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読んだり、書いたり、編んだり 

だらくモード(II)

 さいしょの章だけ読みかけていたウォーレスの『人口ピラミッドがひっくり返るとき』(草思社、2001年)を最後まで読む。
 本文は、どうもよく分からないところもあったが(訳のせい?)、読み終えて、さいごに訳者が日本のものを掲げておいたという「年齢階級別人口」の3つのグラフ--1930年、1965年、2000年の、それぞれの年における日本の人口の年齢別構成を見ると、これがいちばん雄弁だなと思われた。1930年は、年齢のもっとも若いところが最多で、75歳以上が最小という人口構成になっていて、まさに「ピラミッド」型だった。こういう時代と、中年より上の年齢層が大きくせりだし、もっとも若いところが最小に近い人口構成をもつ今と、そりゃあ変わるし、変わらざるをえないだろうし、変えなければならないところもあるだろう、とつくづく思った。
 
 図書館で借りているミードの『地球時代の文化論』をまた少し読む。過去志向の文化、現代志向の文化、未来志向の文化と論じていくこの本は、ウォーレスの本とセットで読むとおもしろそうなのだが、、、、、

だらくモード(I)

 起きたら昼。結局外出もせず、起きたときのまま、2人で「だらくモード」にて過ごす。昼ご飯(トマトソースのスパゲティ・バジル添え)製作は同居人、晩ご飯(焼き飯と味噌汁)製作は私。しかし、「だらくモードのワタシたち、墜ちてゆくワタシたち」と同居人に言われると、「明日からまた私は仕事であり、400連休と一緒にせんとってくれ」と思うのであった。

 昨晩少しだけ読みかけたカタログハウス編『大正時代の身の上相談』(ちくま文庫、2002年)を読む。大正三年(つまり1914年)に読売新聞紙上に「身の上相談」が登場した。連日1、2件ずつ掲載された「相談」のなかから、「いかにも大正人らしい相談」と「現代を先取りしたきわめて普遍的な悩み」を中心に選んで編まれたのがこの本である。しかも、平成時代のコメント(カタログハウスの人だろうか、どこにも素性は書いていないが内容から推すに、30代半ばか40代と思しき女性が、収録された「大正時代の相談と答え」にコメントをつけている)がついていて、このコメントがややうるさい部分はあるものの、あまりにも婉曲でまわりくどい大正時代の表現についての解説にもなっている。さらに、大正時代の小説や随筆等から採られた数行がパートごとに1ページ入っていて、大正時代の雰囲気を伝える。例えばこんなのが採録されている。

▽人生とは畢竟運命の玩具箱だ。
 人間とはその玩具箱に投げ込まれた人形だ。
   有島武郎『迷路』--大正七年 (125ページ)

▽なる堪忍はだれもする。
 ならぬ堪忍するが堪忍というのはもっともである。
 が堪忍袋に癇癪玉が収められて居らなくてはならぬ。
 癇癪玉のない堪忍袋は意気地なしの荷物である。
   三宅雪嶺『世の中』--大正三年 (257ページ)
 
 巻末解説の小谷野敦が「大正時代というのは、恋愛や結婚に関して、現代の基礎となる考え方が固まった時期であると言ってよかろう」と書いている。ああそうだろうなというくらい、収録されている「お悩み」はおもしろい。そして「人生相談なるものは、その時代のその国の、平均的人間の道徳観、人生観を映す鏡になる」。読売新聞では今でも「人生案内」という相談の場所がある。ときどき読むのもそれなりにおもしろいのだが、これだけまとまったものを読むとある時代に生きた人たちのものの見方、考え方がざくっと分かるような気がする。

笑いすぎて、涙(III)

 WHOはこんな障害分類をやってきた。つまり
   I=Inpairment(機能障害)
   D=Disability(能力障害)
   H=Handicaps(社会的不利)

 三好は、近代的な個体還元論に依拠しているところがまず問題だという。”個体”が発想のベースにあるから、これらIDHへの対応もやはり”個体”の問題として考えられてしまうのがまずいというのだ。足が利かなくなりました(機能障害)に対しては、リハビリで足を可能な限り動かせるようにしましょうになる。箸でご飯が食べられなくなりました(能力障害)に対しては、お箸を使えるようにの訓練があてがわれる。

▽H(社会的不利)もまた同様である。この一見、個体から離れた社会的位相をもったかに思える言葉も、社会をここの障害者とはかけ離れたところに前提的に存在させ、その社会と障害者個人とを対立するものとして捉えている。従って、個人を社会の側に適応させるという、「ウルトラ能力主義」(障害者に健常者以上の能力を!)になるか、逆に「社会を変えよう!」と叫ぶ社会派による「バリアフリー運動」や、政治理念への障害者の囲い込みになるといった結果しか生んでこなかった。(104ページ)

 さらによろしくないことに、これはI→D→Hという因果関係として捉えられ、社会的不利の原因は能力障害、そのモトをただせば機能障害という発想から、障害者へのアプローチはますます訓練第一主義になってしまった。いじわるく言えば「健常者並みに動くカラダをもてば、DisabilityもHandicapsも乗り越えられる!」ということだ。ある一定の時期と状態ならともかく、慢性疾患をもっていたり、これ以上は曲がらない関節を、どないする気じゃ。

 行きたいところへ行こうとするココロ、食べたいものを食べようとするココロこそが、カラダを動かすのだ、ということである。これを箸で食べたいという希望があれば、箸を使えるよう本人も努力するだろう。これを食べたいのだというヨクボウの前には、箸がうまくいかなければ匙でもフォークでも、食べることができればいいのだ。食べたいものも、歩いて行きたいところもないのに、リハビリは辛い(だろう)。

 母ちゃんは、辛気くさいリハビリ(ひもにビーズを通すとか粘土をこねる)よりもドライブに出て、おいしいものを食べるのがすきだった。もっとつきあいたかったと、最後の2年を離れて住んでいた私は思う。 
  
 
 
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乱読ぴょん

Author:乱読ぴょん
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本ネタのミニコミ誌『ブックマーク』を編集発行しています(1990年9月創刊~ 昔は隔月発行でしたが、今は年2回発行で、現在92号)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2014年4月(313号)より「本の道草」を連載中(現在、第67回)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2004年3月(192号)より2014年3月(312号)まで、本ネタ「頭のフタを開けたりしめたり」を連載(全119回、連載終了)。

『くらしと教育をつなぐWe』誌で、1999年4月(71号)より2014年2月(188号)まで、本ネタ「乱読大魔王日記」を連載(全118回、連載終了)。

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