社文庫、2000年)を読んでしまう。Webでニュースを見ると、渦中のTK代議士が”一種のワークシェアリング”と面妖なことを言っているらしい。現在報じられていることを元にすれば、それは”ワークシェアリング”というものではなく、単に”お金シェアリング”ではないのか?という感想をもつ。そして、”TK代議士は疑惑のディスカウントストア”という表現を見つけて大笑いする。

印刷完了/花冷え(II)

 公民館を辞して、近所の文房具屋(公民館の印刷機を利用するようになるまでは、ここで大量のコピーをしてブックマークをつくっていた)へ寄り、目が見えにくいという読者のための拡大コピー版を1部つくる。そこでも「お母さん亡くなってから何年?」「3年になりますねー」という話が出た。母ちゃんはここで暮らしていたのだということと、まだおぼえてもらっているのだということを感じた。

 その後、父ちゃんちへ立ち寄ったところ「連絡しておけば、まんま食わせてやったのに」と言われる。父ちゃんちでご飯を食べるには予約が必要なので、ギリギリまで版下をつくっていて飛び出してきた今日は、発送用の封筒などを取りに寄るだけのつもりだった。昼ご飯も遅かったし、しばらくしたら帰るからと言うのに、人の話をなにも聞いていないのか、オヤゴコロというものなのか、父ちゃんはなぜか「食べて帰れ」と冷蔵庫や冷凍庫を多少あさって、箸を並べてくれたのである。「そんなにおなかへってへんしー」などと言いながら、結局私と同居人は、父ちゃんの明日のおかずになるはずだった天ぷらの残りや漬け物などで軽くご飯を食べてから父ちゃんちを出たのである。

 花冷えというのか、今日はずいぶん寒かった。風の冷たさは昨日以上である。あちらこちらで桜がほころび、三分咲きかと思うような木もあって、陽も射している。そんな見た目を裏切る冷え込みに、今日は寒い寒いと思うばかりだった。久しぶりに石油ファンヒーターをつける。

 父ちゃんちの帰りに古本屋へちょっと寄って、この数日ビョーキのように読んでいる酒井順子の本をまた5冊買った。さらにその近所のドラッグストアで日用品の買い物をして帰宅。買ってきたばかりの酒井順子の本を読もうとして、「あ、こっちが先や」と、読みかけていた『かわいい顔して・・・・・・』(角川文庫、2000年)を読んでしまい、続けて本読み風呂で『東京少女歳時記』(角川文庫、1995年)を読み、風呂上がりに『世渡り作法術』(集英社文庫、2001年)を読む。
 ちょいと面白かった作者のものを数冊まとめて読むことは多いが、このたびはちょっとこわれかけている。タイミングというやつか。

印刷完了/花冷え(I)

 今日こそはブックマークを印刷してしまおうという決意のもと、朝からコーヒーを数回いれつつ表紙の「え」に取り組む。編集を一人でやっている手前、多方面にわたり注意力を要するが、とくにドキドキハラハラするのが表紙の「え」である。ここにかくモデルとなる栞の現物はたいていが色物、しかしブックマークはモノクロ印刷。したがって、いかにして色のついたものをグラデーションだけで表現するかということになる。手持ちの筆記具を駆使して、塗り重ねてみたり、薄く塗ってみたり、白で残したりという手法によってかいたものが、印刷機にかかってどう出るかは、刷ったとこ勝負!なのである。版下をつくりなおすほどのエネルギーもないので、印刷のときはなおさらドキドキする。勝負といいながら、(こんな感じになるハズ)という期待もそれなりにある。

 夕刻せまり、仕上がったばかりの版下を携えて、いつも印刷機を使わせてもらう公民館(父ちゃんち至近)へ向かう。ドキドキしながらリソグラフに通すのはまず表紙である。「え」がどう出るか。製版ボタンを押して、にゅーっにゅーっシュゥーーーッと試し刷りが出てくるまでの十数秒。今回は、、、、、、あ、こんな風に出たかア。ちょっと予想外のベタになってしまった。(ここのところがもう少し薄く出るつもりやったのにな~)と、濃度ボタンを「うすく」にズラしてみるも、べったりと黒い仕上がりは変わらない。(ま、これでいくか)と、印刷ボタンを押してシュッシュッシュッシュッと吐き出されてくる紙を眺める時間。

 今回は20ページ建てなので、両面刷りで5枚。印刷そのものは30分ほどですんだが、うっかりしていたことに、公民館の事務室が閉まる時間を分かっておらず、印刷費を払う段になって「今度からなるべく5時までに終わってくださいね」と釘を差されて平謝り。とはいえ、かつては母ちゃんが足繁く利用していただけあって、「一番上の娘さんよね」などと声をかけられ、事務室に招じ入れられ、同居人と2人してお茶と三色団子をごちそうになった。「お母さんが亡くなって何年になるかしらねエ」「まる3年ですねー」「え、もう3年もたつかしら」という時節の話も出る。

ふーーくふーーく

 朝ご飯のあいまに、終盤まできていた酒井順子の『トイレは小説より奇なり』を読み終える。表題作の「トイレは小説より奇なり」よりも、「青年の単語帳」の文章群のほうが膨大で、しまいのところに「春夏秋冬いとをかし」という十二ヶ月にからめた話が入っていた。どれもおかしくて、ニヤニヤしながら、ときにぶふふーーと吹きながら読んだ。はまるなア。借りてきた酒井順子はあと1冊。

 晴れてくるのかと思いきや、今日も一日曇り空でときどき雨が降った。今日はアルバイターも頼んで、午前中から夕刻まで書架整理と掃除に勤しむ。見たくないものがわんさか出てくるが、「見たくない、でも今日やってしまおう」と唱えながら、残すものと捨てるものの仕分け。古い資料や文献は、捨ててしまうと後がないのでやや慎重になっているが、もういいでしょうとキレイさっぱり全部捨ててしまいたくなるほどくたびれてきた。なんとか終わりが見えてきたので、よく働いたねえと日暮れ前に解散。
 雨のあとだからか、風がつめたい。

 晩ご飯は、マグロの山かけとろろ、ホウレン草のおひたし、味噌汁、ごはん。山かけとろろは加賀丸芋をすりおろして、卵黄とダシでのばしたものを、マグロの中落ちにからめて海苔をかけた。いつものことだが、たいした量ではないのに、丸芋はものすごくおなかにたまる。食べてるさきから、ふーーくふーーくとおなかがふくれていくようだ。

 久しぶりに絵はがきで手紙を書いたり、事務書類を片づけたりしたあとに、昨日の続きで「ブックマーク」次号の表紙の絵をかく。これがなかなか込み入ったデザインのしおりで絵がおわらない。下書きのあとペンを入れ、印刷したときの濃淡を考えながら種々の筆記具を駆使して塗りわけていくのだが、終わらない。あとは明日だ! 
 
 
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乱読ぴょん

Author:乱読ぴょん
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本ネタのミニコミ誌『ブックマーク』を編集発行しています(1990年9月創刊~ 昔は隔月発行でしたが、今は年2回発行で、現在87号)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2014年4月(313号)より「本の道草」を連載中(現在、第42回)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2004年3月(192号)より2014年3月(312号)まで、本ネタ「頭のフタを開けたりしめたり」を連載(全119回、連載終了)。

『くらしと教育をつなぐWe』誌で、1999年4月(71号)より2014年2月(188号)まで、本ネタ「乱読大魔王日記」を連載(全118回、連載終了)。

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