読んだり、書いたり、編んだり 

内田樹『死と身体 コミュニケーションの磁場』医学書院

▽「情緒の豊かさ」というのは、そういうことです。分節できる感情表現の種類が多いということです。「情緒」というものは、ごくごく散文的に言ってしまえば、語彙、表情、発声、身体操作として、どれくらいの種類のものを使い分けできるかということに尽きてしまうのです。(108ページ)

▽自然権は原理としては認めるけれども、運用上はそれをある程度制限しないと、自然権の行使を要求する人自身が長生きできない。これが一七~一八世紀における「常識」です。いま読んでも、なかなか奥が深い。「あなたには権利がある。権利があるけれども使っちゃだめです」という、たいへんに矛盾したことをあからさまに主張しているからです。
 わたしはぴたりとつじつまが合った社会理論より、あちこちに矛盾やほころびのある社会理論のほうを信用することにしています。そういう矛盾は「現場」からしか出てこないことばですから。生活実感、社会経験のなかで、人間の愚かさを熟知した人の口からしか出ないことばですから信用できるのです。(166-167ページ)

▽コモンウェルスの限界は、人間はみな同じだ。同じように考え、同じように欲望する。同じように行動し、同じように計算し、同じようなものを価値として、同じようなものに関して美を感じるという「共感と理解の共同体」を理想状態に想定してしまうところにあります。ここから「人の身になって考える」という倫理の危険が出てくるのです。
 要するに、誰のことでも「わかる」わけですよね。「おまえの気持ちはよくわかる」と。みながお互いに「わかった、わかった」となってしまうわけです。
 ということは、自分とは違うような価値観をもっている人間、自分と違う度量衡で世の中の出来事を計量している人間、自分と違う分節の仕方で世界を見ている人間のことがわからなくなってしまうのです。(173-174ページ)

▽他者とは、物を測るときのメジャーが自分と違う人間である。境界線を自分と共有しないものである。(188ページ)

酒井順子『先達の御意見』文藝春秋

酒井順子『先達の御意見』文藝春秋

田辺聖子「流れのままに楽しんだらいい」
▽田辺 仲間を作る。サークルを作るとか。
 酒井 互助会というのがあるといいかもしれませんね。本を出して思ったのは、「結婚しない」っていう生き方があってもいい、と頭ではわかっていても、「でも、それは負けではないか」という保守的な感覚が自分の中にも色濃くある、ということでした。
 田辺 女はみんなそうだと思う。でも、本を書くことは子供を一人産んだのと一緒ね。
 酒井 ちょっとホッとします。
 田辺 普通のお仕事なさっている方でも、ちゃんとその職場で機能したり、あるいは周りにいる人たちから「あなたと一緒でとても楽しかった」とか、「働きやすかった」とかいわれたり。それも形を変えた子供だと思うの。
 酒井 そう考えると、すごく多くの女性が救われますね。
 田辺 でも、そういうちっちゃなところから、だんだん人類全体がよくなっていくんだから。楽しいことをして、みんなに楽しさを振りまいてあげて。私なんか二百四十冊書いたんだから、二百四十人子供を産んだのと一緒だわ(笑)。
(136-137ページ)

酒井順子『先達の御意見』文藝春秋

酒井順子『先達の御意見』文藝春秋

阿川佐和子「五十代になると勝ち犬も負け犬も歩み寄るのよ」
▽阿川 酒井さんは「IN★POCKET」で三十代半ばから四十代前半のオスの負け犬四人と座談会したことがおありでしょう。あそこで彼らが言ってたことは「付き合う女は欲しいけど、自分の欲望を満たしたら、できる限り早く去ってほしい。自分の生活を煩わさないでくれ」ってことに尽きるでしょ?
 酒井 そうなんです。責任は負いたくないんですよ。
 阿川 男として最低ですよねっ!
 酒井 私もここに問題があることに、みんなどうして気づかないんだろうって思うんです。少子化問題も女が社会進出をしたからとか、結婚しないで子供を産まなくなったからだとか言われていますが、その前にタネを蒔かない男がいるからこうなったのに。
 阿川 結婚して子供をつくって、経済的にも精神的にも責任を持って生きていこうという気概を持った男は明らかに減ってますよね。
 酒井 あそこには東京のある層のオスの負け犬の思想が如実に表れていましたね。
(19-20ページ)

谷川俊太郎、浜田晋、徳永進『医療と言葉』ゆみる出版

フリートーク

▽浜田 じゃ、やっぱり方言ぐらいがいちばん大事なところに戻ってくるわけですか。
 谷川 だから、方言というのはもっとも、つまり日本人にとっては大切な言語で、僕が喋っている共通語というのは、既に人工言語なんですよ、明治維新の頃からの。だから、いちばん軽佻浮薄な言葉ですよね。実態に結びついてない。
 浜田 地域とかいうのも、あやしいね。
 谷川 そうですね。
 徳永 地域医療、先生やっているわけで、ぼくたち地域医療で賞を貰ったですよ。独自な信念の…。
 浜田 も、おかしい。
 谷川 ただね、そうやって漢字、漢語のおかしいのを全部大和言葉に開けるかというと、それは絶対もう不可能なんですよね。だから、いまわれわれが使っているものに、少しでも実際の行動、経験によって意味を与えていく、定義をしていくという以外に、多分道はないんじゃないかと思うんですけどね。(118-119ページ)

谷川俊太郎、浜田晋、徳永進『医療と言葉』ゆみる出版

徳永進「トーク・医療の中のたった一言」

▽…ぼくはアッと思いました。勝手な気持ちですが、ぼくは、彼には何もしてほしくなかったんですね。でも人間って、その場に入っていくと、自分の言葉がいつも変っていくんです。ぼくは、そのことを何度も感じますね。
 「癌だったら、癌だと言ってほしいですか」というアンケートがありますでしょう、無意味な。そうすると、みんなは「この間、新聞にも六〇パーセント超えたって書いてあった。私も『告げてほしい』にしよう」その程度なんです。直面したそのとき誰もがハッと思います。そして、場面がどんどん進んでいったとき、「もう安楽死でいいですから、尊厳死でいいですから」と言った人が、「手術やってください」と言います。そういうふうに変わるというのが、人間の本当の姿でしょう。人間は一度宣言したり何か決めたりすると、それが最後まで貫かれると思うけど、必ず変わる。言葉ってそこがおもしろいのね。宣言どおりには、まずならない。いつも裏になったり、表になったり、豹変したり、戸惑ったり。ぼくが臨床で教えられた大切なことは、このことでした。言葉は、その人の中で幾度も変わっていく。それをぼくらは見ていく、ということが大事だと思います。(38-39ページ)

内田樹『街場の現代思想』NTT出版、2004年

▽不充足感につきまとわれている人間は「いまの自分の正味の能力適性や、いまの自分が組み込まれているシステムや、いまの自分に期待されている社会的役割」をクールかつ計量的にみつめるということがなかなかできない。
 それは、言い換えれば、「分相応の暮らしのうちに、誇りと満足感と幸福を感じる」ことがなかなかできない、ということである。(70-71ページ)

▽…想像力を発揮するというのは、「奔放な空想を享受すること」ではなく、「自分が『奔放な空想』だと思っているものの貧しさと限界を気づかうこと」である。(213ページ)

内田樹『街場のアメリカ論』NTT出版、2005年

内田樹『街場のアメリカ論』NTT出版、2005年

▽「ジェンダー・コード」以外にも人間の行動や思考を解明するのに適用できるコードはいくつもあると私は思っているのですけれど、ジェンダー論者の多くは「性以外にも人間的経験の意味を考量するコードがある」という考え方をすること自体、その人が父権制イデオロギーに毒されていることの証拠であると言われてしまうので、話がそれ以上先に進まなくなってしまうのです。(193ページ)

内田樹『街場のアメリカ論』NTT出版、2005年

内田樹『街場のアメリカ論』NTT出版、2005年

▽性意識というのは「背が高い」とか「鼻が丸い」とかいうのと同じように、自分ではどうしようもない「所与の条件」であり、私たちにできることは、その自分がそこに産み落とされた条件をどうやって「あまり気にしないで」暮らしてゆくか、ということでなないかと思うのです。
 「背の高い」人が、みんなが何よりもまず自分の背の高さに注目しており、自分のあらゆる言動は「背の高さ」という条件づけとの関連において解釈されているのだ…と思い込む姿って、ちょっと悲しくありませんか?
 「ヤマダくん、あの本取って」「背が高いから、取りやすいだろうと思うの?」「ヤマダくん、スズキどこにいるか知ってる?」「背が高いから、遠くまで見えると思うの?」「ヤマダくんてバスケうまいね」「背が高いから、どんくさくてもシュートできると思うの?」…なんて言い出したらきりがありません。
 でも、性意識の強い人というのは、少しそんなヤマダくんに似ています。自分の言動についてのどのようなコメントも、どのような評価も、すべては自分の性に関連づけて解釈する人の不自由さを私は少しもよいことだと思いません。…(189-190ページ)

 …ジェンダー・スタディーズの教室ほど「男とはどういうものか」「女とはどういうものか」についての規範的言明が口にされる場所はありません。ジェンダー構造について批判的に言及する場合でも、語られることばのほとんどが「男らしい」とはどういうことか、「女らしい」とはどういうことかをめぐっている。その結果、ジェンダー・スタディーズを学習したことによって、社会問題のあれこれが性的含意を持つものとして見えてきて、周りの人の言動のひとつひとつが自分の性についての言及のように思えてくるようになる。そんなふうにして、四六時中、「性」のことばかり考える人間を作り出すことが、「性差からの自由」を実現したのか、「性差への固着」を実現したのか、私にはよくわかりません。(191-192ページ)

内田樹『街場のアメリカ論』NTT出版、2005年

内田樹『街場のアメリカ論』NTT出版、2005年

▽スタンダールは『赤と黒』の巻末に To the happy few 「幸福なる少数者へ」という献辞を記した。彼の作品の真価を理解してくれるであろう少数の読者に感謝と祝福を送ったのである。この happy few には彼の同時代の「趣味のいい読書人」はたぶん含まれていない。そういう「内輪のめくばせ」ではなく、これは「未来の読者」に宛てたメッセージのように私には思われる。同時代には理解されなくてもいい、けれども「こことは違う時代」「こことは違う場所」の人々の中にはこの小説をよむことのうちに深い愉悦を見いだす人がいるだろう。たぶんスタンダールはそう考えていたのである。
 こういう姿勢は大切だと私は思う。「こことは違う時代」「こことは違う場所」の人々にも届くことばを書き記すこと。それは排他的で誘惑的なエクリチュールとはめざすところがずいぶん違う。私はそういう書き方をしたいと思ったのである。(259-260ページ)

中島らも『異人伝 中島らものやり口』KKベストセラーズ

中島らも『異人伝 中島らものやり口』KKベストセラーズ

▽"なりゆき"は必然である。

 おれは全部なりゆきで生きてきた。人間っていうのは分かれ道に来たとき、Aの道に行きたいけど、でも自分には不可能、だからBの道を行こうってふうに不可能な道を絶対進まないの。
 だから、いまある自分ってのは結果としての必然の蓄積なわけ。
 おれはいままであのとき、こうしたほうが良かったとか、悔やんだことは一度だってない。子供の頃からずうーっとなりゆきだもの。
 大学に入ったのもなりゆきだし、就職活動もなりゆき任せ。もうすぐ卒業するっていう二月まで何も考えてなかった。あっ、働かないとダメなんやと思って、慌てて就職先を探したけど、入れるところなんてない。そしたら、公認会計士をしてた叔父が「おれが見てる会社で、去年、社員旅行でグァム旅行に行った会社あるけど、行くか?」と言われて、なんのためらいもなく「行きます」って入ったんだ。おれの一年目の社員旅行は塩田温泉だったけど(笑)。
 ほんと、なりゆきでいまみたいになってる。「エッセイ書いてください」「小説書いてください」って頼まれて、「できるかどうかわかりませんが、いいですよ」ってやってるうちにこうなってしまった。
 一度も自分から書かせてくださいと頼んだことはないのに。
(170-171ページ)
 
 
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乱読ぴょん

Author:乱読ぴょん
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本ネタのミニコミ誌『ブックマーク』を編集発行しています(1990年9月創刊~ 昔は隔月発行でしたが、今は年2回発行で、現在87号)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2014年4月(313号)より「本の道草」を連載中(現在、第43回)。

月刊誌『ヒューマンライツ』で、2004年3月(192号)より2014年3月(312号)まで、本ネタ「頭のフタを開けたりしめたり」を連載(全119回、連載終了)。

『くらしと教育をつなぐWe』誌で、1999年4月(71号)より2014年2月(188号)まで、本ネタ「乱読大魔王日記」を連載(全118回、連載終了)。

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