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読んだり、書いたり、編んだり 

ほんの話

 昨日の晩は、小さい原稿書きをしていた。「ほんの話」というタイトルをつけてもらったコラムで、本の紹介をするという原稿である。こんどは何を書こうかな、と職場から本を持って帰って、ぱらぱらとどっちも読み直してみる。鶴見俊輔と福島美枝子が編者の『中学生は何を考えているのか』(同朋社、1999年)と、関川夏央、日下公人、奥本大三郎、森まゆみ、津野海太郎『品格なくして地域なし』(晶文社、1996年)の2冊。『中学生は何を考えているのか』にしようかなと思って、そっちを三分の一くらい読みなおしてみたら、最初に読んだときほどおもしろさを感じなくて、やっぱりこっちにするか、と『品格なくして地域なし』のほうを読みつつ、原稿を途中まで書いた。今晩は、「ブックマーク」のほうの追い込みである。表紙の「しおりの絵」もかかなければ。

 今日は父ちゃんに頼まれていた本と自分が注文していた本と2冊入荷。私が買ったのは矢野眞和『教育社会の設計』(東京大学出版会、2001年)で、買ってきて昼休みにぱらぱらと眺めてみると、これがなかなかおもしろい。部分的には清水義範ばりのおかしみがある。「ブックマーク」がすんだら、ゆっくり読もう。

吉本ばなな>さくらももこ

 干刈あがたとの対談も入っている、という理由で借りてきた吉本ばななの対談集『FRUITS BASKET』(福武書店、1990年)を読んでしまう。干刈あがたとの対談は「40代と20代」というタイトルがついていて、楽屋裏情報によると、鳥の水炊きを大食いしながらの話だったらしい。この対談を読んだあと、本のさいしょから順番に読んだ。収録されている対談相手は、島田雅彦、村上龍、景山民夫、内田春菊、高橋源一郎、さくらももこ、清田益章で、この本が10年前のものだというのを差し引いても、「え、吉本ばななが25歳!」と思ってしまった。生まれ年情報によると、吉本ばななは私より「ほんの」5つ上。出てきたときから、かってに30代くらいの印象をもっていたけれど、この人は若いときから登場してたんやなあと思った。この対談当時、島田雅彦も「まだ」29歳である。自分がその歳をとおりすぎてから見ると、「わっか~」と思う歳。それよりおどろいたのが、さくらももこより吉本ばななの歳が上だということで(1つ違いなのでほとんど同い歳だが)、思っていたよりもずっとずっと自分の歳に近い人なのでびっくりした。吉本ばななとさくらももこの対談を読んでいると、さくらももこに対する印象が、西原理恵子との「鳥頭対談」で出てきた群ようこみたいになった。書いたものやマンガを読むことで自分がもっていた「さくらももこ」イメージや「群ようこ」イメージが、がらがらっと変わった。サイバラと群ようこが似たタイプの人だとは思っていなかったのだが、鳥頭対談を読むかぎりは、ばばぁをののしる似たような人だったのだ。私がかってにつくっていたさくらももこイメージも、それと同じような感じで、おおっ、ときた。

 吉本ばななの小説はほとんど読んでいないのだが、『キッチン』、3年くらい前、あれがとにかく読みたくなって、図書館がその日休みで、古本屋でさがして手に入ったぼろい文庫本で、また読んだ。あのとき何がどうだったか、ぜんぜん思い出せないけど、また突然読みたくなるかもしれないと、そのとき買ったぼろい文庫本はいまも本棚にある。 

縮んだ?

 今週前半は職場の健康診断日で、いくつかの時間枠のなかで行けるところへ行くようになっている。昨日は行けなかったので、今日の午後の枠で行った。私は去年もこの職場の健康診断を受けたのだが、去年の私の用紙がみつからず、新しい用紙に記入してレントゲン、血圧測定、尿検査、身体測定とまわる。血圧がちょっと高めに出た。機械でぐいぐい測られたからか、ぎゅぎゅぎゅうううと腕が締め上げられて、「いたいいたいいてて」と思うくらいだった。「リラックスしてください」と言われるも、「いたいいたいいてて」であった。身体測定は、スゴイ機械があるもので、乗るだけで身長も体重も測られるのだった。頭のてっぺんを何かでおさえられずに、どういう仕掛けなのか身長が測れるのである。その機械のせいなのか、どういうわけか「身長」が以前測ったときより1センチくらい縮んでいた。その「以前測ったとき」というのが大学を出るときで、大学に入った年の「身長」よりも2センチも伸びていた。こんかいは逆に1センチほど縮んでいる。数ミリなら「誤差かな」と思うところだが、センチ単位で伸び縮みされると、誤差というには大きい気もする。以前「2センチ伸びた」ときは、二十歳をすぎてそんなに背が伸びるんかと思っていたが、三十をすぎたら今度は縮むのか・・・・・。それはともかく、あの機械の「身長が測れる」仕掛けを知りたい。

 帰りに予約本がとれてますと電話のあったN図書館へ寄る。なぜか1度流されてしまった干刈あがたの本をやっと借りることができた。ほかにリクエストしていた本のうち1冊は府立図書館からの相互貸借で借りることができた。今日借りた本は、干刈あがたの『名残のコスモス』(河出書房新社、1992年)、『ラスト・シーン』(河出書房新社、1991年)、それから松木武彦『人はなぜ戦うのか 考古学からみた戦争』(講談社、2001年)・・この3冊が市立図書館のもの。府立図書館から借りてもらったのが、池田央『テストの科学 試験にかかわるすべての人に』(日本文化科学社、1992年)である。どれから読むかなー。

 昨日読み終わった鷲田清一の『<弱さ>のちから』は、おもしろかったけど、ちょっと物足りなさも残った。『「聴く」ことの力』よりは、より具体的な話が多くてそれはよかったけど。

「べつに自分がいなくても」

 今日はだんだんやんでいくのかと思っていたら、時折強くなったり小降りになったりしながら、一日中雨降りで、またどばどば降っている。妹1号から月曜休みになったと連絡があり、晩ご飯を一緒に食べることにする。仕事帰りに途中の駅で妹をひろって、いったん帰ってから、同居人もいっしょに、3人で隣の駅の地中海料理屋まで出る。最寄り駅まで10分弱歩くあいだに、びちょびちょにぬれてしまうほど雨が強かったが、「おなかへった!」というほうが妹ともども勝って、「あーおなかへったおなかへった、はよたべたい」と向かう。今日もおいしかった。料理人にトマト好きがいるのではなかろうか。トマトの扱いがうまい。トマト好きにはうれしい。先月食べにきたときには「夏季限定」という白ワインのサングリアがメニューに出ていたが、今日は「冬季限定」というホットワインがあって、同居人が頼んでのんでみた。なかなかいけた。これからの季節にはよいかも。
 妹1号は、先月から勤務地が異動になって、異動先で「同じK社といっても、店によって全然雰囲気がちがう」というなかにいるらしい。以前の勤務店とちがい、今の店では「べつに自分がいなくても」とか「べつに自分がこの店にいて何がプラスになるわけでもないし」という気持ちになると言っていた。今の店にうつってからそういう気持ちがわいてくるようになって、辞めようかな、という気持ちになっているというのだった。「べつに自分がいなくても(ここはなりたつ)」というのは、多くの仕事場で生じる感情のように思えるが、感受する人と、そうでない人とがいるんかな、と思った。私は妹のその話を聞きながら「ここは自分がいなければなりたたない」という気持ちもキツいしなあと思っていた。

 帰ってから、読みかけていた鷲田清一の『<弱さ>のちから ホスピタブルな光景』(講談社、2001年)を読んでしまう。これは鷲田清一の「ケア論」であるらしい。妹が言っていた「べつに自分がいなくても」にかすっているような気もした。

「専用」意識

 午前中から雨が降り出す。しとしとと小降りだが、夜までずっと降っていた。午後は介護先に入った新人さんと旧人数名で遊びにいく。まず介護先のiさん宅でしばらくしゃべって、それからiさんも一緒にクルマ2台で出かける。行き先はカラオケ屋。iさんも新人さんもカラオケ好きということでここになった。「車椅子の方もどうぞ!」というわりと新しいカラオケ屋。店内にはエレベーターもあって、案内された部屋は「優先」とシールのついた、引き戸の入り口になっていた。車椅子マークのシールが貼られたトイレもあった。「専用」ではなくて「優先」というほうが、まだマシやなと思う。
 こないだ東京へ行ったときにはいった有楽町のとあるビルのトイレには、引き戸のついたいわゆる「車椅子用」のトイレがついていた。すごかったのはその扉にでかでかとシールが貼られていたこと--「身体の不自由な方専用です、云々」。これを見て思わず「なにをやっとんじゃー」と声が出てしまった。こういう「専用」意識は、さりげないけど、たくさんある。うちの最寄りのH駅は、電車とモノレール、駅が2つある。それぞれが管理するエレベーターがあって、この場所案内の標識が違う。片方は、四角い箱であらわしたエレベーターの中に、マルの下に棒がのびたような「ヒト」が3人表示されている。そして、「どなたでもどうぞ」みたいなプレートがついている。もうかたほうは、四角い箱であらわしたエレベーターの中に「車椅子人間」が表示されている。・・これがよくある「専用」意識。「どなたでもどうぞ」プレートのほうの会社は、「専用」意識をぶっとばした勢いか、しばらく前から「優先座席」もなくして、「どこの席であろうと、立つのがたいへんな方にはおゆずりください」という方式にかえた。これがベストだとは思わないけど、みょうな「専用」意識よりはずっといいと思う。

 で、カラオケで2時間ほどうたったあとは、みんなで晩ご飯を食べにいった。おなかいっぱい。帰ってきて、ひとやすみして、風呂に入りながら、鷲田清一の『<弱さ>のちから ホスピタブルな光景』(講談社、2001年)を途中までよむ。本読みの長風呂がきもちのいい季節である。

ダイニング・キッチン(II)

 非日常空間に舞い上がっているのか、しばらくすると父ちゃんは「もうなんでもええわ、めんどくさい」などと言い出した。「どれがええんや、おまえのいいのにしてくれ」とも言う。そんなこと言われても、このキッチンを入れるのは父ちゃんちで、使う主役は父ちゃんである。「今日ここで決めんでもええねんし、高い買い物やねんから、よう見とかな」だの「使うのはお父さんやねんから、お父さんがええのにせな」だの言いながら、一緒に見てまわる。流しの高さは90センチにして、釣り戸棚の下につけるのは先方のすすめる「扉つきの水切り」ではどう見てもうちの父ちゃんのスタイルに合わないのでなるべくシンプルな棚に変え、引き出しや戸棚の色とタイルの代わりに貼るパネルの色、それから一緒に工事をしてもらう床材の色とを決めた。父ちゃんはまた「もうそれでええわ、めんどくさい」と言っている。それをおさえて、「来週、変更分の見積もりをみてから、返事します」と帰ってきた。

 今日読んでしまった藤森照信の『天下無双の建築学入門』(ちくま新書、2001年)は、いろいろおもしろい話があって、読んでいてくくくくと笑うところも多かった。今日は父ちゃんの台所につきあったせいか、「ダイニング・キッチンの知られざる過去」が、わけてもおもしろかった。調理と食事を一緒にするなんてのは「ちゃんとした家庭」のすることではなかったそうである。DKの発明は日本の公団住宅に始まり、その公団住宅で生まれ育った私には、調理と食事を一緒にするのは身についた「フツウ」である。あとおもしろかったのは、各地で復元されている「縄文時代の暮らし」はウソだという話。雨の日でなければ、食べたり寝たりは住居の外でしていたそうである。遺跡に見る限り、土器や石器は家の外から出てくるそうで、「竪穴式住居内で炉の火を囲んだ家族のだんらん」といった復元図は、現代の家庭の光景を反映したにすぎない、という。「昔」のことを、「今」の眼で見るときにはじゅうぶん気をつけなければ、自分にとっての「フツウ」でモノゴトを見てしまうのだろう。

ダイニング・キッチン(I)

 和製英語だというダイニング・キッチン。父ちゃんがそのダイニング・キッチンの台所を改修すると言い出した。だいぶ前から変えようかな~とは言っていた。妹ともども私もすすめていた。とくに流しが低い。高さが80センチである。父ちゃんは歳のわりには背が高いので、この「(おそらくは)ふたむかし前の日本女性の平均身長」あたりに合わせたのであろう高さが合わず、一時期は腰が痛いと言っていた。父ちゃんが台所の支配権を握ったのは早めに退職してしばらくしてからだったと思う。たしか。母ちゃんが本格的に病人になってからはもう全く独壇場になった。だからもう10年ほど台所に君臨していて、父ちゃんと数センチ身長が違う私でもこの流しが「低い」と思うくらいなのだから、変える気あるんやったら高いのに変えたらと以前からすすめていた。でも父ちゃんは「気が重い」だの「めんどくさい」だの、背の低い流しにも「慣れた」だの言いながら、そのまま台所を使っていた。
 歳のせいもあるのか、父ちゃんはなにかと「めんどくさい」らしい。しかも日々淡々とスケジュール通りに生活するよう心掛けているためであろう、「なにか」非日常的なコトを起こすのが「気が重い」し「しんどい」らしい。それでも、この老人は思い立ったらめちゃくちゃに素早い。私のところへ「台所を改修する」という箇条書きのメールが届いたのが数日前で、もうその時点で妹の夫から紹介されたというリフォーム屋と会っていた。土曜ならつきあえるけど、とメールを書いたら、もう「土曜に展示場へ一緒に行ってくれる」ということになっていた。思い込み(というか、自分に都合のいい解釈)が勝るのも歳のせいか。
 というわけで、今日は昼過ぎにモノレールに乗って、父ちゃんちへ向かう。最寄り駅からてくてくと歩いていくのが気持ちのいい陽気だ。約束通りの3時にリフォーム屋の営業マンが迎えにきてくれて、その人のクルマで今度入れ替える予定の「キッチン」の現物を展示場へ見に行った。基本のパーツをいろいろ組み合わせて、扉やパネルの色を選んで、というようなものなので、「見積もりのここの部分は、これと同じです」とか「ここのところは、これになります」とか、説明を聞きながら、こぢんまりとした展示場をうろうろと歩きまわる。

秋晴れのもと、一日中座りづめ

 朝は「さむー」と声の出る季節になりつつある。今朝の冷え込みに(半袖かたづけよう)と思った。今日は朝はやくから夕方まで、職場の行事のため、一日中人の話を聞いて座りづめ。外は気持ちのいい秋晴れやというのに、室内で座りづめ。この行事の下準備のため、いつもより1時間早く起きて、1時間半も早い出勤。行事終了後、とっとと帰った。くたびれた。

 今日は、こないだの日曜に散歩したときに見た、T駅近くの住宅街に関係ありそうな論文を手に入れ、帰ってからちょろっと読んでみた。菊池城司「阪急沿線における住宅地と教育」という論文。それによると、こないだ見かけたでっかい真っ直ぐな通りをもつあのあたりは、「新屋敷」と名付けられた、新たに切り開かれた宅地であった。その論文が参照する古い資料によると、あの大きな通りふたつは「千歳通」「若葉通」という(今もその呼び名があるのかは分からない)。
 そして、この「新屋敷」住宅ほか、この市内にひらかれた宅地には社宅や社員寮などがかなり昔から入り込み、その一部は今も残っていることがわかる。この論文を書いた先生は、古い資料や写真によってこの宅地のあたりを見ているようなのだが、実際に足を運んであの大きい通りを見たんかなー。あの通りの姿をもしナマで見ていないのであれば、ちょっと散歩にさそってみたい気がする。

 夜のお楽しみはこないだ買った藤森照信の『天下無双の建築学入門』(ちくま新書、2001年)である。藤森さんは(弥生より)縄文がすきで、(弥生チックなものより)縄文チックなものを愛している。そして、かなりヘンなことを考える、妄想たくましい人である。・・・ということが、とりあえず80ページほどよんでよーくわかる。夏休みに「マがさして、”自家用縄文住居を作ろう”と、思い立って」しまうことは、あまりないでしょう。こういうのをヘンな人とよぶはずだ。
▽縄文人たちは木を伐るのも組み立てるのも家造りのすべての作業を共同で行なっていたと思われるが、少し前まで田舎で日常的に行なわれていた村人総出の茅葺きは、そんな縄文時代から唯一生き残った家造りの伝統にちがいない。(69ページ)

男性が日常の買い物も(III)

 今月に入ってから続くアフガン空爆のニュースを毎日みながら、この本を読むと、「ほんとうのこと」は何なんだろうという気になる。そして、遠い空のむこうの地で起こっていることを、どう思い浮かべたらよいのだろうか、と。
 9月に起きたテロの「容疑者」がアフガニスタンに「いるらしい」ということをUSAが宣言したあたりから、イスラム報道がひじょうに増えた。そのなかで、実際のところどうなってんのやろかと私が関心をもっていたのは、「イスラムの世界における女性差別」のことだった。チャドルをかぶってないといかんとか、親族以外の男に近づいたりしゃべったりしたらいかんとか、そういう女性にのみ課せられた規制があるらしいことは、おぼろげな知識としても持っていたし、最近のニュースでもそういう話を見聞きする。そういう旧来の風習やその地の慣習の是非をどこまで追及できるのか、日本という社会のなかでも迷うことがあるのに、「ひどい女性差別だ!」と息巻いてしまってもいいのかと思いながら、どうなんやろかと考えていた。
 そう考えていたところ、『ドクター・サーブ』の中でこんな話があった。中村哲が、日本からやってくる語学に稚拙なワーカーのためにつくった現地語の教材に入っていた文章だという。現地の習慣について、感覚的には分かる気持ちになったし、わるくない話だと思えた。

▽「らい病棟職員のシャキールは、しょっちゅう仕事をサボって困ったものです--」
 「その通りだ」と、赴任早々の藤田看護婦は思った。だがその続きの文章に、こうも書かれていて、藤田は目を開かれた。
 「現地のひとは、女性が自由に外出できないイスラムの風習上、男性が日常の買い物もしなければなりません。ですから、仕事をサボっているように見えるのも、こうした事情を配慮してやらなければなりません、現地の風習は、おいおいに分かってくるでしょう」
 焦らずに、広い心を持ち、異文化と接しなさい、と中村は教えているのである。(254ページ)

 これは、「封建的で、保守的で、女性差別的だ」と言い切ってしまうにはむずかしい、いろいろ込み入った話なのだと思う。

男性が日常の買い物も(II)

 アフガニスタンの、この20年あまりの状況はこうまとめられている。
▽一九七八年、カブールに急進的な共産政権が登場し、農奴解放などの急激な改革を断行しようとした。七〇年代前半まで[アフガニスタンは]「世界の骨董国」と呼ばれたほど静かに眠っており、三〇以上の民族が、それぞれの居住地域で固有の言語や伝統を守って、半農・半牧ののどかな生活を送っていた。つまり、ひとつの国家と言うよりは、割拠性の強い部族社会の集合体で、その営みは、西欧的近代主義から見れば発展が遅れてはいても、それはそれで安定した国情を育んでいた。
 だがそこに、イスラムの伝統を踏みにじる共産政権が出現した。厳密に言えば、国内で唯一西欧の風に吹かれている首都カブールにだけ、場違いな近代思想が持ち込まれた。そして拙速にすぎる改革の断行である。よって、言うまでもなく、各地の部族社会は猛反発、それぞれがゲリラ組織を作ってジハード(聖戦)を宣言。ここに内乱の様相を呈した。
 さらに翌七九年一二月、親ソ共産政権の崩壊を恐れた当時のソビエトが、一〇万という大軍を進攻させるにおよんで、のち一〇年あまりにわたって続く「アフガン内戦」が勃発した。(131-133ページ)
 軍事介入も難民援助も、ある意味では表裏一体の、国際社会の欺瞞である。
 さらに八四年、国連運営資金の最大の拠出国「アメリカ」の武器供与決定を境にして、アフガン内戦は米ソの代理戦争化していった。粗末な武器しかもたなかったゲリラ勢力に、地対空ミサイル・スティンガーなどの近代兵器が持ち込まれた。村人の純朴な正義が、国際政治の力学によって変質していった。各ゲリラ勢力が、武器供与や援助に群がって党利・党略に走り”戦争の犬”に変貌していったのもこのころからである。
 むきだしの大国のエゴ、途上国の人命など眼中にない武器供与、さらには国際社会の欺瞞と偽善・・・。これらが渦巻くなかで、血を流し、親兄弟を殺され、生まれ故郷をハエのごとく追われていたのは、ひとりアフガン難民ばかりだったのである。(142ページ)

 この本はもちろん現代史の教科書ではなくて、中村哲という「変わった」医者の15年にわたるアフガン・パキスタンでの医療活動を描くなかで、中村哲その人の存在に迫ろうとしたものである。

男性が日常の買い物も(I)

 丸山直樹の『ドクター・サーブ』を読んでしまう。アフガンやパキスタンのことは、「インドのお隣あたりの国」とか「アフガン侵攻」というくらいのことしか知らず、その「アフガン侵攻」にしたって、何がどうなって何だったのかあまりよく理解できないままコトバだけは知っている状態だった。難民がたくさんいるという知識もあったけれど、どうしてたくさんの人が難民とならざるをえないのか、はよく分からなかった。この本を読んで、そういうなんとなく曖昧だったことが私にはよく分かった。

▽アフガニスタンは典型的部族国家で、人口の半数以上をパシュトゥン族が占め、ほかに北方系のタジク族、トルクメン族、さらにはモンゴロイド系のハザラ族、などで構成されている。
 現代のアフガニスタン・パキスタン国境は、中央アジアとインド亜大陸を隔てる天然の要塞である、ヒンズークシュ山塊の稜線上に引かれているが、これは十九世紀、南下をねらうロシア帝国と、当時インド・パキスタンを植民地化していた大英帝国が、お互いの政治・軍事的思惑から取り決めた物である。これをデュランド・ラインと呼び、しかし国境線をまたぐ山岳地帯一帯には、古くからパシュトゥン族が散在して住んでいた。
 つまり、アフガニスタンの最大部族・パシュトゥン族にとっては、パキスタンの北西山岳地帯は古来から盟友の領土であり、したがって彼らの意識のなかでは、ペシャワールの東方約八〇キロに位置するインダス川までが「アフガニスタンだ」という意識が根強い。意識だけでなく、現実にパシュトゥン族には、現在も自由な越境権が認められている。彼らにとって国境は、かつての敵国「ルース」(ロシア)と「アングレーズ」(イギリス)が勝手に取り決めた、峠道でしかない。
 こうした地勢的・歴史的背景があるために、同じイスラム教国でありながら、パキスタン人とアフガニスタン人の感情的軋轢は根深い。パキスタン人はアフガニスタン人を、”世界の骨董国”と揶揄されていたその後進性から「三等国民」と見なし、一方、アフガニスタン人はパキスタン人を、イギリスの植民地下にあった敬意をもって「アングレーズの傀儡国家」と腹の底では思っている。しかも内戦で、誇り高きアフガン人は傀儡国家の軒先を借りる身となり、他方パキスタン人は、ただでさえ目障りな存在の下等国民がなだれ込んできた・・・の図式となる。(26-27ページ)

むしろ米国や日本の方が報道管制を敷いている(II)

 ペシャワール会とは、中村哲を支援するNGO団体である。今日買った丸山直樹の本は、カバー表紙の絵がちょっと引いてしまうような柄で(子ども向け伝記の表紙のような絵で、書店で現物を見ていたら買わなかったかもしれない)、カバーないほうがいいなと思うような装丁なのだが、その表紙の絵はともかく、読ませる。
 中村哲がパキスタンへ行く1980代の半ば、ペシャワール会の立ちあげに参加した関係者が語ったこと。これは今も同じだろう。
▽七〇年代後半から八〇年代初頭にかけて、政府・行政は「国際化、国際化」としきりに叫んでおりました。ですがその国際化は、六〇年、七〇年安保を経験した我々の世代から見ると、アメリカの国際戦略の追随でしかなく、したがって「これは違う」「本物ではない」という思いが強かったのです。そこには、人情や助け合いの精神といったものをベースとした「アジアで生きる」という視点がなかったのです。
 そんな折り、我々の思いを代弁してくれる具現者として現れたのが、哲ちゃんでした。(93ページ)

 ドクター・サーブとは、「現地」で、敬意をこめて「せんせいさま」とよばれる中村哲のことである。
 
 
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乱読ぴょん

Author:乱読ぴょん
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本ネタのミニコミ誌『ブックマーク』を編集発行しています(1990年9月創刊~ 昔は隔月発行でしたが、今は年2回発行で、現在92号)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2014年4月(313号)より「本の道草」を連載中(現在、第69回)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2004年3月(192号)より2014年3月(312号)まで、本ネタ「頭のフタを開けたりしめたり」を連載(全119回、連載終了)。

『くらしと教育をつなぐWe』誌で、1999年4月(71号)より2014年2月(188号)まで、本ネタ「乱読大魔王日記」を連載(全118回、連載終了)。

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