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読んだり、書いたり、編んだり 

本と忘年会の日々(I)

 金曜は職場の若いもんで忘年会。朝から雨で冷える一日だった。職場で書架納入を発注した業者の営業担当がボケナスで、この1ヶ月ほどのあいだに、アポをドタキャンされたり、1週間で納品可能と言っていたものが入らなかったり、規格品なのでOKと言われていたものが規格に合わないから別注だと言われたり、なんだかもうめちゃくちゃなのである。とにかく連絡してこない。図面を引いてご提案させていただきますと言うから待っていたら2週間たってもなしのつぶてとか、週明けの納品をご予定くださいと言うから準備しているのに前週末になってもまったく連絡がないとか。アポをドタキャンされたときもそうだったが、毎度こちらから先方の社へ電話して、それも1度では連絡がもらえず、2度3度と電話してようやくその営業担当から連絡が入るという状態である。なめとんのかコラ、と私はかなり怒っている。あまりにもひどい、ひどすぎるので、その営業担当の上司へ苦言を呈しようかと思っているところである。怒りんぐのあまり、この間の事実経過を克明に記した文書を用意している。おたくの営業担当さんの、こういう対応について、上の方はご存じなんでしょうか。あームカつく。忘年会の前に、その営業担当のボケナスぶりについて、同僚にひとしきりグチ子ちゃん。午前中に連絡をくださいと社へ電話したのに夕方になっても連絡がないので、こちらからまた電話をかけたら、なんとその営業担当は社にいたのである。おるんやったら電話せえ。金曜の晩は聞こし召して深夜に帰宅するも、昼間のこの営業担当のボケナスにむらむらと腹が立って、なかなか寝付けず。

 土曜も忘年会(介護の集まりのもの)。土曜は昼頃まで睡眠をとり、昼からは洗濯しつつ客人来訪にそなえて全館清掃。夜の忘年会のあとの宿泊予約が入っている。トイレの掃除をして、風呂の掃除をして、客用布団を乾燥機にかける。忘年会の料理は珍しく美味しいものが並び(常は奇妙奇天烈な料理が少なからずある)、私はなぜか「アイドル賞」などいただいて、0時半頃に客人とともに帰宅。同居人は宴会後の徹マンである。それから風呂をわかし、朝食の支度をして、2時半頃就寝。明け方に同居人が麻雀を終えて帰宅。その後3人とも10時頃起床。朝食はご飯(石川直送)、味噌汁、大根ずし(石川直送)、卵焼きである。食後、広島からの帰り道に岡山で買った「ヤーリー(鴨梨)」をむいてみる。

YASUKUNI(III)

 そして本読み風呂で、とうとう『靖国』を読み終わる。靖国神社はじつにモダーンな場として発生した、らしい。さっきたまたま古本屋のWebサイトで検索していたら、『反靖国反天皇制うんぬん』といったタイトルの本があった。「反天皇制」とならんで「反靖国」と言われてしまう”靖国神社”になったのだなア、とこの本を読み終えた私は思う。
▽・・・大村益次郎の銅像を中心に新大鳥居(現・第一鳥居)から旧大鳥居(第二鳥居)に至る空間は、かつて広場だった。民衆の広場だった。その外周を使って例大祭のたびに競馬が行なわれ、多くの人びとを集めていたことは既に述べた。
 靖国神社といえば現在、その宗教的な側面のみが語られがちである。靖国神社すなわち宗教であるとは私には思えないけれど、たしかに信仰の場ではある。そして私が明治期の靖国神社に心引かれるのは、信仰の場でありながら、閉じた感じはなく、とても開かれた感じがするからである。それも一つには、大村益次郎の銅像を囲む、この広場の存在にあるのだ。(104ページ)
 
 こういう話を読んで、私は二ヶ月ほど前に読んだ安藤忠雄設計の「光の教会」のことを思い浮かべる。信仰の場ではあるが、広場でもある、と。

YASUKUNI(II)

 帰って、昨日途中まで読んだJMMの『若年労働者の危機 未来のあるフリーター未来のないフリーター』をまたたらたらと読んでみる。後半の「金融経済の専門家たちに聞く」のところはだんだん眠くなったが、ここの中で「子供に望む人生」を訊ねた項がおもしろかった(昨日買ったのは、フリーターの話に興味があったのと、この質問がおもろいなと思ったからだ)。ほとんど読んでしまうが、メールマガジンを編集し、かついろんな人のレポートなどが載っていて、前半は座談会で、装幀は雑誌風で、”本を1冊読んだ”感はひじょうに薄い。自称フリーターの数編のレポートやら、もとはメールらしいから、(どこらへんまで文章の手入れして編集してるんかな?)と考える。「子供に望む人生」を専門家たちに訊ねた、その答えの並びのあとに、村上龍が書いていることが、こないだ印象にのこった三好春樹の文章のようだった。
▽高度成長期からバブルまで、日本における人生の選択肢はほぼ決まっていました。より良い集団に属して庇護されること、乱暴に言うとそれだけでした。今の日本のように人生の選択肢の基本に変化が生じているとき、「子どもの人生を決めるのは子ども自身だ」という「正しい答え」が、多様な生き方を子どもに示す必要性を覆い隠してしまう危険がないだろうかとわたしは思うわけです。(196ページ)

YASUKUNI(I)

 本を買ってばかりである。今日も数日前に注文した本が届く。金井景子ほかそれぞれ4名ずつで編集された『女子高生のための文章図鑑』(筑摩書房、1992年)と『男子高生のための文章図鑑』(筑摩書房、1993年)、それとヘレン・ガーリー・ブラウンの『恋も仕事もやめられない!』(文春文庫、2001年)である。文章図鑑は、こないだ読んだ『男女という制度』の金井景子の文章の註のところで出てきたもので、安かったし(A5サイズで200ページ以上あって、千円しない)注文してみたのだ。対になったようなタイトルと装幀のこの2冊、奥付によると『女子高生のための・・』ほうが売れているらしい。こっちが3刷りで、『男子高生のための・・』は1刷りである。背表紙に刷られたタイトル文字の色が女子=赤、男子=青といかにも対になっていて笑わせてくれるが、編者らの意図はこの「らしい」ところとは違っている。
▽この『文章図鑑』は、好き嫌いはそれぞれにあるとしてもまずはたくさんの女主人公(ヒロイン)に出会い、女の人たちの発するさまざまな表現を受けとめるための場所である。まずは「へぇー、いろいろいるなあ。こんなこともあるのか」と楽しんでもらいたい。(『女子高生のための・・』、iiページ)
 なかみは教科書風、というより学校の教科書を意識したつくりにしてあるようだ。いくつもの文章や表現(マンガも含む)の断片を編んだもの。そのそれぞれの作者の顔写真がばっちり入っていて、かつそれが(この本がほぼ10年前のものだということを差し引いても)古くさい風情をただよわせ、教科書らしさを盛り上げている。鉛筆で落書きしたくなるような顔写真である。筑摩はこれまでにも高校生のための三部作として『文章読本』『批評入門』『小説案内』(私はこのうち『批評入門』をもっている)を出していて、その流れのものらしい。
 『文章図鑑』に収録されている作者たちとその収録作品とを目次でながめてみると、懐かしのコクゴ教科書のようである。マンガも含まれているとはいえ、ほとんどが活字、かつ大部分は二段組。読むのがすきな子向きやなー、いまの大学生でもこれ読みきるやろかなーと思ったりする。
 『恋も仕事もやめられない!』はブックマーク用のアンケートにあがった本のひとつ。この著者は「コスモポリタン」という雑誌の元編集長だそうな。

本買い虫(III)

 ところが、「在庫がないらしい」とか「品切れになるかも」という情報をゲットしたり、勘が働いたり(そういう時もある)すると、とにかく買っとけーと”買い物かご”に突っ込んで、”注文確定ボタン”をさっさと押す私。消える本はすぐ消えてしまう。ものによっては、2年もすれば文庫に入ったりして、買ったはいいが実はまだ積んでいる親本を文庫で見かけると(アア・・・)と一瞬思う本もある。けれど、消える本のほうが多い。職場近くの本屋では、毎日のように本を引き取りにいくせいか顔パスになって、「検索して在庫なしって出たら、一声かけてみてください、直接出版社に問い合わせることもできますから」と有り難いお言葉をかけられていた。それでこの『ジェンダーと教育』のことを言ってみた。「あったら入れてください」と頼んだら、翌日もう手に入ったのである。聞くと、世織書房に直接連絡したところ、取り次ぎのS書店が倒産したために本が出せない状態だったそうで、本はとりいそぎ宅配便で送ります、取り次ぎとの交渉はこれをきっかけに・・・と、私の頼んだ1冊をきっかけに、世織書房は日販を通して本を流せそうだ、ということだった。その世織書房がソッコーで送ってくれた本が、次の日には私の手に入ったのである。前の日のもうあれは夕方だったのに、それでも翌日。すごいことであるなあ~

 昨日、同居人の弟君のオクさんの母上より、大根とニシンの糀漬(大根ずし、ともよばれる)が届く。私が石川の糀漬(かぶらずし、大根ずしなど、魚とかぶらや大根を糀で漬けたもの)が好きだと言っていたのを「娘から聞いて」と送ってくださったのだ。ペン習字の「手紙見本」みたいなお手紙もついていた。いちど自家製でつくられたそうなのだが、あたたかい日が続いて発酵がすすんでしまったので、お友達のグループがつくったものだという。売り物ではない、自家製である。それを晩のおかずにいただく。これがウマイ。同居人と二人して、ウマーウマーと鼻息荒くなりながら、ごはんが足りないくらい食べた。かぶらずしはどちらかといえば贈答用のよそいきで、大根ずしはそれぞれ家で漬けるものだという。私もつくれんやろか、と少し考える。教わったら、できるやろか。

本買い虫(II)

 で、帰ってきてからよーく見てみると、これもカバーの袖に刷ってある著者略歴に『金魂巻』という字がいっこも出てこない。(いくら絶版でも、書くヤロ、ふつー)と思いながら、本をぱらぱらやっていると、どうも雰囲気が違うのである。そして気づいて調べてみると、藤原和博はスーパーサラリーマンで、タラコプロダクションといっしょに『金魂巻』(ちくま文庫)を出したのは<b>渡辺</b>和博であった。ちょっと名前が似てただけ。調べついでに分かったのは、渡辺和博とタラコプロダクションはその後『金魂巻の謎』というのを同じちくま文庫から出していて、でもどっちも現在品切れ。私は『金魂巻』のほうは持っていて読んだこともあるのだが、目次情報によると、この続編『金魂巻の謎』もかなり面白そうなのである。図書館でリクエストか。

 昨日買った7冊の内訳は、昨晩読んでしまった『九八歳の妊娠』のほか、雲母書房が出している「子どもプラス」という季刊誌(雑誌のようだが、流通上はISBNがついて本扱い)のバックナンバーが3冊、こないだ読んだけどほしくて買った『子どもが子どもだったころ』(集英社文庫、2001年)と、加藤郁乎(かとういくや)の『後方見聞録』(学研M文庫、2001年)、それと『教育学年報7 ジェンダーと教育』(世織書房、1999年)である。この世織書房の本が、すごいことに本屋に頼んだら翌日に入荷したのである。私もびっくりした。職場近くの本屋で受け取れることもあって、私がいちばん使っているネット本屋は日販がかんでいる「本やタウン」である。私もばかすか本を注文するので、経験値がアップして、検索した画面で「日販在庫欄」にも「出版社在庫欄」にもマルがついていない場合には、”待たされた挙げ句に、入らないことがほとんどだ”ということをおぼえた。
 『ジェンダーと教育』は前々から、買おうかどうしようか迷っていた本だった。世織書房の本は、藤原書店に似て、たいてい高価なのである。この『ジェンダーと教育』も五千円以上するのだ。本によって「値ごろ感」が違うから一概には言えないが、単体の値段が四千円をこえると、(まずは図書館で見てから)などと思ってしまう。

本買い虫(I)

 このところ本買い虫が大発生していて、毎日のようにばかすか本を買っている。今日は仕事帰りに久々に本屋に立ち寄り、ぶらぶらと本棚を見て歩く。そして3冊買って帰る。まず「JMM Vol.13 若年労働者の危機 未来のあるフリーター未来のないフリーター」(NHK出版、2001年)を手にとる。村上龍がやっているJMM(Japan Mail Media)は聞いたことがあり、初めて聞いたときにWebサイトを探してちらっと見てみたりもしたが、メールマガジンの購読まではしていない。本になってまとまっているのも知っていたが、バックナンバーが揃っているのは初めて見た。で、いくつか手にとってみて、ぱらぱらっとやってみて、この号を買うことにした。単行本のところも平積みの棚から本棚までぐるぐる3周くらいしたが、結局文庫本のところを4周くらいして、清水ちなみ『清水ちなみ改造講座』(ちくま文庫、2001年)と藤原和博の『給料だけじゃわからない!』(ちくま文庫、2001年)の2冊を買うことにした。帰ってきて読んでみると、清水ちなみの文庫はその昔『ちなみの脱サラ物語』という単行本だったものにオプションがついてまとまったもので、その『ちなみの脱サラ物語』は、広島で勤めていた頃の最後のほうで「クソーやめてやる」とバクハツしそうになっていたときに図書館で読んだことがあった。いちど読んだ本だったのだが、もういちど読んでも、げへげへ笑える、電車向きではない本なのだった。でも広島で読んだときにはこんなに笑わなかった気がする。
 藤原和博の本は、表紙の著者の名前のうえに小さい字で「スーパーサラリーマン」と書いてあって、(ハテこの人こんな肩書き名乗るのかねえ)と思いながらぱらぱらっと見て、(たしかこの人ちくま文庫でマル金・マルビがどうたらいう本を出した人よなあ)とカバーの袖(たいていの文庫にはすでに収録されている同じ著者の本や似たジャンルの本が並んでいる)をちらっと見るも、そのマル金・マルビの『金魂巻』というタイトルは並んでいなくて、(あーもう絶版なのか)と勝手に納得して購入した。

九八歳の妊娠

 本がたくさん入荷した。この数日頼んだ本7冊。下村恵美子+谷川俊太郎[詩]のコンビによる『九八歳の妊娠 宅老所よりあい物語』(雲母書房、2001年)を、帰ってきてからムサボリ読む。

 すぐには言葉にならない。ロバの耳がたくさんできた。

堕落人間

 さむいさむいと口に出る一日。そしてやたら眠たい。お茶をいれるついでにコップに湯をそそいで温めても、お茶がすぐ冷めてしまう--そんなところに冷え込みの厳しさを感じる日であった。
 帰ってくると、なんということか、同居人は「寒いもん」という理由で、堕落モード全開。朝からずっとパジャマのままで、タバコをすうほかは外へ出ていないという。なんということか。こんな堕落人間につきあってられんので、味噌汁をつくり、丸芋を包丁の背で叩き・・・・・ 晩ご飯を「ごちそうさま」と食べ終えたら、こやつ「どういたしまして」とぬかして笑うのである。ちょ~むかつくウー。
 温風にあたりつつ、これもほやほやのカーペットに寝そべって、斉藤美奈子編の『男女という制度』のうち、読んでいないものを読む。大塚ひかりの「文学は美醜をどう描いてきたか」ほか、なかなか面白く、調子に乗って、金井景子の「ジェンダー・フリー教材を探しに」で挙がっていた『女子高生のための文章図鑑』ならびに『男子高生のための文章図鑑』をネットの本屋で注文してしまう。大塚ひかりのこの文章のモトになっている「ブス論」は雑誌「鳩よ!」に連載されていた頃に毎月たのしみにしていた。あれは今年『太古、ブスは女神だった』という本になって出たそうだ。やはりあれも読みたい・・・買おうかなー

目配り・子ども・秘密(II)

 <b>橋本</b> そう、誇りなんですよね。自分はこれだけ悪いことできる能力あるんだぞ、ただの善良な子じゃないんだぞ、みたいな。
 <b>毛利</b> そこで、ほかでもない自分自身ができてくるわけだし、世の表向きの規範のインチキさを暴く勇気と機知も身についてくるんじゃないかな。(126-127ページ)
 この本、文庫に入ってないかと検索してみたら、集英社文庫に今年入ったところだった。ので、本は読んでしまったが、注文する。「子どもはおとぎ話、つまり嘘によって育てられていく」という話や、仕事の話、性の話など、おもしろい話がたくさん入っている。

 昼ごはんに「芋汁」をつくる。同居人の里より送られてきた「丸芋」をすりおろして、味噌汁に浮かべたもの。それと、ありあわせの具でつくった焼き飯でお昼。
 今日はどうしてもN図書館へ本を返さなければならない(他館から相互貸借で借りてもらった本をカウンターへ返さなければならない)ので、土日にはあまり行きたくないのだが、閉館の30分ほど前にクルマでN図書館へ向かう。道が込んでいて、閉館までにたどりつけないかと案じたが、なんとかぎりぎり間に合って到着し、本を返却、2冊を継続で借りる。帰りに買い物をして帰宅。
 ごろごろしながらまた坪内祐三の『靖国』を読む。本読み風呂もして、もうおわりが近づいてきた。やはりこのへんで最初を読みかけてほったらかしている山口昌男の『「敗者」の精神史』を読むか、と思う。

目配り・子ども・秘密(I)

 昨日届いた「Bricolage」に三好春樹が書いていたこと。
▽『閉じた関係、開かれた関係』:「25人学級になればいい教育ができる」なんてことを私は信じていない。私が小学生の頃は57人学級だった。先生の目はとても届かない。それがよかった。25 人しかいなくて、その担任と相性が悪ければ、その子の2年間は地獄だ。50人で2人担任がいれば、2人とも相性が悪いなんてことはあまりないだろう。いや、学級なんていう不自然な閉鎖的支配空間を崩していかねばならないのだ。「ユニットケア」がその閉鎖的支配空間にならない保証はどこにあるのだろうか。(「Bricolage」、Vol.103、21ページ)
 子どもには「見守り」が要るとは思う。しかし、それは常に見張ってるという話ではないだろうと思う。  

 毛利子来と橋本治の『子どもが子どもだったころ』(集英社、1998年)を読みかける。ある小学校で五年生の男の子三人が夏休みに「スイカ泥棒」をして見事みつかる。そして新学期早々のPTA総会で、その男の子のうちの一人の父親が、「なんでお前は三人で畑に入ったか、一人は見張りに立って、一人は自転車にカゴつけて待機しておって、一人で盗んでパッと逃げろって叱りましたよ」と発言した、そのことについての毛利・橋本ふたりの話。
▽<b>橋本</b> でも、それ[スイカの盗み方]を教わらないってことは、子どもにとって一番不幸なんですよね。
 <b>毛利</b> そう。世の中を生きる才覚がなくなる。
 <b>橋本</b> 今の子どもって、現実と切り離されて子どもだけでいるから、自分が現実に入り込んで何かやるという、その接点の感覚が全くないから、才覚がないんですよ。だから、五十円の金をくすねるんだったらまだいいけど、平気で五百万円の金盗みかねないっていう、大犯罪しでかしちゃうというところがあるんですよ。
 現実との接点をどうするかと考えて、徐々にいい方向にもっていくという形の教育をしない限り、子どもにとってのいいことは観念になっちゃって、全然身に染みないもん。
 <b>毛利</b> さっきのカニグズバーグ[児童文学作家、代表作に『クローディアの秘密』]という人もね、子どもには手立てを教えなくちゃいかんっていってるんだ。スイカ泥棒と同じで、秘密の保ち方ね。
 だけど秘密ってのは、ちょっと洩らしたいという気分もあるよねえ。
 

書き言葉(II)

 帰ってくると定期購読している雑誌「Bricolage」の12月/1月号が届いていた。ぱらぱらと眺めて、”この雑誌をご存じですか?”という広告で、知らなかった雑誌「季刊子どもプラス」を知る。雲母(きらら)書房から出ている、というところにも興味をひかれる。最新号には斉藤次郎という人が「干刈あがた論」を書いているのも気になる。バックナンバーリストの「特集」一覧もおもしろそうで、雲母書房のWebサイトへ飛んで、そのあとネット書店にて「子どもプラス」のバックナンバーを3冊と、同じく雲母書房刊の『九十八歳の妊娠』を注文する。宅老所よりあいから出た本で、近々出ると知って1ヶ月前に注文しようとしたときには、まだ店頭になかった。谷川俊太郎がこの本に関わっているのは、たしか「老後のために」と宅老所よりあいの一室を谷川が”予約”しているからだ。

 明日はN図書館へ本の返却にいかなければならない。まだ読んでいない本をいくつか出してみて、金子淳の『博物館の政治学』(青弓社、2001年)を途中まで読み、その後本読み風呂の友に坪内祐三『靖国』(新潮文庫)の続きを読む。「展覧会」の性質の話など、金子本と坪内本とはさりげなく通じている。
 
 
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乱読ぴょん

Author:乱読ぴょん
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本ネタのミニコミ誌『ブックマーク』を編集発行しています(1990年9月創刊~ 昔は隔月発行でしたが、今は年2回発行で、現在91号)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2014年4月(313号)より「本の道草」を連載中(現在、第65回)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2004年3月(192号)より2014年3月(312号)まで、本ネタ「頭のフタを開けたりしめたり」を連載(全119回、連載終了)。

『くらしと教育をつなぐWe』誌で、1999年4月(71号)より2014年2月(188号)まで、本ネタ「乱読大魔王日記」を連載(全118回、連載終了)。

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