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読んだり、書いたり、編んだり 

帰ってきた勤勉マン

 朝から会議その他でくたびれる。夜は帰ってきた勤勉マンによるキムチ鍋。しかしニラとネギを忘れている。

 お持ち帰り残業のことが頭の片隅から離れないまま、小倉千加子の『松田聖子論』(朝日文芸文庫、1995年)を読む。冒頭で、林真理子が構成した聖子の自伝風のエッセイがあることを知る(今は絶版との由)。ちょっと読んでみたくなる。
▽この本の中の<不気味さ>は、聖子が私はこうありたい、こうなりたいという形で語る価値観や理想的自己像と、聖子が今までこうだった、あるいは現にこうであるという経験や現実的自己とが妙にズレていて焦点が重なりあわないでいること、しかもそれに聖子本人が気がつかないでいるらしいことに林真理子が気づいているところにあります。(14ページ)

 小倉千加子は、山口百恵と対比するかたちで松田聖子を(というより、松田聖子という記号を)論じていく。どちらの女性も「自分が演じているところのものそのものに変貌」していったのだという。そしてこれは「フェミニズムのパロディ本」だといい、読者にゲラゲラ笑ってくれと要望する。
 読後感は、さながら橋本治の『89』--この小倉の親本はあの89年の1月7日にあとがきを書いたものだという。

▽学生運動が終わった時、後に残ったのは、近代的自我を持っているつもりで、その実、女性には前近代的投影しかできなかった男たちと、対等の立場で運動に参画したはずだったのに、男性との協力は男性への奉仕にすぎなかったことに気づいた女たちの、不毛のセクシュアリティの歴史だけだったのです。(179ページ)
▽男社会にとって、温室の中に入れて庇護してやっている少女が、<野心>という男の持ちものを持って、温室の外に跳び出すなどということは、許されることではありません。それは、男の女に対する庇護の価値を愚弄することです。
 平凡こそが女の幸福であり、非凡を生きるのは男の特権だからです。
 そして、男社会で生きざるを得ない無数の女たちにとっても、同じ温室の中で内心の退屈を押し隠しつつ、互いを避難場所としてかばいあって生きていこうとする黙契を破る所業であり、やはり断じて許せないのです。
 自分たちが実行せず、聖子が実行した唯一の行為が、自分たちの不幸と退屈の原因を教えてくれるからです。
 聖子がした行為とは、ほかならぬ<決断>です。(202ページ)

 ある現代史。あるいは社会史。
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乱読ぴょん

Author:乱読ぴょん
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本ネタのミニコミ誌『ブックマーク』を編集発行しています(1990年9月創刊~ 昔は隔月発行でしたが、今は年2回発行で、現在91号)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2014年4月(313号)より「本の道草」を連載中(現在、第65回)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2004年3月(192号)より2014年3月(312号)まで、本ネタ「頭のフタを開けたりしめたり」を連載(全119回、連載終了)。

『くらしと教育をつなぐWe』誌で、1999年4月(71号)より2014年2月(188号)まで、本ネタ「乱読大魔王日記」を連載(全118回、連載終了)。

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