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読んだり、書いたり、編んだり 

ボディイメージ?(II)

 鏡に映った「自分」が分からない時期のコドモ、というのを思い浮かべてみる。こういうコドモには「ボディイメージ」はない?
 奇しくも全盲の石川准のことばが巻末に引かれている。ボディイメージというのは心象とか心理像だというけれど、石井も「どう見ているか」と書くように視覚に重きが置かれた話のようだ。例えば、石川准のボディイメージ?見られっぱなし?相互の関係性?

 ***
 今朝は雨の降りそうな空だったが、昼から晴れてきた。気温は高めで、すこし薄着で出勤した。今日も眠い。1週間過ぎるのがひどく速く感じられた今週。来週末はもう3月ではないか(びっくり)。
 昼休みに弁当をたべながら、佐野眞一の『人を覗にいく』を読む。もう半分をすぎて、終盤に近づいている。
 帰りに、父ちゃんから頼まれていた本を2冊、届けに寄って、広島のおばちゃんから送られてきた八朔をたくさん分けてもらって帰宅。
 
 月刊アクロス編集室『大いなる迷走』(PARCO出版、1989年)は、「団塊世代の物理的かつ心理的な漂流と迷走の内実を跡づけ」ようとしたものだという。団塊世代、全共闘世代、ニューファミリー世代、ベビーブーマー等々、この”大量”の集団の呼び名はいろいろとある。既存の団塊世代論に与しないとわざわざことわったこの本で私がおもしろかったのは、冒頭から「国勢調査」のデータを用いて、まさに団塊世代の「物理的な」動きを示したところだった。団塊世代は地方から東京への集中の後、千葉・埼玉に流出した。1950年、1970年、1985年というそれぞれの年に、各都道府県人口に対して団塊世代がどれだけの比率を占めていたかのグラフは、団塊世代の人口を「送り出した」地方と「受け入れた」地方とを明瞭に示す。

ボディイメージ?(I)

 昨日のつづき。「ボディイメージ」について、石井が書いているところを抜いてみる。

▽ボディイメージとは、わかりやすく言うと<自分の体に対する心理像><自分の体をどのように自分は見ているのか。自分の体は他人にどのように見られているのか>という概念である。・・・
 自分の身長、体重、体型がどんなものかだいたい知っている。けれども、他者からどのように見られているのか、そればかりはわからない。だから、他人から自分はどう見られているのか、ということがわかる時、人は関心を寄せないではいられない。・・・
 誰でも心の中に、自分の体についてのイメージを持っている。これがボディイメージだ。それは五感のようなさまざまな知覚をもとにつくりあげられている。自分はその体をどう見ているのか、というボディイメージと、他人は自分の体をどう見ているのか、というボディイメージは、異なる。人はそのイメージのギャップを比較しながら生きているのだ。
 だが、そのギャップが絶望的なほど深くて大きい時、人はどうすればいいのだろうか。
 <美しくない>というボディイメージにとらわれたり、<醜い(劣った)体を持っている>と社会から烙印を押された人はどのような心理状態で生活しているのだろうか。(17-18ページ)

▽ボディイメージは、自分がどのように見られ、相手がどのように自分を見るか、という相互の関係性の問題である。(49ページ)

▽ボディイメージは比較する<まなざし>から生まれる。他者がその人の体を見つめて比較して感じるイメージとその人が他者の体と比較して感じるイメージがぶつかり合う。このふたつのイメージに残酷なほど大きなギャップがある時、その人は苦しむ。あるいは、他者も自分自身もその体がひどく<醜い>と認めざるを得ないとき、その人は絶望する。(241ページ)

 「自分の体を、自分がどう見ているか」-これは分かる。
 「自分の体を、他人がどう見ているか」-これもたぶん分かる。→「自分の体を、人がどう見ているか【を、自分がどう受けとめるか】」ということ???
 「ボディイメージは、比べようとするココロから生まれる」-何となく分かる。

 しかし、3つを並べてみると、ぐるぐるまわっているようで、れれれのれーになってしまう。しかも「相互の」(ということは一方的なものではなくて、自分と相手と両方向きの)関係性のモンダイだという、、、、、

眠い(II)

▽わたしたちは見えるものではなく見たいものを見るが、見たいものとは多くの場合、見させられているものであると思う。(29ページ)

 『降ります』並みのおもしろさ、とくにIV章の「王さまのオオサカ」には笑った。

 風呂上がりに、『迷いの体』の残りを読んでしまう。「ボディイメージ」、、、、、

眠い(I)

 昨日も今日もやたら眠たい。昨晩は眠さのあまり、さっさと歯磨きをして、布団に中村和恵の『ボクハドコニイルノ』(彩流社、1998年)を持ち込んでとろとろと愉しみ、まぶたがぐぐぐぅぅっと落ちたところで本を置いて寝た。明け方、空腹感で目が覚める。眠気を押しのけるほどではなく、しかし眠気がまったく勝つわけでもなく、ゆめうつつで朝になる。
 一昨日はコートを着てマフラーをぐるぐる巻いていても寒い寒い寒いと声に出たほどだったが、昨日も今日もぽかぽかと陽がさして暖かい。とはいっても暖房なしでOKというほどではない。とにかく眠く、昨日も今日も集中力が続かない。あの、いまの半分くらいの歳だった頃の、オヤに叱られたほどの没頭はもうできないやろか。どうやろか。本を読みふけるあまり、なーんも聞こえないまま、気が付くとオヤが「よんでも来ない」とか「なんべんもよんだヤロ」と怒っているのである。なつかしや。
 
 今日は仕事を忘れようと、借りてきた石井政之の『迷いの体』(三輪書店、2001年)を読んでみる。醜形恐怖というのは聞いたことがあったけれど、男性のほうが女性より高い率で醜形恐怖に悩む、それは精神科医のなかでは常識だ、というのを読んで、ふ~んそうなんや、と思う。女性は化粧やファッションで”美しさ”をコントロールできるからではないかという解釈が書いてある。サブタイトルにもある「ボディイメージ」というのが掴みづらい。自分自身がもっている「ボディイメージ」と、他者が(自分に対して)持つ「ボディイメージ」と、そのズレやギャップが、、、、、云々とも書いてあるようなのだが、その「ボディイメージ」は他者と自分とを<比べる>ことで生じるものだとも書いてある。

 本読み風呂では、中村和恵の続きを読んでしまう。
▽より優れている、正統であると思いこまされているものから自分をひき剥がしていく作業は、見当違いな方向に自分を連れていくように思え、不安をかき立てられるのだけれど、どこかで開き直って自信がないまま自己肯定しないと自意識過剰に潰されてしまう。借りものの風景から始めてしだいに足元の大地に近づいていったひとびとの足跡は、わたしにとっていろんな意味で励ましだった。(146-147ページ)
 
 
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乱読ぴょん

Author:乱読ぴょん
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本ネタのミニコミ誌『ブックマーク』を編集発行しています(1990年9月創刊~ 昔は隔月発行でしたが、今は年2回発行で、現在92号)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2014年4月(313号)より「本の道草」を連載中(現在、第67回)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2004年3月(192号)より2014年3月(312号)まで、本ネタ「頭のフタを開けたりしめたり」を連載(全119回、連載終了)。

『くらしと教育をつなぐWe』誌で、1999年4月(71号)より2014年2月(188号)まで、本ネタ「乱読大魔王日記」を連載(全118回、連載終了)。

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